明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



柳田國男が私にムリヤリ演じさせられる灯ともしの翁は、手に油差しと灯心を持っている。灯心というと何かをよじったものを想像するが、おそらく鏡花がいうのはこれであろう、という物が届いた。い草の芯だそうだが、スポンジのような質感で、油をいかにも吸い上げそうである。しかし思ったとおり、アップで使うわけではないので、私が今日も食べたソーメンで充分代用できた。人には本物にこだわってます。といっておこう。

昨年河童の頭部を制作中に、ツイッターでかつての強豪プロレスラーが映画に出演している話題になり、検索して見つけたユーチューブに、ハリウッドの悪役リチャード・ウィドマークが映っていた。完成の頃、当初イメージしていた河童の顔と着地点が違うな。そういえば、と気がついたのを思いだした。TVでの吹き替えはネズミ男の大塚周夫である。これも何かの縁か? 近所の陸河童のKさんが、私の作った三郎と似ているという人がいる。娘の尻を触ろうとして大ケガするというイメージが重なるだけで、たいして似ているとは思っていなかった。しかしおでこのカーブに二本のシワ。それと特に団子っ鼻が似ている気がしてきた。いや確かに似ている。やはりKさんは私に河童を作らせるために現れた妖精なのかもしれない。役目はもう済んだのでお帰り願いたいのだが。 Kさんがいつだったか風邪ひいて鼻水が出ていたので「脳みそ出ちゃってるよ」。といったことがある。まだあの中に脳ミソが入っていると思っていたのだから随分前の話である。だから、というわけでは全くないが、水から上がった三郎が、プールから上がった小学生のように鼻水垂らしていたら面白いのではないか、と垂らしてみた。本来河童自体がヌメヌメしているし、水に浸かりっぱなしの河童が風邪ひきでもないだろうが、だからこそハナたれ河童は珍しいのではないか?これは別のシーンで使っても良いだろう。鼻水の使用方法は赤塚不二夫とほぼ一緒である。

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