明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は朝起きてからずっとモニターの前。電話に出た意外は作りっぱなしである。何時間モニターを見つめていても目が疲れないのが有り難い。背景がほぼ完成していたので数日間、河童と翁をそこに合成する作業を続けている。河童の三郎は、後ろ姿を含めて15カット。予定では、最後の一体を作って撮影すれば、三郎は終了の予定である。1カットのための1体であるから、写らない所までは作らない。 

私はもともと架空の人物ばかり作っていた。子供の頃から、何かを見ながら絵を描くのが苦手で、写生が大嫌いであった。当然デッサンも嫌いで、まして石膏像は数える程しか描いたことがない。そして自己流で架空のジャズマンなど作り始めたが、なにしろ自己流であるから、何処かヘンなのに何処をどうして良いか判らず、しょっちゅう固まっていた。イメージした物がおおよそ作れるようになるまで、これほど時間がかかるものだと知っていたら、もう少し考えたかもしれない。戻っていって教えてあげたいくらいだが、どうせ聞きゃしないだろう。結局は同じことになりそうである。当時は、たとえば私が作る鼻が実際とちがっていても、そう思い込むいは理由がある、と考えており、実在した人を資料写真を見ながら作っては、本当のことが頭に入ってしまい、入ったら出て行かず、好きなように作れなくなる、と長らく信じていた。ところが今は実在の人物ばかり作っている。カメラやパソコンなど、苦手だった物に限ってやることになってしまう私らしい。 依頼された仕事を別にすれば、架空の人物(ではなく河童だが)を作るのは数十年ぶりである。やっぱり作っていて清々しさが違う。何も気にすることなく、水っ洟を垂らしたり、蠅をとまらせたりしている。



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