明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日はスタジオを4時間借りていたのだが私は不参加。下手なりに面白くなっていただけに他の2人には申し訳がない。 その間に杉の古木の陰から河童が顔を出し、たったいま石段の下ですれ違い脅かした、漁師2人の様子を伺っているところを制作。下では漁師があわてて逃げ出したくせに、戻って来て河童の姿がないことを確かめると、「畜生、もう一度出て見やがれ。あたまの皿ア打挫(ぶっくじ)いて、欠片にバタつけて一口だい。」と強がって石段を見上げている。河童は青ミミズのような舌をだして「コワイ」。 杉の大樹は母と奈良の長谷寺に行った時に撮影し、三島由起夫へのオマージュ『男の死 神風連史話』で一度使っている。この場面に房総の神社の石段を合成し、登りきったところに杉が生えているという設定である。編集者は河童が小さくなってしまうので、石段をカットし、見開きで使いたいという。これではせっかく作った風景が台無しではないか。憮然とする私。しかし本日、杉の脇に河童を配してみたら、河童の表情が思いのほか可愛い。不細工に作ったつもりが毎日見ているせいだろうか。私としては基本は人形の制作及び撮影である。いくら良い風景ができたとしても、やはり優先すべきは河童の表情であろう。次回の打ち合わせでは、なんなら河童をもっとアップにして、みんな取っちゃおうか?といいたいくらいである。しかし憮然としてしまった手前、君のいう通りだった、と素直にいう気にはなれない。うっかり周りを削除してしまったことにしようか、などと姑息なことを考える私である。まあこうやって、ああだこうだと紆余曲折しながら完成に向かうわけである。 この場面は2人がスタジオに入っている間に完成し、やっぱり今日はスタジオに行かなくて良かった。と無理矢理思い込むことに成功した。

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