明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私の世代は子供の頃に怪獣、妖怪ブームの洗礼を受けている。これら異形の者達を“カッコイイ”と評した第一世代ではないだろうか。小学校では休み時間に油粘土で恐竜、怪獣を作りたおしたものである。それから幾年月。ようやく河童を手掛けることができた。日頃ただムラっときたからといって作ることは戒めている。発表の機会、依頼がないかぎり余計な物は作らない。ただ作りたいから作っていたら小学生である。もっとも、作ってしまいがちなので戒めているのであるが。 4年続いた『中央公論Adagio』でもお化け妖怪の類いを作りたいがために、小泉八雲、泉鏡花はどうでしょうか、と表紙をただ担当する立場からアピールし続けたが叶わなかった。円谷英二で巨大蛸に勝どき橋を襲わせることはできたが、その方が面白いのでタコは本物を使った。 先日書いたように、河童を作っていても誰にも咎められず、むしろ近所の人や出版社に早く作れ、といわれている。アンドレ戦の前田日明のように「やっちゃっていいんですね?」状態である。河童の撮影に入ってからは至福の日々といってよい。私が加山雄三だったら鼻の横がすり切れ血がにじんでしまうであろう。(意味が判らない人は50過ぎた人に聞いて下さい) 屋上にて河童を直射日光のもと撮影。腹這いになり、横には某ローション。念のためにペットボトルに移し替えてある。河童をベトベトにして撮影。好きなことをしていても罪悪感が拭えない、と先日しおらしいことを書いたが、同時にやっちゃ行けないことは楽しい、という体質であることも書かなければならない。私が馬鹿なことをしているな、と自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた時は、快感物質が脳内にわき出している時である。やはり同じく、屋上で瀬戸内海から届いたタコにポーズを付けていた時も相当なものであった。本日失敗といえば、うっかりヒートテックのTシャツで炎天下にいたことぐらいである。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )