明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



九代目團十郎第二弾は大分イメージが固まってきた。といっても第一弾は第二弾の中に埋もれてしまっているのだが。通常だったら頭部さえ完成すれば出来たも同然といっているが、今回は写るところしか作らない撮影用ではなく展示前提である。いつもより大分大きいので出来たも同然という気はしない。 予定通り表情に力を入れていない。明治時代というと、羽織袴に山高帽、またはフロックコートというのを考えていたが、歌舞伎の扮装をしたままただ立っている。というのもアリだと思い出した。着物の模様を描くのは真っ平であるし、そう思うとや大星由良之助や幡随院長兵衛の格好で立っている、というのはどうか。もしくは評判は良くなかったが、リアリズムを追求した“活歴物”。決めかねる。 それにしても当時の演劇雑誌でも九代目を大絶賛しているが、女形の場合、写真だとやたら顔の長い女装した小父さんにしか見えないが、娘を演じても可愛く見えたらしい。 日本人撮影で最古のフィルム『紅葉狩』(明治32年)がある。フイルム初の文化財に指定されている。九代目の更科姫に五代目菊五郎の平維茂。いわゆる團菊である。昔に比べて今はなってない的老人を團菊爺といった。発見された当時フイルムセンターに観にいったが、光量の問題であろう。歌舞伎座裏の屋外で撮影されており、風のせいで投げ上げた扇を落としていた。活動写真嫌いの九代目は、生きている間は公開しないと約束させている。なんだか良くわからなかったが、先日の江戸深川資料館の解説にもあったが音は重要で、これは音が後付けされているので判りやすい。


紅葉狩 - 明治三十二年 - 九代目 市川 團十郎 - 五代目 尾上菊五郎


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三遊亭円朝や泉鏡花用の背景を撮る方法を考えている。建物の外観はともかく、問題は室内である。行灯、燭台の類はすでに数種用意してあるが、現場で灯すわけにはいかないので、後で合成するつもりでいるが、となるとそこに行灯があることにして、代用の灯りが室内を照らしていないとならない。電球をしこんだ提灯のような物を用意して、行灯を置くあたりに配置しようと考えてみたが、燭台はともかく、使用する行灯に電球をしこんで、現場に置くことができるのであれば、そのほうが良いだろう。  円朝の場合のヒトダマは昔から使われる焼酎鬼火でなく、筆で描こうとやってみて、なかなかイメージしたようなヒトダマにならず頓挫していた。筆の問題がありそうである。墨をたっぷり含んで毛先の長いものが良いだろう。と書いていて、女の黒髪で描いたらどうだ、と思いついた。しかし髪の毛は頭から切り離されたとたん別物に転じる。見る人を肝胆を寒からしめる前に描いてる私がビビりそうである。冗談だといいたいところであるが、そんな私の心持がヒトダマにある効果を与えないだろうか、とも思ってみたり。そもそも感心されるくらいなら呆れられた方がマシ、というヘキが私にはあるので、今日のところはなんともいえない。

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それにしても、とりあえず目にすることができる九代目團十郎像が三者三様、ほとんど別人なのには驚かされる。実物を見たのは歌舞伎座の朝倉文夫作だけだが、ラグーザお玉昨にいたってはリアルに作られているが、いわれなくては九代目だとは思わないだろう。具象彫刻というものはそういうものなのか、と改めて。なにしろ勉強したことがないのでびっくりなのである。そっくりに作りながら、微妙なところに個性を、とそう思い込んでいた。昔、クラシックは音符の数はすべて同じ、と思っていたらそうではないことを知った時の様な感じである。 私の場合はというと本人に見せてウケたいという妄想を抱いているせいで、生前頭頂部を覗かれるのを嫌がっていた、と聞けば、中井英夫の頭髪をサービスして盛ったり、そんなことをする。おかげで禿げていないのが惜しい、などと本人を良くご存知の東雅夫さんにいわれてしまったりする。巨匠連と私を並べて論じては申し訳ないが、私は私なりの九代目を作ることにしよう。

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何故だか判らないが團十郎に限って、なんでこんなに大きく作ったのか。顔だけでも10センチくらいある。九代目團十郎の最初の印象は、外国人作家の石版画だったはずで、何の演目だか刺青のような襦袢を着ており、こんな顔の長い人間がいるわけがない、日本人をデフォルメしやがって。と思った。 深川江戸資料館で歌舞伎のイベントがあるので、貸し出した展示品の記念撮影かねて、制作中の長い顔を持って出かける。 途中からだったが、歌舞伎の衣装や化粧の解説、面白かったのは見得や立ち回りの実演であった。主役の動きは少なくても脇役が動いて主役を引き立たせる。私は人形と人間を共演させるが、人形は関節があってポーズを変えられる訳ではないので、その分人間に動いてもらい、主役の人形の動きの無さを補佐してもらっている。同じようなことかもしれない。 貸し出したのは掛け軸や色紙が10数点と瓦だったが、海老様こと11代目團十郎の高麗蔵時代のサイン入りブロマイドが、カッコ良いと思ったのだが展示していなかった。
初代市川左團次と九代目團十郎。これに五代目尾上菊五郎があれば『團菊左』となるのだが。
手前が歌舞伎座震災の修復時、もしくはそれ以前の瓦
九代目の河原崎権十郎時代の色紙。九代目完成の暁には、ここに収まる予定。



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九代目團十郎を完成すれば展示するはずだった深川江戸資料館の『歌舞伎の世界展』は日曜で終了する。すっかり表情を作り変えてしまったので間に合うわけがない。ただ『深川と歌舞伎』だったかのコーナーは1年続くそうで、完成次第展示する予定になっている。 『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年で坪内逍遥にいわせると、九代目は写真の撮られ方が下手で、本来の姿が写っていないといい、そしてのこの一文「誠に九代目のあの爛々たる大きな目を写真に於ける今の幸四郎(七代目 松本幸四郎)のと同様にぐっと睨ませて、如實に撮影し得たと想像して見たまへ。あの大きな厚い唇、あれを今の梅幸(六代目 尾上梅幸)の土蜘蛛式、鬼女式に思ひ切って引き歪めて撮影し得たと想像して見たまへ」にすっかり煽られ、無いなら作ろう、と前作を作った。しかし時間が経って客観的になると高村光太郎の「團十郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。」に納得し、これはまさに写真に写る九代目なのであった。つまり舞台上の九代目は写真に残されていないが、舞台以外の表情は残っている、ということであろう。荒事の團十郎と借金取りに怯えて家で小さくなっている團十郎。オンオフがはっきりした人だったようである。そこで制作中の作品は普通にしている九代目になる予定である。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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