たった三日で一月もいないように感じられるのは何故なのでしょうかね?
はるか前に息子がスクール生活をしていたときは、漠然とした不安のようなものが常にありました。
それが良いことであるのは分かっていたのですが、結果として元気な姿にあうまでは、こうした表現し様がない状態の心が抜けなかったわけです。
反抗期(これから?、すでに?)の入りかけである娘には、親という存在がいかなるものかということを学ばせることは、一緒に生活している以上、至難の業であるともいえます。
話して聞かせることも出来ますが、現実体験の比ではありません。
親とはなれる、それも数日ではなく最低でも一月、何の連絡も話すらも出来ないという完全に切り離された環境、さらに多くの他人との生活することによって、初めて自分という存在を振り返ることが出来るようになります。
娘の場合、自分から進んでの合宿ですから、こうした精神的な成長が早く進むのですが、これが甘えきった状態で入校した(すでに引きこもり、非行等の真っ只中であったスクール生)場合は、入校後の一月は親への恨み節ばかりで過ごす事になります。
その場にいない親を散々恨んで恨んで、しかしながらそうした時間がなければ、その先に訪れる不思議な心の変化を知ることはできません。 それが来るのが大体入校後3ヶ月くらいまでの間です。
親という甘えの対象から完全に切り離されることで、親を見つめなおして、同時に自立心が出てくるわけで、そのための最低必要な時間といえるかもしれません。
この間は苦悩を伴いながら大人への階段を走って駆け上がっているのと同じなわけで、相当につらいものであることは想像に難くはありませんが・・・・。
合宿においては、自分の意思とは無関係に来ている子が普通ですから、こうした子達にとって、ウインド訓練はただの苦しみでしかありません、楽しさが分かってくるレベルまで上達するまではそういうものです。 やりたくも無いことをやらされて、居たくも無いところにいさせられて、厳しいし、すべて自分のことは自分で責任を持たされる生活。
そんな生活空間に、自分の意思で、しかもはるかに自分より年下で、しかも女の子が来るということ、さらには自分達と同じ生活をし、同じ訓練をうけることは、現スクール生に多大なるショックをもたらすはずです。
自分は逃げることだけを考えてすごしているのに、真反対の考えを持つ子がいるということ、その姿をみて、驚愕し、恥をかき、自分に怒りを覚え、「なにくそ!」、「俺だってやってやる!」とならねば、非常にみっともないことですし、なにより情けない。
娘は同じ学年の中でも小さいほうでしかも非力、でもウインドレベルはレーシングボードでプレーニングし(私は追いつけません)、ジャイブもこなすレベルにあります。
ウインドの技術レベルが立場でもある合宿生活において、いきなり来て上位に存在してしまう事は、年齢うんぬんではなく、努力の差というものを見せ付けられることでもありますから、生徒達にはどうするべきなのか?をそこから学んでもらいたいと私は思うのです。
このところ沖縄は雨、それでも気温は20度以上、もちろん太陽が出ればTシャツでも過ごせます。
羨ましい・・・・と思ってしまうのも正直な心です。