いじめは全部悪であるというのが、大半の認識。
しかしいじめは本来善であるというのは、いじめが本能だからとしています。
良い悪いの見分け方などあるのだろうか?
実はこれ、糞みそ一緒の解釈が今のいじめ解釈。
良いいじめは必ず出口のあるものということです。
私の子供時代はまがいなりにもそうでした。
簡単な例を伴いながら書いてみたいと思います。
幼いころに友達同士で遊んでいて、中に自分勝手な子がいると、ほかの子達はみんなその子と遊ぶのを避けたり無視したりすることがあります。
幼いですから、やられた子は「なんで遊んでくれないの?」とダイレクトに聞きます、すると何人かに囲まれて「おまえ勝手だぞ!」と言われたりするものです。 これがもっとも基本的な正しいいじめ。
しかし、これが頭脳の発達とともに高度化します、当然に悪い方向へ高度化もします。
例を中学でわりとあるようなことにしてみます。
ここに、いじめを受けている、ある生徒がいます、周りの大人たちには原因がわかりません。 なぜ受けているかということをタイムマシンで遡ると、掃除をやらないその子の姿が見えてきます。
ほかのみんなが嫌々ながらもやっているところに、その生徒だけは無駄話をしていたり、手抜きをしたりと、いい加減。
当然にほかの生徒からの不満が出てきますから、「何してるんだおまえ!」という言葉が出てきました。 ここでは!と気がつけばなんの問題もありません。 こうしたことはごく当たり前にあることで、また自分を戒めたその子には経験にともなう自己解決能力があるからです。
ところがその子のとった行動は、泣くということ、男の子のその言葉に傷ついたと泣き始めたわけです。 たまたま廊下を通りかかった先生が見つけ、その男の子を職員室に呼び出します。
こうなると、その男の子とおよび友達、一部始終を見ていたクラスの子の中にある変化が現れます。
ひとが持つ本能、すなわち向上するための本能、すなわちいじめの感情です。
泣いている生徒が自分のサボりを認めればまだしも、自分はきちんとやっていたいい、いじめを受けたと言ったばあい、いじめは一気に変化します。
またかよーこいつ・・・」と思っていたクラスの生徒達は、やれば良いだけのことをやらず、泣くという、いうなれば非常に汚い手を使ってくるその姿勢に腹立たしさを感じるようになるわけです。
上記の例ではいじめがほぼ100%発生します。
この場合、「泣いてるんじゃねーよバカ!掃除しろ」、「ちゃんとやるまで無視だなこいつ」となるのはただしいじめの範囲、そのこがきちんとやりさえすることで出口に到達するからです。
これが出口のあるいじめ、すなわち正しいいじめです。
ここに子供達の心の強さが関係してきます、強い心を持つ子供達は、自分は言ったいどうなのか?、と振り返る力がありますから、そうした自分というものを考えつつやりますので、けして悪質ないじめへと変化することはありません。
しかし問題なのは、こうした心の強さを持たない子達、自分を振り返る事に臆病な子たち、簡単言うなら精神的に幼児並みの子達。
叱られるという経験があさく、ゆえに自分を振り返る力のない子に非常に悪質ないじめをする子が多いことは学校の先生なら容易に分かることだと思います。
出口のない悪質ないじめは上記のいらだちに、自分持つ何がしかの不平不満などをまぜながら、「存在が気にくわねーんだよ!」、「ちびのぶす!」、「蹴り飛ばしたり、紙をはさみで切ったり」
というように、本人の力でどうすることも出来ないことに本来の内容を転化し、その目的とはまったくかけ離れたところを引き合いに出しながら、しかもいつまでもやり続けること、それは時として暴力行為も含んでです。
身長が低いとか、顔がかわいくないだとか、そんなことは改善しえないことであって、永遠に出口のみえないことです、出口が見えないからこそ死を選ぶ子も出てきてしまう、これが悪いいじめなのですね。
いじめにという特別な意識なき子供時代は、人としての感情がむき出しですから、良いいじめというものを実によくつかって互いの成長を遂げています。
成長とともにそれぞれが持つ心の強さ弱さと関係しながら姿を変えるのがいじめです。
現在、何が問題化は、いじめという言葉が、すべてを包括してしまっているということ、簡単にいうなら普通の会話のでありえる、からかい程度の事ですら、受け取った人物の意識一つでいじめとなりるように、何でもかんでも、しかも少しでも不快を覚えれば悪質ないじめと同一に解されていることに有るのですね。
悪質ないじめ(出口のないいじめ)はすでにいじめという範疇を抜け出て、名誉毀損、脅迫、強要、暴行、障害等など、刑法犯罪となることばかりなのですね。
大人の世界であれば許されざる行為が、子供だからと平然とゆるされる。
実におかしなことだと私は思うのです。
今のいじめが非常に悪質な原因は、実に簡単です。
子供達の心が弱いということ、自分を振り返るという簡単なことさえも出来ない。
なんていったって、ほめて育てられているから、自分のやっていることすべてが正しいとして成長しているのですから無理もありません。