帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

春風小町

2007年02月15日 | 研究-教育・育児

しっかりと春一番をつれて帰ってきてくた、家の小町。
悪天候のために予定より約1時間遅れで到着。
真っ黒かと思いきや、日焼け止めをしっかりと塗っていた(校長先生の指示)
せいもあって割と普通。
もっともウエットスーツから出ている手の甲に光の証拠は残っています。

当たり前ですが、帰りの車の中はやたらとにぎやか、家内と二人だけの時とはまったく違う雰囲気。
いろいろな楽しい話を聞かせてくれましたが、いつの間にやら寝息が・・・

たった一月、されど一月。

「もう一月いたかった!」といって笑う娘の笑顔の中に、どんな思い出と成長をもたらしてくれたのかが読んで取れます。

途中で夕飯のために入ったレストラン、お父さんお母さんの言っていたことの意味が良く分かったという小話をくれました。

箸の持ち方から始まり、言葉使い、態度、皿洗い、掃除、等々、女の子の場合は生活するにおいての基礎はすべて中学生になるまでに大人並に(当たりまえとして)出来るよう、育てなければならないと私は思っています。

おかしな箸の持ち方をしていた娘の小さな手をいきなり叩いたり、座っている姿勢を見て「背中を丸めるな!」と叱り付けていた事など、とにかく叱られること多い中で娘は育ちました。
そうした厳しさは、娘(子供)には理解しがたいものです。
しかしながら、親から離れ、他人だけの中で過ごしていくと、自然とその意味が見えてきます。

親という存在や、言葉の意味というのものは、離れて初めて理解しうるものであって、常にそばにいる限りは見えてくるものではないからです。
ゆえに中学に入る前のひと時をスクールで過ごさせたわけです。

共同生活において自分の一挙一動は常に男の子の目にはいるわけであって、
出来て当然の事を迷ったり、右往左往する事ほどみっともない事はなく。

たとえて言うなら、りんごをもらったとして、それに大して自分から率先して皮を剥き、お皿の上に綺麗に並べて出せるまでの一通りのことがスムーズに出来なければならず。

男女平等だ等と言い出してみたり、りんご剥きすら出来ないことを屁理屈つけて隠してみたりしたとて。
それが社会でのあらゆる面での基礎となるわけであって、
当たり前のことが当たり前にかつスムーズに出来る人間に信頼が置かれ、高度な仕事や上の立場へと上げてもらえるのは当たり前のことなのですね。

ゆえに将来おとずれる可能性の高い男女共同参画社会において、どれだけ娘が幸せに暮らしていけるであろうかという面において、親が努力すのは当たり前のことなのだと私は思うのです。

獣医になると言う娘、本当になれるかはまったく未知数であるとして。
仕事に厳しく、しかし家庭では母親として自分に厳しくある。
そういった人間になってもらいたい。
それが娘を最終的に幸せにする力となるなら、親としてそうするのは当然。

学力ではなく、徳力をつけさせねばならない・・・・・
本格的な反抗期がもうすぐ来ます、その前に自分で自分を正せる姿勢を見につけさせることが出来たのなら、後は親が言わずとも自分で成長していける。
そう私はおもっているのですね。