あるのですが、書けない・・・・・
一月の沖縄で娘が見聞きした様々な事がたくさんあります。
人間くさくて、悲しくて、辛くて、でも楽しくて、そんな話がたくさん
有ります。
しかし、これを書いてしまった場合、その子が卒業した後にそれを見たて、
良い方向でとってもらえればいいのですが、そうでなかったらどう思うか。
そう考えてしまうと書くことは出来ないのですね。
文章はあくまでも文章でしかなく、ある人間からほかの人間への情報伝達は
100分の1以下になってしまうのを自分は痛いほど経験しています。
文書ゆえの難しさは、想像の自由度と不安定であるかゆえでもあり、又それが文章の面白さでもあります。
スクールは合宿所という空間で全員が生活していますから、
なにやってるんだ?と思わず吹き出してしまう話もたくさん出てきます。
でも、その場に自分がいたらやっぱり同じ事をしているだろうな・・・
と、思ったりもするわけで。
ゆえに、自分だったらそれを伝え聞きした者の表現は気になるところ。
自分だったらと考えるほど難しくなるわけです、自分の利益を優先すれば、裏を返せば、相手等どうでもよければいくらでも書けるのですが。
そう考えるなら、意図的な文章と言うのは誰でもできるわけで、マスコミの報道でそれぞれの記述を読み込むと、その人物がどれだけ悩みながら書いているかということははいとも簡単に読み取れるわけです