家内と娘を下ろすと、夕方まで暇なのが僕、そこで早速向かったのは新発田城、
新発田重家が豊臣秀吉の後ろ盾を得た上杉景勝(直江謙次軍師)との戦(新発田重家乱1587年)で落城した城です。
上杉が会津に転封された後、堀口秀勝(甲斐源氏の流れ)が入り、その後代々続いたすばらしい政治のおかげで6万石から約19万石までに成長し、
奇跡とまでいわれた国を作っています。
なぜこうした豊かな国になれたかという理由があり、まず政をしていた代々の国主及びその下々が無駄使いを排して倹約につとめたということ。
次に当時はどこもやっていなかった学校制度を早々に設立、授業代は教科書の紙代だけしかとらずに出来る限り多くの子供達に高度教育をおこなっていたこと(当時では珍しい医学校に当たる物も当然に設立しています)。
政治は治水と田畑の開拓開墾を基本とし、そのために国主自らが動きそれをみた民衆が一丸となって取り組んだ。
年配をを大切にし、真面目に働いたものを正しく評価して褒章をふんだんに遣わし、勤勉に働けば豊かになれることを保障していた。
年貢の基本となる畑の単位基準を独特の物を持ちいることで、年貢を納めても十分に農民達の手元に残る計らいをしていた。
他にもありますが、簡単にまとめると、民を豊かにする事が国を豊かにする事という考え方の基にこの国はあったわけです。
国民がやる気の出ない国では、誰も働きたくはありません。
上のものは無駄使い?をしまくり膨れ上がり続ける借金財政、お金のあるものだけがふんだんに受けられる教育(医科大学含む)、真面目に働くものが馬鹿にされ、マネーゲームをうまくやると賞賛される経済。
年寄りを粗末にし、弱者を踏みつけにして、自由教育の名のもとに自虐の歴史を植え付け、人格育成より偏差値ばかり優先の教育。
この国と同じ国土の我が国、どこに違いがあるか? このブログを読んでくれている皆さんにはお分かりかと思います。
さて、新発田城は明治の廃城政策で壊されてしまいましたが、現在復元されています。
丹念に積み上げられた一つ一つの石垣を手で触りながら、繰り返される人の世と歴史の流れを感じ取りつつ、思いをめぐらせる。
自分の好きな時間の一つです。
約1時間ほど散策しましたが、そのあと家内だけ迎えにいって(娘は高級ホテルの伯です)宿泊予定地の新潟市へと向かいました。