帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

引きこもりの原因と苦しみをなぜ他人が理解できないか

2008年11月20日 | 研究-教育・育児
人の行動のなぜ?を解き明かすことは非常に面白いのですが、そうですね・・・

たとえば愛、これは種族保存と密接にむすびついたものですが、なぜに人を好きになるのか?というなら、もちろん本能によるものでして、
それならなぜ本能だとそうなるのか?というなら、これが脳幹の働きを中心としているからです。

さらにそれなら、なぜ脳幹が働くことが愛を欲することになるのか?というなら、 愛するという事そのものが、脳幹から全身の各器官にたくさんのホルモンを分泌せよと命令することであり、

それならなぜホルモンが出されると好きになるのかということになるわけですが?これ実はとても簡単な原理。

身体の各所から出されたホルモンが体を巡りつつ大脳に達すると脳を興奮させるからで、簡単いうとホルモンがあたかも麻薬のように脳へ覚醒状態を作り出すからなのですね。

言い方はよくないかもしれませんが、人を好きになるということは大脳がラリッている状態ということ (笑)。

これが起きるためには大脳が脳幹にいかがですか?と提案を行いますが、あくまでも本能が最終判断をつかさどっており、脳幹が不要と判断すれば遮断され、必要と判断されれば体に命令する。

大脳は本能行動に関しては全て脳幹の支配下(というか重要なことはすべて脳幹にお伺いを立てる)にあるわけです。

*ちなみに私の言っている事(愛は脳を覚醒させる事)が嘘だと思う人は大脳生理学の本を読んでみてください、完全に実証されていますから。

“ただし!”

大脳の”覚醒”と本能を直接結びつけて考えているのは、私以外にどこにもありません。

さて、そんな本能ですが、人を好きになる事意外に、本能は日常生活に大きな影響をもたらしており、それは愛以外にも帰巣や社会形成&帰属等本能等多々あるわけですが、

いずれも脳幹が最終的に判断してホルモンが出て、脳がそれによって快を覚えるようにできています。

簡単に言うなら、人はこの脳肝の判断―ホルモン分泌ー大脳の受ける快楽というシステムが生命維持と子孫繁栄のために必要な各種へ細分化され、
それが相互にバランスよく働く事によって安定した行動が出来るようになっており、当然にこのバランスが崩れるとさまざまな問題が起きて来る。

それではそれが崩れるとどうなるのか?という例を上げてみましょう。

もっとも顕著で、なった者しか分からない苦痛をともなうのが、引きこもりです。

これは社会に帰属しようとすることを初めとして人の持ちうるさまざまな本能行動を本能そのものが否定する(外部から見ていると感情が否定しているようにみえます)事から生じるものであり。
本来、なんの問題もない自然な日常を、本能が否定するわけですから、その苦しみは想像を絶するものになります。
本人は学校や職場に行きたい、でも体が激しい拒否反応を起こしていけない。
本人の真剣な思いとはまったく逆に体が反応する。
これらはけしてサボり等ではなく、本来正常に働かねばならない本能が故障した状態、もしくは本能その物が上手く身体の成長に追いていないかで、
これをもう少し簡単に表現するなら自分の意思とは無関係に本能が勝手な命令(例えば自己防衛本能)をする事で、ほかの本能が混乱したり動けなくなるということです。
例えるなら学校登校で「行きたくない」(自己防衛本能や帰巣本能)、「行きたいという(社会帰属本能)」がそれぞれ激しくせめぎ合いぶつかり合うわけですから、当然に身体は様々な反応を示します。
また本来起きるはずのない時に防衛本能が起きたりする事も多々あります。

それは全身の毛が逆立ったり、皮膚がまるでかぶれるように反応したり、突然の下痢や座り込みなどという外的な症状として表れ。

次にそうした本能同士のぶつかり合いの結果大脳は混乱して疲弊。
疲れきるのにけして休まる事は無い状況は当然に精神の健全性を保とうと防禦のために自然に外界からの刺激(情報)を遮断し始めます。

始めは雨戸を閉めて一日寝ていたりすることから始まり、夜昼逆転の生活もそこからで、最後には大脳自体が外界からの情報を遮断するようになってくる。
人の話を聞きたくても大脳が遮断し聞こえているのに聞こえない状況になるわけです。

本能が正常に働いている大人がこうした我が子を見て、救い出そうと原因を必至で捜し求めても答えがけして出てこないのは、こうした本能によるカラクリがあるからなのですね。 病気等ではないわけです。

ところが大脳だけで引きこもりを考えると、身体的な反応と心の動き等の相違を上手く結びつけることが出来ず、必ず最後には脳に異常があるかのように病名を考え出してあてはめ処理する。 病名をつけて薬物投与を行い、最後には本当に病気にしてしまう。
ここが恐ろしいのです。

ところがこうして本能を大脳より上にして考えると引きこもりの状態を極簡単に説明する事が可能にできるわけですが。

こうした本能を極めて粗末にあつかっている心理学や大脳生理学で考えると消して答えは出てこない理由は極簡単で、心理学はすべて本能を無視して構成されており、大脳生理学は脳幹が単に感情の源(これを本能としています)となる場所で、ホルモンを出す命令と生命維持のための基礎的代謝をつかさどるだけであくまでも大脳が脳幹より上として構成されているからです。

これではいくら引きこもりの原因を調べても分かるはずもありません。

引きこもりの子を助け出す唯一の方法ですが、いくつかに別れており軽度な場合は外的なアプローチでかなり助け出せるものの本格的な場合は、本来の本能活動をつかさどる脳幹事体を正常化させながら心そのものを強くしていく以外にはありません。
肉体は鍛えれば強くなれます、それでは心はどうなのか?というなら、やはりこれも鍛える事で強くなりますが、僕が「悪しき褒めてそだてる」、「叱らない教育」に関して警鐘を鳴らし続けるのは、一番思考がやわらかく、何でも吸収して心を強く出来る幼年期から小学校高学年にいたるまでにそれをする事が可能であっても、
反抗期が始まる中学に入ってからではあまりにも難しすぎるからです。
あとは他人の及ぼす心の教育が唯一の方法となります。

そうならないように誰が子供の心のトレーナであればよいか?というなら、それはもちろん親でしかないわけですが、

叱られる経験、褒められる経験、時として理不尽なことで盛んに葛藤して戦う心。
それが基本的人格を育て、後に他人と上手く協調して社会を生きていく力となる。

叱らずに褒めろでは、成人してほんの些細な事で人を殺傷するような人間へと成長してしまう・・・
「なぜか?」 理由は簡単です、自分の感情を正しく処理する訓練を親から受けることなく育つからです。