帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

世界一弱っちい日本の男(すわってオシッコだと)

2010年01月06日 | 研究-教育・育児
昨年の秋頃の話しになりますが、テレビ番組を見ていた娘が突然怒り出した。

近くでパソコン画面を見ていた僕は「なんだ? なんだ?」となったわけですが、
その内容というのが、

“日本の男”は小便するとき座ってやるというもの。

何でも、世界の中で女性と同じように便座に座ってやるのは、

世界広といえども”唯一日本だけのオリジナル文化”だそうだ。

全員というわけではないそうだが、ほぼ40%?(本当か?)の男は家では座ってするとのことで、

この話で娘が多少切れ状態なわけですが、結構激しい口調で「おかしいんじゃないの?」と言っていた。

そこで、「男がおかしいのか?」、「それを強制する女性(妻)がおかしいのか?」と聞いてみたところ。

結構はっきりと答えが返ってきた、ただ他の話もあって長いので要約すると。

・小便自体にばい菌はいない。(これは以前僕が娘に教えました、常識だと思いますが)

・ポツリヌス菌だ何だの事は、不衛生な状態を放置しておくから起こる(保険の授業より)。

・トレイは当然に汚れるものであり、だからこそこまめに掃除ところである。

・女性がトイレ掃除するのは至極当然?の事であり、単なる怠慢(汚いという意識自体が根本的におかしい)を基に、
性差を無視して男性(特に夫)にごり押しするは、甘えを通り越して日本の恥。

・怠慢中心のゴリ押しになぜ男性が平然と従うのか?それそのものがもっとおかしい。

ということらしい・・・。

他には用を足した後、便座を降ろそうが上げようが、蓋を閉めようがしまいが、そんな事どうでも良い事とも言っていた。

面白そうだったので僕もそこから先を見ていたのですが、この番組ではさらにおかしなことをやらかしていた。

本来タイル張りでバスルームと一体の部屋に設置するヨーロッパやアメリカで使用される便器(海外に行った経験のある方は分かるかと思います)を実験材料として使っていたのですが、

陶器製の丸い外周部分に飛び撥ねを見るための紙をのせて、さらに不自然に水面を高い状態にして、しかも陶器と水面の丁度境の処に水を噴射している(陶器面に出来るだけ垂直)、

「とうぜん撥ねるわな~こりゃ。」  (--”)

結果、「ほらみたことか!いかに小便が飛び散っているか見てみろ!」という演出ですが、いうなれば“やらせ”実験をテレビで垂れ流していたわけだ。

その結果はみごと紙の上に飛び跳ね後が残り、ほらこれだけトイレが汚れるのだと番組は証明?。

当然ですが、この実験をみていた僕と娘は思いっきりしらけてしまった。


”すこし頭の良い人間”ならすぐにこんなものは“やらせ”だと分かるのですが、何も考えずに見ているとそういう物なのとなってしまうだろう。

日本の家庭で使用されている洋式便器はTOTOやINAX等を代表としたメーカですが、こうした国内メーカーは非常に優れた設計と実験を繰り返しており、普通の人間が普通に小便をしても周辺に飛び散らないように深さや内部傾斜の角度、水面の高さきちんと設計されています。

問題なのはこうしたメーカの苦労と設計者をバカにするような捏造データを公的電波に乗せて放映していること。

しかしながらも、撥ねたところでそれがなんなのだ?と僕は思うわけですが、

実際にこうした国内の優秀メーカと異なり、ヨーロッパ製の便器は本来の設置場所を多くはバス室と一体の部屋に設置されることを前提にしてあり、汚れればジャバジャバと水をかけて全体を丸洗いする事から日本と根本的に設計視点が違っている。

そうした点からさほ飛び撥ねを気にしていないし、トイレとして個室に設置する場合にはきちんとそれようのものを使います。

こうしたやらせ&捏造番組放映して男を小便で座らせ、世界中の笑いものにすることでテレビ局は何が楽しいのか自分にはさっぱりわかりません。

ちなみに家では、息子も僕も絶対に座って小便はしません。

強制されれば多分大暴れします。 それで離婚になっても後悔は全くしないでしょう。

そんな“くだらない”女性を伴侶にして一生をすごす気など毛頭有りませんから。

以前のWEB日記から継続してこのブログを読んでくれている人は知っていると思いますが、僕の家庭では昔からトイレ掃除が娘の仕事となっています。

最低でも必ず週に一度は家族全員で家の掃除をしますが、特に土曜日の朝が多く、当然のことですが、娘がとりかかる少し前には僕や息子がトイレを使用しています。

その娘からの言葉が、冒頭に書いたものです。

ちなみに「小便直後に撥ね後がたくさん有る?」と聞くと「見たことないけど」とあっさり言い切ります。

常に便器周りをきれいにしていると、陶器面は常につるつるの状態で、便座を上げて用を足しているわけだから飛び散ればすぐに分かるとの事、残念ながら家のトイレはテレビの実験とは大きく異なるようだ。

常に掃除をしている娘はテレビの”やらせ”に気が付いて切れていたわけですが、

ほかにこんな事も言っていた、「今までそうした痕はあったかもしれないけど、それならきれいに掃除をすればよいだけの事」、
「男性が立ってやろうがなんら問題にもならず、掃除すればよいだけの事!」と。

トイレ掃除を娘の仕事にしたのは僕、掃除の仕方を教えたのも僕、長年の使用でどうしてもついてしまう水面の境やその下に付く水垢をクレンザー付けたスポンジで直接手を突っ込み洗う事を教えたりしましたが、

何でもそうですが、使用すれば車だろうが、トイレだろうか汚れるのは当たり前。

はじめは娘も掃除を嫌がったのは間違いないけれど、
人間の成長というのは嫌な事を乗り越えてそれをどう前向きの姿勢へと転換できるかにあると僕は思っている。

こうした家の教育を受けてきた娘にとってトイレ掃除は苦でもなんでもないものであり、部屋の掃除機かけと全く同じ事らしい。

ちなみにこうした要求を平然とする女性のキッチンを見てみたい、当然の事ながら性差を無視して無理やり強制するくらいだから、そうとう自分を律しているだろうからシンクの隅から隅まで常にぴかぴかに磨き上げられているだろうし、換気扇もぴかぴかで、よもや排水溝の屑籠にごみなんか一切溜まったりなどしていないはずだ。

肉や魚等の生ものはじめ食べ残しゴミまで扱うキッチンはトイレなんぞより数千倍不衛生で恐ろしい環境であり、トイレの座り強制してキッチンに食べ物かすなんか付いているようでは、本末転倒だ。

まあ、やらせ実験の悪質さにも驚いたが、座ってやらされている男性の多さにもあきれる、

立つか座るかという“たかが”の事だけど、こうした事を一つ一つ崩していけば、父親も母親という考えもなくなり、男性女性という考えもなくなって、最後に残るのはやたら女性化した男(女性は本能の問題で男性化しません)だらけの、世界一弱っちい国に成り下がるということ。

いやそれでさえ中国の新聞に日本の男性はブラジャーを着けていると大きく報道されている今の日本。

男らしさ、女らしさを非常に重視する欧米の若者に普段接している自分からみると、渋谷あたりを歩く若い男の子がオカマとゲイばかりに見えるのは幻だろうか?