今日は一寸つまらない話かもしれませんが、僕とバイクの歴史。
自分がバイクと触れ合うようになったのは普通より遅い18歳になってからです、16から免許は取れるが、興味の無かった僕はその年齢まで乗らなかった。
まあ、家が貧乏だった事も有り、春休みや冬休みにアルバイトして貯められるお金ではそれが限界だった事もある。
就職に際して本当に必要なのは車の免許だが、そんな贅沢を親に言うことはできませんでした。
初めて自分のバイクを手にしたのは、就職して間もない頃で、当時としては高価だったGL400というHONDA、それを3年に渡って乗り続けた。
家内ともっぱら出かけたのは車ではなくこれで、でかくて重いバイクだったけど、故障もなく走り続けてくれた。
車の免許は割とすぐに取ったのだけれど、それでもバイクに乗り続けたのは、そこに外界と閉ざされた空間しか無い乗り物と、感覚の乗り物との違いを強く感じていたからかもしれない。
以降、そのバイクからハーレーのFXS1340に換え、途中から子供を乗せられるサイドカー仕様に変更してもらい、多くの思い出をもたらしてくれた訳だけど。
このバイクは一度走行すると必ずどこかが壊れる、記憶に残っているので一番笑えるのが、走行中にバッテリーが落下したことだ。
普通、日本車はバッテリーがシート下に収納されるようになっているのだけど、ハーレーは車体サイドに取り付けられていて、取り付けの鉄製ベルトが振動で緩んで走っている途中で落下したという物。
後ろに乗っていた家内が「何か落ちているよ」(^^)ニコニコ
と暢気。 しかしそれを見た僕は大慌て (@@)ゲゲ!
、これは今でも笑い話のねたになる。
他にはエンジン内部のバルブステムが摩耗してオイル下がりがひどくなり、最後には蒸気機関車みたいに信号で 「シュッポ シュッポ」、ツーリングは常に1QT(約1L)のオイルを持って行き、
向こうでオイルを足して帰ってくるなんてこともあった。
最悪だったのは、真冬に出かけた先であまりの寒さにバッテリーが弱り、スターターピニオンがアウト(元々設計上の欠陥品)。
1時間もキックレバーを踏み降ろしたなんて事もあった。
まあ、その頃にはエンジンのオーバーホールが平然とできる技術力にはなっていたので、困りはしなかったけど、設計上も部品も粗悪だったことから、直したところがすぐに壊れるなんてのが普通で、
何より部品一つに万単位の出費が何より痛い。
やがて子供も成長し、故障ばかりの乗り物では出かけられないし、当然のごとくカバーをかけたままの時間が多くなった。
ついには下の子を授かるにいたり、駐車場の片隅で眠ることになる。
その少し前には職が変わってスーツを着て銀行や裁判所、法務局なんかに始終行く事が多く、さびが浮き始めた車体を見ていられ無くなり泣く泣く手放すことに。
全く乗らないまま朽ちていくより、可愛がってくれる人にゆだねたかったからだ。
その後数年は車だけの生活、ところが人の醜い面ばかりを見続けねばならないという、くだらない仕事に嫌気が差し始め、切れて今の職へ転向したことから再びバイクとのつきあいが始まった。
本当は再びVツインエンジンが欲しかったけど、すでに子供が成長して維持費がかかるのは許されなかったし、何より、早朝からあの爆音はあまりにもまずい。
そこで、当時”不人気”で有名だったFJ1200に目がいき、これがUK(キングダム仕様)の135PS、好きな空冷だったこともあり購入。
約10年という月日をこれと過ごしました。
さすがにおんぼろとなり、たまたま同型の色違いを中古破格値(なんたって不人気~! フンフン♪)で購入、しかしこれは一月もしないうちにお釈迦~! (^^;)初心者のパニックブレーキに巻き込まれた・・・
そして最後は、いま乗っている150PSのボロZXR1100(ZZr1100)となる。
非常に乗りやすくて良いバイクだけれども、冬の朝に起きるアイシングだけはかなりのストレスになる。
次は175PS出る隼1300かKAWASAKIのZZR1400が欲しいけど、これからまだ下の子にお金かかるしな~ (^^)えへへ
自分がバイクと触れ合うようになったのは普通より遅い18歳になってからです、16から免許は取れるが、興味の無かった僕はその年齢まで乗らなかった。
まあ、家が貧乏だった事も有り、春休みや冬休みにアルバイトして貯められるお金ではそれが限界だった事もある。
就職に際して本当に必要なのは車の免許だが、そんな贅沢を親に言うことはできませんでした。
初めて自分のバイクを手にしたのは、就職して間もない頃で、当時としては高価だったGL400というHONDA、それを3年に渡って乗り続けた。
家内ともっぱら出かけたのは車ではなくこれで、でかくて重いバイクだったけど、故障もなく走り続けてくれた。
車の免許は割とすぐに取ったのだけれど、それでもバイクに乗り続けたのは、そこに外界と閉ざされた空間しか無い乗り物と、感覚の乗り物との違いを強く感じていたからかもしれない。
以降、そのバイクからハーレーのFXS1340に換え、途中から子供を乗せられるサイドカー仕様に変更してもらい、多くの思い出をもたらしてくれた訳だけど。
このバイクは一度走行すると必ずどこかが壊れる、記憶に残っているので一番笑えるのが、走行中にバッテリーが落下したことだ。
普通、日本車はバッテリーがシート下に収納されるようになっているのだけど、ハーレーは車体サイドに取り付けられていて、取り付けの鉄製ベルトが振動で緩んで走っている途中で落下したという物。
後ろに乗っていた家内が「何か落ちているよ」(^^)ニコニコ
と暢気。 しかしそれを見た僕は大慌て (@@)ゲゲ!
、これは今でも笑い話のねたになる。
他にはエンジン内部のバルブステムが摩耗してオイル下がりがひどくなり、最後には蒸気機関車みたいに信号で 「シュッポ シュッポ」、ツーリングは常に1QT(約1L)のオイルを持って行き、
向こうでオイルを足して帰ってくるなんてこともあった。
最悪だったのは、真冬に出かけた先であまりの寒さにバッテリーが弱り、スターターピニオンがアウト(元々設計上の欠陥品)。
1時間もキックレバーを踏み降ろしたなんて事もあった。
まあ、その頃にはエンジンのオーバーホールが平然とできる技術力にはなっていたので、困りはしなかったけど、設計上も部品も粗悪だったことから、直したところがすぐに壊れるなんてのが普通で、
何より部品一つに万単位の出費が何より痛い。
やがて子供も成長し、故障ばかりの乗り物では出かけられないし、当然のごとくカバーをかけたままの時間が多くなった。
ついには下の子を授かるにいたり、駐車場の片隅で眠ることになる。
その少し前には職が変わってスーツを着て銀行や裁判所、法務局なんかに始終行く事が多く、さびが浮き始めた車体を見ていられ無くなり泣く泣く手放すことに。
全く乗らないまま朽ちていくより、可愛がってくれる人にゆだねたかったからだ。
その後数年は車だけの生活、ところが人の醜い面ばかりを見続けねばならないという、くだらない仕事に嫌気が差し始め、切れて今の職へ転向したことから再びバイクとのつきあいが始まった。
本当は再びVツインエンジンが欲しかったけど、すでに子供が成長して維持費がかかるのは許されなかったし、何より、早朝からあの爆音はあまりにもまずい。
そこで、当時”不人気”で有名だったFJ1200に目がいき、これがUK(キングダム仕様)の135PS、好きな空冷だったこともあり購入。
約10年という月日をこれと過ごしました。
さすがにおんぼろとなり、たまたま同型の色違いを中古破格値(なんたって不人気~! フンフン♪)で購入、しかしこれは一月もしないうちにお釈迦~! (^^;)初心者のパニックブレーキに巻き込まれた・・・
そして最後は、いま乗っている150PSのボロZXR1100(ZZr1100)となる。
非常に乗りやすくて良いバイクだけれども、冬の朝に起きるアイシングだけはかなりのストレスになる。
次は175PS出る隼1300かKAWASAKIのZZR1400が欲しいけど、これからまだ下の子にお金かかるしな~ (^^)えへへ