帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

有りもしないメガネ

2010年06月12日 | Weblog


習慣というのは面白いもので、メガネを不要とする現在、つい癖で外そうしてしまう。

特にこうしたパソコンに向かって入力をしている時に多い。


たった一つの補助機器、それがどれだけ自分の生活と密接な関係にあったかというのを思い知らされるわけですが、

目の回復力というのは恐ろしいもので、手術をしたのが9日で、それから3日経過した現在痛みは全く無い。

まがいなりにも一番痛みを感じる部分である瞳をカットしているわけだから、これが腕や足の皮膚のような鈍感な
部分ならともかく、普通でいられるのは不思議な感じすら覚える。

さて視力の方ですが、現在2.0をオーバーしているのではないか?と思わせられてしまうほどで、先日よりさらに
遠くの細かい物が見えるようになってしまっている。

近視の戻りが必ず有るというのですが、どれくらいでそれが起きるのか解りませんが、正直もう少し落ちてくれた方が
良いのではないかと思ってしまう程。

鮮明に見えることに憧れが有ったはずなのに、現実にそうなると惑ってしまうというのは、
隣の芝生は青く見えるというのと同じ事なのか? なんて・・・・ 

でも、なんか例えが違うような気もするな~(笑) (^^)

何故に見えすぎると困るのかというなら、例の最大問題である老眼。

近視であった故の恩恵?として享受していた(と言ってもすでに近いところは見えなくなっていたが)ものが、
年齢に応じた見え方になっているわけなのですが、「およよ・・・」と動揺することが多々有る。

それも、術後の視力回復にきっちり比例しながら起きてくる。


こりゃ~良いのか、悪いのか? (ーー;) 笑


さて、他にメガネを外して他に何が不都合かというなら、メガネというのが普段、しかも知らない間にどれだけ目を保護
していてくれたか? というのがよく解った。

例えるなら、今日の午前中に行ったシーズン前のエアコン掃除。

まあ、ブラシなんか使いながら吹き出し口の奥の方に付いたホコリやらカビやらを洗浄洗い出しするわけですが、その際に
飛び散った汚れが目に入って慌てたり、仕上げのアルコール(カビ殲滅のため)をハンドスプレーでシュコシュコ吹き付けていた際に
目に入り「いてて」なんてなったり。

本当なら、術後一週間は防護メガネを使用する事になっているのですが、見えるようになるとどうしても外して作業してしまう、
それがいけないのですが・・・・ (^^;)

何気なく使っていたメガネが、実は同時に目の保護にかなり役立っていたなんて、はずして初めて認識させられました。


ただ、こうした何気ない感謝も、すぐに忘れさってしまうだろう、なんて思うわけですが、不燃物としてゴミに出す瞬間
しばらく手の中にあるメガネをみつめ、何とも言えない感謝、そして寂しさみたいな感覚を覚えてしまう僕なのですね。