6月はじめ頃の天気図では太平洋高気圧は存在しておらず、おまけに気流の流れが数年前の夏が無かった年に似ていることから、「今年も夏は無し!」なんて思っていたのですが、
いつの間にやらでかい太平洋高気圧ができあがり、入梅直後から前線をぐいぐいと押し上げている。
「おかげで空梅雨か?」なんて思わせられる天気が続いたりして、基本的に雨が嫌いな僕にはうれしい限りだったわけですが、ここに来てなんか降っている。
まあ当然なわけですが、実はこの季節の、この気温下での雨というのは辛くはなく、帰り道はルンルン気分だったりする。
嫌いなのにそれと相反する気持ちにさせてくれるのが、この季節の雨。
何でか?というと、純粋に気持ちが良いのですね。
体に当たって飛び散るしずくの一滴一滴が優しく、緑の輝きや命の香りを放つ草花や木々達。
それが雨を介して感覚の中に直接飛び込んでくるわけです。
そうした物達との境が無くなるというか、普段なら空気がそれらとの距離を自然に保たせているわけですが、雨が降ると自分と接続されたような感じになる。
こうした感覚は車に一切存在せず、バイクの持つ特有な物でもあると言えるのですが、しばらく走ると冷えてくる体に、体温を制御する体の機能が働き出し、下手すると信号で止まった体から湯気が立ち上がっていたりして、
又それが妙に面白くて、生き物っぽくて・・・・
バイクに乗っていると、積乱雲の下で雷雨に遭遇することがあり、そんなときにカッパなんか持っていてもわざと着ないまま目の前の豪雨に突入したりする。
雨のカーテンの中に突入する瞬間に時間を飛び越え、幼き日々に自分が帰っていることがある。
空の虫かごと網をもって、ずぶ濡れのまま友達と唄を歌いながら水たまりの道をバシャバシャと歩いた事、神社の境内に震えながら座り、雨の過ぎ去るのを待っていた僕たちの前に現われた大きな虹。
たったこれだけの事だけれど、それを通じて躍動する心がその時も今も、何ら変わっていないのだと思うと嬉しいような・・・・
あさ、昼、夕にそれぞれ降る雨は同じ一日でも全く異なり、嫌な物であるはずがこの季節の雨ほど楽しい物はない。
いつの間にやらでかい太平洋高気圧ができあがり、入梅直後から前線をぐいぐいと押し上げている。
「おかげで空梅雨か?」なんて思わせられる天気が続いたりして、基本的に雨が嫌いな僕にはうれしい限りだったわけですが、ここに来てなんか降っている。
まあ当然なわけですが、実はこの季節の、この気温下での雨というのは辛くはなく、帰り道はルンルン気分だったりする。
嫌いなのにそれと相反する気持ちにさせてくれるのが、この季節の雨。
何でか?というと、純粋に気持ちが良いのですね。
体に当たって飛び散るしずくの一滴一滴が優しく、緑の輝きや命の香りを放つ草花や木々達。
それが雨を介して感覚の中に直接飛び込んでくるわけです。
そうした物達との境が無くなるというか、普段なら空気がそれらとの距離を自然に保たせているわけですが、雨が降ると自分と接続されたような感じになる。
こうした感覚は車に一切存在せず、バイクの持つ特有な物でもあると言えるのですが、しばらく走ると冷えてくる体に、体温を制御する体の機能が働き出し、下手すると信号で止まった体から湯気が立ち上がっていたりして、
又それが妙に面白くて、生き物っぽくて・・・・
バイクに乗っていると、積乱雲の下で雷雨に遭遇することがあり、そんなときにカッパなんか持っていてもわざと着ないまま目の前の豪雨に突入したりする。
雨のカーテンの中に突入する瞬間に時間を飛び越え、幼き日々に自分が帰っていることがある。
空の虫かごと網をもって、ずぶ濡れのまま友達と唄を歌いながら水たまりの道をバシャバシャと歩いた事、神社の境内に震えながら座り、雨の過ぎ去るのを待っていた僕たちの前に現われた大きな虹。
たったこれだけの事だけれど、それを通じて躍動する心がその時も今も、何ら変わっていないのだと思うと嬉しいような・・・・
あさ、昼、夕にそれぞれ降る雨は同じ一日でも全く異なり、嫌な物であるはずがこの季節の雨ほど楽しい物はない。