久しぶりに孫の話。
「あんた、一体いくつなんだよ?」と言葉が飛んできそうですが、 普通のじっちゃんより年齢的に遙かに若く、
孫と二人でいるとほぼ間違いなく親子に間違われるます。
と、そんなどうでもいい話は置いておいて、 息子がこの間来たときにその孫の話になり、
すでに読み書きが出来るようになって来ているらしく、高知能児らしい特徴がだいぶ出てきているなと・・・・。
ハイハイしていた時には、五月人形をしまう僕の近くに来て手伝おうとしたり、 2位の歳の時には家に届いたテレビの組み立てで、僕からドライバーをひったくって一緒にやろうとしたり、
3歳の時には大人の感情をよく読み取って、自分の気持ちを抑制したり、同じ言葉をきいても、発声や強さから来る意味の違いというのを、かなり正確に理解していた。
数ヶ月前に5歳になったばかりの孫ですが、まだ書くのはひらがな程度ですけど、読むのはだいぶ出来るらしく、それにより何かを組み立てたり、作る時に説明書をきちんと見て理解し、
引っかかる事や疑問があれば聞いてくるし、図鑑などの参考部分をよく見てから動くらしい。
元々、僕自身が子供の頃そうで、故に幼い頃より「おまえは何を言っているか解らん!?」と言われ続けて、さんざん親を困らせて来たのですけど、
正直言って、人は普通というのが一番よいわけです。
高い知能を備えてしまうのは、その引き替えとして人格的問題を抱えることが多く、能力は高いが異常(異様)な人間性を備えてしまう人間が現実に沢山いる。
難しいのは、なんせ親が子供の思考を読み切れない事で、理解しきれないのが小さな不理解と誤解になり、その小さな蓄積がその能力の下手に作用すると、
ねじ曲がったり、ゆがんだり、普通では無い物事のとらえ方をする思考になったりもする。
僕なんかそうでしたけど、孤立しやすいし・・・・、
最悪なのは反社会性人格障害で、これは高知能児だからと持てはやして育てたり、特別な教育を無理に受けさせたり等々、
そうした親の思い込みと、ゆがんだ目的で作られた環境が、子供に意味の無い自信と万能感、俺はすごいんだ!的な根拠無き物を頭の中に構成させる。
あたかも生まれながらに特別な存在として備えているかのようにしてしまうと、現実の厳しさとの間で人付き合いの整合性がとれなくなり、
最終的に反社会的思考が育つことがある。
勉強など机に向かって鉛筆動かしていれば誰でも点数は取れる、しかしながら人間同士の感情の接触は全く違う物だからだ。
いわゆる”褒めて育てる”という犬猫教育を人間に適用して出来上がった人格。
例えると、根拠無き自信がその教育法では育ち、その有りもしない自分を守ろうとして切れる、病む、引きこもる、事件を起こす、等々の行動が多々見られる昨今の若い連中。
それを見ても判るけど、本来有る人の自然な感情をおかしな理屈でもねじ曲げて子供を育てると、とくに高知能時の場合はそのさらに上を行く悪質な人格になりやすい。
運のよいことに、家の息子夫婦は自分の子を普通の感覚で、普通に育てており、特別扱いもしない。
調子こいて、どこぞの知能育成教室に入れ、自分達の自慢ネタにしよう等と言う、ペット自慢よろしく的な愚発想も無い。
腕白でおおらかで、沢山友達と遊んで、元気+健康体で育てば、それだけで十分だと、
僕も息子と同じく思うんですね。