わたし上杉隼人は英日翻訳だけでなく、日英翻訳と、英語で直接書く仕事も同じくらいしているのですが、時々日本語があいまいで意味が取れないということがあります。
たとえば宮沢賢治の「『春と修羅』序」に次の表現がある。
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
最後に、
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
とあるが、
透明な人類の巨大な足跡を
というが、「透明な」のは、「人類」か、それとも「足跡」か?
普通に考えれば、おそらく「足跡」ではないかと思うが、宮沢賢治となると話は別だ。もし本気で訳して出版するとなれば、宮沢賢治の研究者にお尋ねするということになるが、それでも多分意見は分かれてしまうと思う。
その場合はどうするか?
ひとつにはいろいろ調べて、権威ある方にお尋ねしてみるということになる。
それでもわからなければ、翻訳者がこうだと判断して訳すしかない。
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
であれば、
A
Or they might just stumble
Upon the giant footsteps of translucent man
In a stratified plane of Cretaceous sandstoneか、
B
Or they might just stumble
Upon the translucent giant footsteps of mankind
In a stratified plane of Cretaceous sandstone
あたりになるだろう。
「足跡」が「透明」だったら見えないんじゃないか、と普通の翻訳者であれば自分で突っ込んで考えるだろし、それをいうなら「人類」が「透明」でも見えないだろうと考え直すこともあるだろうから、「英語として自然な表現にする」というのもひとつの判断材料になるだろう。
この場合どっちがよいか?
もう少し英語力を磨いてから、再度考えてみたい。訳してみたい日本文学もある。