Cogito

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

オーストリア・チェコ

2005-05-18 16:42:10 | 旅行記 ヨーロッパ

doll
プラハの街角で

2003年9月22日(月)

午後から成田へ出かけていく。ここ10年ぐらい、お昼ぐらいのフライトなら朝が苦手の私としては、成田でホテルに泊まることにしている。今回はフライトが10時10分だから、papasanの希望の窓際の席をとるためには8時10分までには行かなければならない。家からとなると、とても起きられない。

道路状態もよく、比較的早くついてしまった。半袖シャツで来たので、ここで着替えて車においていく。

食事の前に最上階にあるバーへ行った。食事は和食で日本酒を飲むから、カクテルはそうは飲めない。軽くジンフィズを飲みながら夕日の飛行場を眺めていた。毎度のことながらマッサージをしてもらい、眠りに着く。

9月23日(火)
起床5時半。支度をして車に残していく荷物をしまい、6時過ぎ朝食に行く。

7時前にチェックアウトに行くと空いていて6時55分の空港行きのバスに間に合ってしまう。15分ぐらいで第二ターミナルにつく。まだ係りは来てていない。私はふらふら歩いている。ウィンドサイドの席を確保するためにpapasanは並んでいる。オーストリア航空の座席は2,4,2だからウィンドサイドだと気はラク。

係りが来た。ウィンドサイドはいいところはほとんど他の会社の団体に占拠されているという。でも翼の近くがあったので、ひとますはほっと。ところがその後がいけない。機材搬入遅れだとかで、飛行機がウィーンを発つのが大幅に遅れ、その影響でこちらにつくのが午後、出発は13時10分になるといって、千円の昼食券をくれた。papasanはこんなこと初めてだが、私はネパールへ行くとき7時間も遅れた経験がある。

忘れたものはかなりある。なんとトーマスクックを入れ忘れた。成田で泊まったときに整理すればいいといいながらガイドブックは数冊入れたら、papasanが今回はドイツはやめようと言い出した。「35日フランスにいたけど回れたのはあの程度だったから、ドイツも30日くらいかけてドイツの田舎だけ回ろうよ、ドイツは春がいいね」Chopinさんやらじさんのドライブを吹聴した効果があって、papasan、車でまわる気になっている。もともとヴァイマールがどうなったか見たいから、またヴァイマールに行こうと言い出したのはpapasanだ。「いいよ、ほんとは2週間じゃぁ、チェコとオーストリアだけで手いっぱいだよ」
そこで今回は数箇所で、のんびりしようと言うことになった。だからドイツのガイドブックは着替えの中に入れて車に残してきた。

いつもカメラバッグに入っているので安心してたが、靴べらもない。おや折り紙もない。そこで二階へ買いに行く。トーマスクックは本屋にあった。私がミスしたので私が買う。時間があるので、ユーロを少し買った。バス代が必要だからと。

9時から11時まで、出発の入り口は列が幾重にも出来、まるで最終日の展覧会場みたいに混雑している。何回も空港に来ているがこんな情景は初めてだ。11時になれば行列も空くと言うので、椅子に座って待っている。私はふらふら歩き、どこかにPCがないかと探している。宣伝のスクリーンで1階の到着ロビーにPCがおいてあると見たので探しに行く。あった、あった、2台。一台は外国人女性が使っている。横文字が並んでいるのが見える。となり座って、100円を入れ、文字のツールバーがどこを探しても現れない。教えてもらおうときょろきょろしたが、まわりに人がいない。まさか隣の外人さんに聞くわけにもいかないし。あちこちいじったが見つからないのでしかたなく、英文で数行うちこむともう10分経ってしまった。
中に入れば、きっと日本語の出来る機種があるだろう。やれやれ。出発の成田からもう躓いている。

お腹はすいていないがもらった食券で、二階で軽くザルソバを食べた。東京駅の地下にあるそじ坊がここに入っている。だから期待したんだが、期待は裏切られた。この店はどこも生わさびをつけているが、それはここにもあった。papasanがすりおろして鉄火につけてよろこんでいる。

ようやくチェックを受ける。シールバッグに入ったフィルムを2袋、トレイに載せる。フィルムは例によってひとつずつふたを開けて全部調べられる。係りに「ひとつひとつご苦労さま、でも、こんなことするの日本だけですよ」っていうと「そうなんですか」と若い係員がびっくりしたように言う。「別に協力は惜しみませんけどね」とは言ったものの、シールバッグの中にきちんと並べてあったフィルムはぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃでもいいんだけど、バッグに入れるときかさばってしまうんだなぁ。

B71,待合室のコーナーにノートパソコンが一台置いてある。使っていいものらしいが、外国人女性がずっと使っているので試せない。トイレに行って戻ってくると、今度は外国人男性が。とても割り込めない。先回アリタリアの搭乗口近くに10分100円のPCが数台あったから、どこかにあるのではないかと探しに行くが見つからなかった。だったら、あそこでもう少し遊んでくるんだったな。

今回から綿シャツの上に網製のポケットがたくさんついたベストを着込んだ。中村さんからのプレゼントである。ノート、文庫本、めがね、お腹に入れるものをやたらと入れてある。阿刀田高の「新約聖書を知っていますか」を読み始める。実におもしろい。

12時すぎ、見覚えのある機体が入ってくるのが見えた。「ああ、来た、来た。これでどうやら出発できる」と騒いでいる。

席は31のJK。翼のすぐ後ろ。なんとか地上は見える。いつものようにウィンドサイドはpapasan。だから私は外を見ようともしないが、ときどきここはどこだと言う声に外を見る。沿海州からハバロフスクをぬけていく。高い山々は粉砂糖をまぶしたようにうっすらな雪を被っている。きびしい冬の到来が近づいている。シベリヤの内陸部は一面カバ色。光をうけて、もそもそと土くれが重なり合っているように見える。その中をうねるように蛇行する川の流れ。あの色なに?と驚いたが、きっと木々の葉が褐色に変わっているんだろう。ここらへんはタイガだと思っていたけど、落葉樹も多いんだ。

papasanはトイレに行く、散歩に行く、と言っては何回も席を立つ。そのたびにどかされるので、ウィンドサイドを私が取る。
ウィンドサイドの方が風が通って寒い。

ほとんど厚い雲に覆われて下界は見えなかったが、大きな川を見た。白い旅客船も何隻も見える。ここらへんで大きな川、ボルガかな、とするとあの大きな市はモスクワかな、などといいながらのぞいている。たぶん、あれはソ連式のアパート群だと思うが同じような長方形の建物が並んでいる。ミンスクのデニスの団地を思い出し、みんなどうしているかと話し合っている。来年こそはまた訪ねてみよう。

あっ、ドナウ川だ。この畑のさま。なつかしのウィーンだ。おや、風力発電が増えたなァ。ヨーロッパは二酸化炭素対策を確実にすすめているようだ。17時50分、ウィーン到着。イミグレイションでパスポートを出すと、ガチャンとスタンプを押したような音。あれ、スタンプ押してくれたのかな。

シティターミナルまでのシャトルバスがちょうどあった。2人で12ユーロ。夕暮れ迫るウィーンをきょろきょろしながら行く。
シティターミナルはヒルトンホテルの横。ヒルトンは改築中。

橋を渡ってリンクを抜けて、ステファンドームの横を通って、ホテルを探しにステファンスプラッツへ。広場にはいつになく大勢人が出ている、大道芸もやっている。あたりはすっかり暗い。でもウィーンには隣町に来たような安心感がある。ペストの記念碑の近くグラーベンに「ホテル グラーベン」がある。「部屋は狭いけど、ここでいいよ」ここに泊まるのは何度目だろう。
部屋はあった。1泊170ユーロ。高いけど、しかたないね、とチェックインする。同じ飛行機の日本人の二人連れも。その後、前の席にいたお兄さんもここに来た。部屋は34号室。狭いと思っていたら、広い部屋だ。グランドピアノもある。だから高かったのかな。こんなものいらないのに。ピアノを弾くと、鼻づまりの音がした。
1
ペストの碑

カメラを持って、なにか飲んでこようと外に出る。目の前がペストの碑だからにぎやかだ。修理中のステファンドームの写真を撮ると雨粒がぼつり。おや、雨だ。言ってる間に降る量が増える。こりゃいかんとホテルに引きし、ホテルのトラットリアでワインを飲む。
1
グラーベンのショーウィンドー

9月24日(水)
1
夜のシュテファンダム

早く寝たので夜が長い。何回も目を覚ます。しかし、起き上がって何かしよういう気力はない。6時ベッドを抜け出し、日記を書き始める。まだ外は暗い。「7時だよ、朝食にいこう」といわれ、あれ、もうそんな時間なんだと気がつく。

朝食後8時すぎ、カメラだけ持て町に出る。小雨が降っている。半袖の下着に綿のブラウス、網のベスト、いつもの裏つきのゴルフジャケット。レインハット。papasanは綿の下着に綿の半袖のシャツ。薄手の防水のジャケット。羊毛のハンチング。ケルントナー通りをオペラ座に向かう。記憶がよみがえる。けっこういろいろ覚えてるもんだ。オペラ座でスケジュールを調べる。27日にトスカがある。29日はフェードラだ。チケットを買ってもいいんだけど、帰ってこれるかな。27日どこにいるかわからないが、そのために帰るのは面倒だ。

いつもウィーンでの事始はリンクを回るトラムに乗ることだ。一周して来て、モーツァルトの像の前で降りる。寒い。セーターを着てこよう。公園の中を歩いてホテルに向かう。ハトがいる。池にはアヒルもいる。ポケットからパンを出してちぎって与える。雨はぽつぽつ。戻るともう部屋の掃除は済んでいた。

フロントでプラハへの行き方を聞くと、南駅発で直接プラハへ行く電車があると教えてくれた。そこで南駅まで明日のチケットを買いに行く。今度はデメルの前を通って。papasanが「デメルはこっちじゃないの」と反対方向を指差す。「いいえ、こっち。方向音痴だけど、この町だけは任しといて。ほらね」「おそれいりました」でも、デメルはまだ開いていない。この頃はそんなにデメルで食べたいとは思わない。カフェ・モーツァルトもザッハーも素通り。

途中、演劇の広告で今夜アンティゴネーがフォルクス劇場であることを知る。チケットを買いに入るとキャッシュ・オンリー。一人42ユーロ。キャッシュの持ち合わせは45ユーロしかない。ATMを教えてもらい、そちらの方向に歩き出す。ところが道を間違えたらしく、教えられたところにはない。しかないないのでアンティゴネは止めにする。しばらくしてバンクを見つけキャッシュを下ろすことが出来た。

「まかしといて」と言っていたのが、ここでミス。こっちだと頑張ったら、元に戻ってしまった。あぁ、ぼろが出ちゃった。でもステファンドームがあるから、迷子にはならないね。ムジーク・フェラインの予定も見てこよう、と再び歩き出す。途中、インペリアルでお茶とアプフェル・シュトドゥーデルを食べた。以前はケーキを何種類もとって、My mainなんてしゃれてたけど、もうそんなには食べられない。ここの紅茶もティーバッグ。アプフェル・シュトドーデル、うん、いまいちだ。パラチンケンにすればよかったかな。

歩くと暑い。ここでセーターを脱いでしまう。余計な荷物になった。ムジーク・フェラインはすぐ隣。今夜の演奏はない。27,28日にムッテイ指揮があるが売り切れの表示。ウィーンに来る楽しみは音楽会なんだけどなぁと残念がっている。ついでにセセッションでベートーベンフリーズを見る。クリムトがベートーベンの第9、歓喜の歌を象徴したものだ。

南駅へ明日の10時25分発プラハ行きのチケットを買いに行く。南駅まではオペラ座前からトラムDで。途中べルベデーレを通る路線。かえりDがどこまで行くのか乗ってみることにする。行き先はNussdorf。おや、フンデルトワッサーのごみ処理場だ。行き先を読んでいたpapasanが「ベートーベンガンク(ベートーベンの小道)って書いてあるよ」という。外を見るとなじみのある風景。「ここはハイリゲンシュタットだよ。ベートーベンガンクがあって当然だ」今日は天気が悪そうだから郊外へ出るのを止めていたんだけど、雨は上がり日も射し始めた。おやまぁ、いつも乗ってたのはDじゃなかったと思うけど、また来ちゃった、ご縁があるね。

終点で降りてベートーベンガンクを歩き始める。趣のない小川沿いの道。コンクリートで固めた川だ。もうすこし環境を整えればいいのに。日本人のご夫妻はそっちへ向かうが、途中で私たちはエロイカガッセに向きを変える。思い出した、この道。この家、前はこっちから上ってきたんだ。あっ、このレストランで食事をしたんだ。じゃぁここで食べようよ。入ろうとすると、レストランは閉まっている。休みなのか、閉店してしまったのか、人の気配はまったくない。

レストランをすぎ、坂を下ると、ベートーベンの絵が描いてあるレストラン、この前もここで写真を撮ったよ。入ろうかと、のぞくと開店は18時から。幼稚園の横をのぼり、セントミカエル教会で思い出したように中に入って、マリア様にお天気をお願いをする。

EINBARNの標識を追ってやっと38番の電車に出会う。「この電車、町まで行く?」と車掌に聞くと「ヤー」フンデルトワッサーのゴミ処理場を左に移動して、リンク傍の二つの塔のあるヴォーティーフ教会まで来る。うん、来た来た、と、電車はターンして、いつしか中心から離れて行く感じ。私はこの電車が南駅に行くものだと信じているから、なんの不安もない。「ウィーンってには、なんか隣町に来たような安心感がある」なんて言っていたら、電車はまたフンデルワッサーのゴミ処理場の方へ来た。あれ~、また、間違えた。やっぱり、7年ぶりはおのぼりさんだ。あわてて降りて引き返し、教会近くで下り、リンク2に乗って戻る。
「フンデルトワッサーのゴミ処理場、見学出来るんだよ。ウィーンに戻ったら行ってみようよ」

夕べにつづいてトラットリアへいく。このホテルはイタリア系だから、レストランはイタリア料理。キャンティを1本取って、私はスパゲティ・ポモドーロを頼む。papasanはピザ。ソースは美味しかったが、パスタは柔らか。以前はそんなことなかったのに。「ソースは美味しい」というと「サンキュー」というから「でも、パスタがアルデンテでないよ。私はアルデンテが好きなの」うるさい客だ。

9月25日(木)
雲ひとつない快晴。マリア様の霊験はあらたかだ。7時過ぎ食事を済ませ、時間があったのでステファンドームに行ってマリア様に感謝し、またまた今日のお天気を願う。

9時過ぎグラーベンを出て、オペラ座に向かう。オペラ座からトラムDで南駅へ。電車で1駅分のチケットを買おうとしたが、紙幣しかない。紙幣はダメとのことで、南駅でおりて急いで売店で買ってもって行くが、運転手が代わってしまってわからないという。また帰って来てから使えると、そのまま貰っておくことにする。

10時25分ブルノ経由ハンブルク行きのEC,ファーストクラスだ。コンパートメントには私たちしかいない。ピーと言うホイッスルと共に発車。めずらしい、こんなホイッスルを聞くのは。車窓から広がる麦や牧草地を眺めている。ブドウ畑もある。道に沿うはポプラの並木。並木道に背の高い木を植えたのは日陰が出来ることもあるが、目印にもなったのだろう。ヨーロッパの風景だ。刈り取られた麦畑ではたくさんのハトがなにかさかんに拾っている。ハトの落穂拾いだ。畑の上を舞うのは小さなタカ。ネズミや小動物がいるのだろう。あれ、ウサギだ。茶色の野ウサギが向こうを見ている。

ほどなく二人連れがパスポートチェックに来た。オーストリアのチェックだ。電車マークのスタンプを押してくれた。そしてチケットの検札。続いてまたパスポートチェック。まだオーストリア領内なのに、今度はチェコ リパブリックのチェックだ。チェコに入ってまたチェコの車掌のチケットの検札。もうこれでいいだろう。すると今度は女性が入り口に立っている。「何ですか?」ときくと「マネーチェンジ」に来たのだという。ちょっと危ぶんだが、駅にATMがないと電車代に困るので、50ユーロ両替してもらう。率は悪かったかもしれないが、これが大いに役に立った。

チェコに入ってから列車のスピードがぐ~んと落ちた。広軌は同じなんだが、なんでだろう。チェコに入ってからは日本みたいに山と言うか切通しを縫って走る、そのせいかも。プラハ近くなってまたスピードが出た。

papasanは持参のウィスキーを飲み干して酔っ払って寝てしまった。時間あるから大丈夫だと言って。成田で買ったときから心配していたのだが、まったく困ったことだ。プラハ14時59分。到着1分前にトイレに行ったきり戻って来ない。到着してみんなが下りはじめたので、荷物を全部持ってひとりで降りる。荷物をおいて探しに行くわけにいかず「papasan!」と大声で呼んでいる。ようやく、姿が見えた。「終点じゃないの?」と言いながらやっと降りてきた。「次はドレスデン。ベルリン、ハンブルクまで行っちゃうよ」と怒鳴っている。

駅は本駅ではなくホロショビッツ駅だ。そっと寝かしておいたのだが、ウィスキーを半分開けたのだから無理はないが、酔っ払いは回復していない。歩くのもやっと、ふらふら千鳥足。仕方がないので、大きなバッグは私が持つ。本当なら地下鉄で行くところだが、タクシーでヴァーツラフ広場まで来る。500コルナ。1コルナ、約4円。ボラれてるかもしれないが、酔っ払いがいてはしかたがない。

ヴァーツラフ広場は、なにこれ!というくらい人、人、人。まるで革命の日みたいだ。ホテルを1軒ずつ当たるがどこも満杯。
一日なら部屋があると言うが一日ではと困ると捜し歩く。かなり歩き回った。一軒の小さなホテルで、ここはないが他を探して、地図を書いてくれた。聞き聞き歩いたのだがそのホテルはとうとう見つけられなかった。
girl

途中で見かけたホテルROTTできくと3晩はダメだが、2晩ならいいというのでそこにチェックインする。部屋は1泊240ユーロ。シーズン料金で高いが、しかたがない。チェックインにいらいらするほど待たされる。やっと部屋のカードを貰い、エレヴェーターで3階に上がる。エレヴェーターもカードを差し込まないと乗れない。これはオスロで経験済み。省エネで廊下には明かりはない。小さな電灯を押すと廊下の電気はつくようになっている。フランスでこういうスタイルに出会っている。

部屋はきれいだが、バスタブはなくシャワーだけ。テレビでインターネットが出来るようだが、どうすればいいのかわからない。自分のPCが接続できるように差込口もある。設定の仕方も書いてはあるが、説明はチェコ語だから全く読めない。残念だが私はまだ使えない。先ずはカメラを持って散歩に出る。tean
ティーン教会

ホテルは旧市街広場の近く。うん、こっちの方がむしろ観光には便がいい。旧市街広場には屋台が並び、仮設舞台がつくられ、そこで若いミュージシャンたちがうるさいくらいのボリュームで騒音を流している。黒山の人だかり。2頭立ての馬車に乗った。700コルナ。川岸の市民会館の前まで行って、ベツレヘム礼拝堂の前を通ってきただけ。な~んのこっちゃ。高いなァ。広場の入り口には旧市庁舎。人形が出てくるらしくみんながたかっている。5時10分過ぎ。人形を見るにはまだ時間がある。市庁舎の上に上れるみたいなので、インフォメイションに行くと、5時で終わりだと言う。9時から5時までとのこと。
広場の正面には双塔のティーン教会。広場も通りも、なんせすごい人ごみ。人の流れに沿って歩いていくと火薬塔に着いた。そこを抜けると、きれいな建物にぶつかった。ガイドがさかんに団体客に説明している。私も写真を撮っている。

とその建物の前に明晩のコンサートの案内。演目はモーツァルトとベートーベンだ。二人で話していると、男性が「いかがですか」と声をかけた。「どこでやるの?」ときくと、今写真を撮っていたこのきれいな建築物だと言う。「ここコンサートホールなの?」男性はにこやかに「イエス」。「チケットはどこで買うの?」「ここです」といって私たちを建物の中に誘った。チケット売り場がある。会場写真をみせ、どこがいいかという。舞台の前が1300コルナ。両サイドが1000コルナ。センターが800コルナ。センターのベストサウンドの席がいいと買うと800コルナの席だった。VISAもOKだったがちょうど1600コルナ持っていたのでキャッシュで払う。明日が楽しみだ。
ATMを見つけお金を下ろすと2千まで。やっと3千下ろした。やだなぁ。両替はたくさんある。日本円もある。しかたがなければ日本円を両替すればいい。
squire
旧市街広場

食事をしたいが、旧市街広場のまわりはうるさくてイヤだ。ホテルの隣がレストラン。Traditionalと書いてある。入ってみた。
「予約は?」「いいえ」というと地下の穴倉のようなつくりの部屋に連れて行かれた。メニューには日本語もある。ということは日本人客も大勢来るのだろう。隣の部屋でショーがあるのだろう。民族衣装に着替えた男女が待っている。ショーは予約じゃなければ見れないのかも。シェフお勧めのメニュー。牛肉のピリカラ。と骨つきポーク。ピリカラはビーフを小さく切ってトマトソースと唐辛子で煮込んだもの。それを大きなパンの中に入れて出てきた。その大きさに先ずはうんざり。付け合せにピクルス。紫キャベツの酢漬け、サニーレタス、パプリカ、これもたっぷり。さらにびっくりは骨付きポーク。一本そのまま上にナイフとフォークを刺して皿にのっている。見た目も山賊料理みたい。味はなんだろう、ナイフで一口そいで、ポークの味にうんざり。papasanと取り替えてもらう。小さなパンがいくも出たので、それにビーフを載せてたべている。キャベツの酢漬けはいける。papasanはビール、私はワイン。Traditionalはもうパス。二人ともほとんど食べられない。なにか舌にあうもん見つけなければ。上はガラス製品のお店。お土産にボヘミアングラスを買って帰ろうと思ったが、すこぶる高い。

9月26日(金)
7時朝食へ行く。昨日のことがあったので、期待していなかったがここの朝食も美味しい。ハム類の味は悪くない。小さなパンも美味しい。パンをひとつハトのためにポケットに入れる。8時前にはホテルを出て、昨日見つけた建物の写真を撮りに行く。なんせ今回の目的はバロックやロマネスク、アールヌボー様式とりどりのプラハの建築物をみることだから。カレル橋のひとつ上の橋を渡って遠くからカレル橋を写す。朝のせいか観光客はまだ少ない。モルダウの流れがきれいだ。

roofs
プラハ城から

プラハ城に向かって坂を上っていく。結構距離がある。タクシーで上って歩いて降りてこようといったのだが、歩かされる羽目になってしまった。城に入ろうとするとちょうど衛兵の交代式。ミーハーになって写真を撮りながら交代式を見ている。
交代式はあっちこっちでよく見るなァ。ここの一室でハベル大統領が執務していると「プラハを歩く」に書いてあったけど、
どこかなぁ、ときょろきょろしながら入る。まずはヴィート大聖堂へ。ここで城内の見学場所の共通券を買う。チケットを示すと、はさみを入れてくれる仕組み。一人220K。ステンドグラスがきれいだ。聖堂でマリア様にお礼と更なるお天気のお願いをする。聖堂の奥はさっきの共通券が通用する。次はバッロック様式の聖イジー修道院。そんなに大きくないが、シンプルでやさしくってとてもいい。板張りの天井もいい。

黄金のの小道、ここは小さな工房が並んでいる小道。織物、ガラス、陶器、人形、楽器などなど、ここの生産物はギャラリーで売っている。この小道は絵になると言いながら写真を撮っている。またまた聖堂近くまで上り、旧王室や天文などの資料の入っている塔をみてまわる。疲れた、足が痛い。なんてたって、石畳の道だ。足には優しくない。

下に降りて電車でさっきの上り口まで戻り、カレル橋をわたる。橋の両欄干には彫像がいっぱい立っている。売店もいっぱいある。なんともひどい絵を売っている。写真も並べてある。名所だから仕方がないが、人、人、人。モルダウの流れをのぞくとカモたちが流木よけの木組みの上で眠っている。ポケットにあるパンを投げると、目ざとく見つけたユリカモメが取りに来た。そうだ、そうだ、今朝のパンもある。全部やってしまった。

川沿いのスメタナ記念館を探す。テラスにはスメタナの像があるが、まわりはレストランだ。まずはお茶を飲む。papasanはビールだ。記念館はこのレストランの2階。下でチケットを買う。ひとり50k。上に行くとカメラ代が必要だと言うが、写真は撮らないといカメラのメイン・スウィッチをきる。資料と言ってもさほどのものがあるわけじゃない。自筆のスコアのコピー。
両親の写真などなど。音楽は流れていない。音楽家の記念館なら、先ずは静かに作品を流すべきだよ、文化がないね、
と文句を言っている。言葉(英語)が通じたらきっと文句を言ったろう。スメタナやドボルザークはチェコを代表する作曲家、プラハの春の音楽祭にも大々的に使われているが、それにしてはこの記念館はお粗末だ。スメタナ記念館がこんなていたらくじゃ、ドボルザーク記念館も、今夜の音楽会も期待薄だ。
plahacasle
プラハ城を臨む

本駅の方に歩いていき、ミュシャ美術館を探す。ヴァーツラフ広場のもうひとつ向こうのとおりを戻ったところ。すぐわかった。ミュシャのデザインはよく知っている。でもこれだけそろっていると彼の世界に入れるから印象はとてもいい。この人あたりからグラフィックデザインができたんだろうとポスターを見ながらつぶやいている。有名なサラ・ベルナールのポス多ーも何枚もある。でも彼女がハムレットをやっていたのはしらなかったな。彼女が愛した別荘はベル・イルにあり、行ったことがある。

ミュシャを見て旧市街広場に戻り、インフォメイションで明日のバスターミナルを教えてもらう。隣の食堂で昼を食べる。
思い出して市庁舎の塔に上がる。一人40k。3階がチケット売り場。3回までもエレヴェーターがあったのだが、気付かずあるいてしまった。階段上りは足の弱い私には一番きつい。ぶーぶー。3回からはエレヴェーターがある。エレヴェーターのまわりを回り道ができている。スロープはゆるやか。これなら歩けそうだ。かなりの人が歩いている。

塔からの眺めはいい。足がすくむ。お尻がもぞもぞするがこらえて大好きな構図、屋根、甍の波を撮っている。正面から光が当たっているところは平面になってしまうので、ぐるっとまわりながら、光のいい場所を選んでいる。赤い屋根が重なるサマはいつもいい。

エレヴェーターで降りる。下に来て15分待って4時の市庁舎の天文時計を見る。ホテルに戻り洗濯をしシャワーを浴び、コンサートまで一休み。
whatSthis
この人たちはなに?

7時、寒くないように着込んでコンサート会場へ行く。ここに来てやっとこのコンサート会場がスメタナ音楽ホールであることにきがつく。内装のデザインはミュシャ。これはさっきのミュシャ美術館で知ったばかり。天井画は彼の作だ。会場にあわせてあるから色も飛びださず、しっくりしている。いい雰囲気だ。ミュシャで思い出した。プラハ城の大聖堂のステンドグラスもミュシャのデザインだった。

やっと演奏が始まった。ホールの反響はさすがにいい。それにしても、まぁ、なんてヴァイオリンの音のお粗末なこと!ウチにもチェコのヴァイオリンあるんだけど、チェコのヴァイオリンはいいんだけどなぁ。それにここにはヤナーチェク四重奏なんてすばらしい演奏者たちがいたのに。ヴァイオリンとビオラのデュエットもかみ合わない。ぶすぶす怒っている。演奏中、チェコの音楽家が冷遇されていた頃の映画、教会で聖歌を歌いながら前の女性のお尻を触っていたそんな場面を思い出した。劇作家のハベルが大統領だから、芸術は冷遇されていないと思うんだけど。あぁ、口直し、ならぬ、耳直しが必要だ。
プラハは2日しかなくて、却ってでよかったよ。

9月27日(土)
owl

7時食事。8時過ぎチェックアウト。タクシーは?とフロントに聞かれたが、歩くと言って、本駅まで歩く。これは失敗。ロングウェイだった。途中、道を間違えて、人に聞き聞き行った。年配の人は英語もドイツ語も通じなかった。学生はさすが、英語が通じた。駅に着いたのは8時45分。チケットを買い、5番線ホームに行く。もう列車は着いていて、コンパートメントに空きはない。ノースモーキングの、男性が一人のコンパートメントに挨拶をして入る。土曜日のせいか、客は多い。続いて女の子を二人連れた母親と女性が一人入ってきた。彼女たちは先にいた男性とおしゃべりをしているが、チェコ語はなんいもわからない。
sisters

二人の女の子は本を読んだりしているが、あきたみたい。そこで折り紙を取り出し、ツルを折ってやる。「これなんていうの」と聞くと「チャープだ」と答える。ただし、これがツルのことだか、コウノトリのことだが、定かではない。「作ってみる?」ときくとお姉ちゃんが作るというので、風船から教える。器用な子で上手に折る。そしてすぐに覚えてもう一人の女性に教えている。お母さんは折り紙を知っていて、ノートを破って、やっこさんを折って見せた。それを私が帆掛け舟や、二艘舟、はかまなどに変形させて見せる。お母さんともう一人の女性は英語を話す。お姉ちゃんの方は13歳、7年生だと言う。チャープがツルかお母さんに確認するのを忘れてしまった。

私たちがチェスキークロムロフへ行くのを知ると、自分たちもダンスの公演にチェスキークロムロフへ出かけるのだという。
そして本番は明日の11時だが、今夜6時からのダンスの練習をするから見に来るようにと誘った。それはいい、行って見よう。ノートに場所を書いて渡してくれた。隣のコンパートメントでは仲間たちがギターの伴奏で歌を歌っている。巨体の男性、ほっそりした若者、若い女性たちが4人、ダンスの先生と年配の女性、その中に割り込んで、私たちも一緒に歌う。
チェコの民謡、なにか知っているようだけど思い出せない、「気のいいガチョウ」は違ったかな、でもいい加減にあわせているだけでもたのしい。

日本の歌を歌ってくれと言われたので、何曲か歌った。papasanの声を聞いて「コーラスをやっているのか?」と聞く。
男声コーラスにいたというと、「パートは?」「バリトン」簡単な日本の曲を教えてくれと言うので「蛙の歌」を輪唱で歌わせる。何回も何回も、大笑いしながら繰り返した。向こうもなにやらたのしい歌を教えてくれた。何回もかけあいのように繰り返すので、そのときは覚えていっしょにくちずさみ、「意味はなんていうの?」ってきくと、男性は「女性が必要、必要」と歌い、女性は「男性が必要、必要」と答えるのだと言う。こんな様子だったから、この人たちは旅芸人かと思ってしまった。

あまりにもたのしそうなので、隣に座っていたおじさんまでのぞきに来た。席に戻るとそのおじさんが去年の洪水の話をしてくれた。ここら辺でも7mもの高さまで水につかったという。へぇ~、7mも。2階ぐらいまで水に浸かってしまう。大変だったのだなぁ。

チェスケーブジョビッチで下り、私たちはバスでクロムロフへ向かう。彼女たちは電車かも。バス代は中で払う。二人で55K。バスに乗り約40分。終着駅に着く。荷物を引きずりながらみんなの後をついていく。下に見える町並みは美しい。カラフルな塔を中心に赤い屋根と白壁の家々。蛇行するヴルタバ(モルダウ)川の流れ。まだ緑を残している木々。絵になる風景だ。ここは1992年に世界遺産の指定を受けている。
childdance

町に下りながらホテルがあったので聞くがフル。おやまぁ。今日は土曜日だから危ないとは思っていたけど、さっそくダメだ。次に見つけた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする