「美の巨人」は、写真家・入江泰吉で、一枚の絵(写真)は「斑鳩の里落陽」だった。
斑鳩上空にうろこ雲がかかり、法隆寺の塔の横にまさに落ちんとする夕日を受けて、空が赤く染まっていく、グラデーションが美しい作品だ。
奈良の入江泰吉記念館にこの写真はある。HPにも色はまったく美しく出ていないが、紹介されているので、構図を見たい方は下を。↓
http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/ncmp_j/j04wa/jwaco_irie.html
入江泰吉は奈良の生まれ。子どもの頃から図工が得意だった。17歳の時、兄からコダック・カメラを貰い、写真にのめりこんで行った。大阪で写真屋に勤め、カメラ技術を学び、店を持った。しかし1945年(昭和20年)の大阪大空襲で家も写真もすべて灰にしてしまった。
そこで故郷に帰ると、奈良は空襲を受けずに残っていた。当時「進駐軍が仏像をアメリカに持って行ってしまう」という噂が流れ、持って行かれる前に仏像の写真だけでも撮っておこうと撮り始めた。それがデマだとわかったときには、もう仏像にも奈良にもすっかりのめりこんでいた。
以来、大和路を、仏像を撮り続けた。古代人の気配を感じるような写真を撮りたかったのだという。そのためには自分のイメージにあう写真を撮るために、待ちに待ってシャッターを切った。白州正子さんが、ある写真に「5,6年、通いましたか」と聞くと、こともなげに「37,8年でしょうか」と答えたという。
「斑鳩の里落陽」は、その背景に聖徳太子の息子・山背大兄皇子の悲劇がある。聖徳太子亡き後、643年、山背大兄皇子は蘇我入鹿によって襲撃され、皇子は自害、聖徳太子一族はここに滅亡した、その歴史を写したのだという。なるほど、燃えるような赤、血の色、滅びの色。その後、法隆寺は全焼している。梅原猛の著書に法隆寺の門のつくりが怨霊を抑えるためだと書いてあった。
奈良の入江泰吉記念館は行ったことがある。そこで、この「斑鳩の里落陽」は見た。決定的瞬間、落日のきれいな写真だ、と思ってみていた。そういう背景は知らなかった。
それ以上に、展示されていた仏像の写真に魅せられた。写真に撮られた仏像が、実際の仏像以上に迫力があって、印象深かった。目のない不動明王の目が、ライトで光って、眼光するどく、恐ろしいほど生々しかった。「すごい」それ以外言葉が見つからなかった。
写真はカメラが写すのだが、写真には写す人の人生観が関わっている。