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イプセン

2006-11-28 15:55:05 | 日記・エッセイ・コラム

今年はモーツァルト生誕250年とにぎやかだったが、ノルウェイの劇作家「人形の家」などで知られるイプセンも没後100年でもあった。ノルウェイはもちろん、世界の多くの国でも記念行事がおこなわれた。

5月に国際イプセン会議がバングラデシュで開催された。というとなんでバングラデシュでと思うが、実はバングラデシュで開かれるイプセン会議はこれで3回目、1回目は1997年に開催されている。初回に、成城大学で演劇学を教えている毛利三彌さんが基調報告を頼まれて参加した。そのとき、毛利さんはアジアにイプセン研究家が自分以外にいないだろうと思っていたので、会議に出ていたバングラデシュの数十人のイプセン研究者にあってびっくりしたそうだ。

会議以前にもっと彼をびっくりさせたのは、首都ダッカのありさまだった。人があふれ、喧騒と混沌の中にある、アジアの最貧国のさまであったという。毛利さん自身も言っているが、欧米ばかりに眼を向けていて、アジアについては余りにも無知だった、と。毛利さんだけではない、多くの日本人がそうだろう。

私は20年余り前からNGOのシャプラニールと付き合いがあるし、シャプラニールの活動紹介で現地の様子は知っている。又我が家に現地スタッフを招いたこともある。その貧富の差は大きかった。戦前の小作制度が生きていて、土地を持たない農民は貧しかった。和美さんもJOCSの仕事でバングラデシュに出かけている。だから草の根の様子はかなり知っている。歴史的には、後でまとめておこう。

最近では、安い労働力をあてに外資が入ってきている。これはこれで又問題で、逆に土地なし農民が都会に出て安い労働力になっている。むしろ少しばかり土地のある自作農民の方が、土地に縛られ、苦しい生活をせざるを得なくなっていると聞いた。以前から貧富の差は大きかったが、 現在はグローバリゼイションという形を変えた格差に代わっている。もっと大きな問題となっているわけだ。

さて、話を毛利さんのイプセンに戻そう。イプセンを、現在の日本はどう解釈するだろうか。彼が書いた当時はあの劇は「社会問題」であった。「人形の家」は女性の自立、女性の権利、「ゆうれい」は性道徳、「民衆の敵」は環境汚染をテーマにしていると言ってもいいだろう。これらの問題提起は今の日本で社会反響を呼び起こすようなことはない。こんなに環境汚染が問題になっている現在でも。むしろイプセンは過去の遺物のように受けとられかねない。

ところがアジアでは、イプセン劇の上演が大議論を引き起こす国がまだまだある。イランでは「民衆の敵」を上演したかどで演出家が死刑になっているし、イプセンの出版も上演も禁止になっている。パキスタンでも・・と言った現実に毛利さんははたまた仰天している。毛利さんの国際理解はまだまだ欠けている。経済発展だけが、あたかも先進性のように考えられているが、経済発展目覚しい国々でも、まだまだ言論の自由が制限されている国々がある。

私たちがアジアの問題に関わり始めた頃、アジアの国々で「日本がうらやましいのは、日本の豊かさとか経済発展ではない。言論の自由があることだ」と言った言葉が聞かれた。私たちは先ず心しているのは、個人の旅行者であればかまわないが、何かの縁で行ったときは不用意に政治批判をしないようにしている。一歩間違えば知人の生命に関わるからである。

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