夕べ、小さな文字は見えない、とぼやきながら、度の強い眼鏡をかけて、入院の申込書や入院グッズの申込書を書いた。案内を読むとレンタルグッズでほとんどのものが用意されている。一応、バッグに紙パンツを10枚、シャツ、ズボン下、靴下を入れた。papasanを風呂にも入れた。グッズを読むと、風呂に共同のシャンプーやリンス、ボディソープが置いてあるので、それを使っていいとも。でも剃刀は4個、テッシュモ1箱持って行った。
毎度のことながらpapasanを車いすにのせ、受付に行くと、付き添い用の首にかけるカードをくれた。車いすは息子が来て押してくれた。受付から離れて、薬のチェックをしてもらい、本人だけ、コロナのチェックをした。購買の前を通ったので、スリッパを買いに寄った。「足りないものを買いに何回も通うことになります、よろしく」と言ってスリッパをもらってエレベーターのところへ。「思い出した?」と息子が聞く。「思い出した、思い出した。このエレベーター、ご厄介になりました」きょろきょろ、きょろきょろ、周りは変わってない。7階のナースステーションに声をかけると、ロビーで待っていてくださいと。階は同じではないかもしれないが、このロビーも覚えがある。ロビーで、おいてあったコミック、「七丁目の夕日」を全部読んだったんだ。窓から見る景色も記憶にある。しばらくロビーで待っていると介護士さんたちがやってきた。面会人はここまで、病室にまでは行けないのだという。持っていた荷物の整理は?と聞くと、やってくれるという。「水曜日が手術なんですが、来る必要がありますか」「見えれば患者さんが安心すると思います」「でも会えないんでしょ」「手術が終わって上がってきたとき、ちらっと会えると思います」「なら来ない」「以前は麻酔が覚めるまで付き添っていたけど。もう一つグッズを申し込みにこれから行きますが」「下で申し込んで行ってください」「それだけでいいんですか」「はい、いいです」「では、退院の時に来ます。よろしくお願いします」と言ってその場でpapasanにバイバイ。「一週間なんてすぐだよ」息子がテレビカード3枚と千円札3枚、ケースに入れた。自分で飲み物を買いに行けるかな、なんて過保護が心配した。下でグッズを申し込んでそのまま帰ると1時間もかからなかったことに気が付いた。検診なんかよりずっと時間は少なかった。こっちが楽だった分、介護士さんや看護婦さん、医療従事者の人たち、コロナのおかげで、仕事量が増えて大変だ。
そんな簡単だったのに、家に帰りお茶を飲むと、そのままこたつで転寝してしまった。疲れたらしくぐっすり。1時過ぎ、目を覚まし、「あっ、papasanにお昼食べさせなくっちゃ」のんびりするぞ、なんて言いながら、毎日はそんなに簡単には変わらないか。
夕方もベラルーシを特集しているのを見て「papasan、ベラルーシやってるよ。ひどいざまだ」なんて声をかけている。息子が来て「一人だからって、ごはんはちゃんと食べてくださいよ」と言っていった。食べることだけは大丈夫、そのために冷凍料理が作ってある。こんばんはキッシュを温めて食べた。もちろん甘いお茶をつけて。
市立病院に入院したのはいつ頃だったかなぁ、見当をつけて過去の記事をあさった。入院は2014年の12月。手術は2015年1月。7年前だ。ペースメーカーの手術には行かなかったと思っていたらちゃんと行っていた。