長時間だったので、途中見たり見なかったりしながら、認知症に取り組んでいる人たちの活動をみた。社会の中で、それなりに楽しく生活している認知症の高齢者たちを事細かに紹介していた。
そして今日は、認知症の人たちに町ぐるみで声掛け運動をしている町を紹介していた。そもそもは認知症の高齢者がふらふら歩いているのを何人もの人たちも見てはいたが、声をかけることはなかった。その高齢者は川に落ちて死んでしまった。その事故から、声掛け運動が始まった。この運動あは10年以上続いているそうだ。ところがこの運動にはじめから参加していた人が認知症になった。すると見守る立場からみまもられる立場になったことが、気になって。その人を追い詰め、とうとう外に出れなくなってしまった、というのだ。そういうこともあるんだろうな、とは思う。
人それぞれ、それぞれが毎日を楽しく生きてくれたら、それをそっと見守ることなんだろうなぁ。
退院して来たらpapasanをどう扱おうか、番組とは関係なく思案していた。だから興味を持ってみていたのだ。仕事をすることが生きがいだと、活動してる認知症の人たちは言っていた。それもわかる。
Papasanの場合、今更、治ることはないだろうし、現状維持で、気ままに過ごさせてやる以外にないかな、とは思っている。ある程度の強制はするとしても。
でも、行財政は、そんじょそこら人よりきちんとした解釈も、意見も言える。法令までは無理としても、条文を読んでやれば正しく理解している。記憶はダメでも、まだ解釈は出来るんだな、しばらくはこの線で頭を使わそう。尤もそんなことを言っている、こっちの方が危ないかも。