あちょぼ!
五月の雨とは一味ちがう、
しとしと細かく高密度で、腰の据わった雨が降り始めた。
水の中にいるみたいに湿気がすごい。
仕事は早めに上がり、雨のスタバテラスでCを待ち、
文化村の美術展に行くはずが、なんだかんだで間に合わず、
久しぶりにドゥマゴでお茶。
ドゥマゴの中庭にも雨がしとしと。水槽の中にいるみたい。
巨大プランターに、幹がひょろひょろと細くて背の高い木があって、
上の方に白い花をつけていた。
雨に降られて、花がぽろっと落ちてきたので、
拾ってテラスのテーブルの上。
肉厚で瑞々しい花びら。瑞々しい香り。咲いたばかりのようだった。
私はリンゴのタルト、Cはベリーのタルトを、
「早ッ!」とお互いにつっこまずにいられない勢いでたいらげる。
隣のテーブルにお洒落なゲイのカップルがいて、
若い男の子はベリーのタルトをいつまでたっても食べず、
スーツの彼がディナープレートを食べるのを見てる。
恋ごころが溢れて食欲どころじゃない雰囲気。
彼がワインに手を伸ばすと、袖が料理に触れないように、
すっと腕を押さえてあげる。
彼の食事が終わると、タルトを一口ずつ、アーンと彼に食べさせていた。
眺めてるうちに、甘い気分が湿気を伝って漂ってきた。
道端のところどころで、満開の紫陽花が咲いてるのを見る。
雨を吸い込んで膨らんだみたいに花が大きくなって、小面憎い。
家に帰ると、チビ夾竹桃が、雨の重みで反り返ってる、大変。
夜更けに雨が止むと、水を払いのけてやり、
雨が当たらないように傘を置いて部屋に戻ってから、
後で(風で傘が動いたらまずい)と思い直して傘を取り除ける。
ダー「そんな過保護見たことないよ!」
確かに、植木に傘差してるのって見たことないな。
こいちゅ、なんにゃ
にゃんかにゃまいきにゃ
にゃに?
木曜日。天気が良かったので、ツボサンゴとアッツサクラを植え付け。
如雨露の水に木酢液を少し入れて(500倍くらい)、葉っぱや花に水を撒く。
切花にしたハマナデシコの花瓶にも、木酢液を少し垂らす。
木酢液はクサイから猫避けにもなるとボトルに書いてあるのに、
うちの猫たちは平気でその花瓶の水を飲もうとした。
横に、素晴らしいガラスの器に新鮮な水を入れて置いてあるのに、
なぜか花の活けてある花瓶の水を飲みたがる。
素晴らしい器はママの友人のガラス作家さんの作ったもので、
水色の綺麗な柄が入り。
ただ飾るより水を入れて猫の水飲み場に、
と思ってテーブルの上に置いてある。
【今日の花】
・ヒマワリが早くも発芽。
縞々の種の帽子をかぶった芽がぴょこんと飛び出している。
・夾竹桃も花がどんどん開いている。
まだチビの木なので、花の重みで弓なりに反ってしまい、添え木するべきか。
・ウツギ王子は花がほとんど落ちてしまった。
元気な枝が上にピンピンと出ている。早く根を張って、枝を伸ばすことに専念して欲しい。
・植えたばかりのサルビアたちも、蕾がどんどん開いている。
・花オレガノの花も増えている。
チャペック『園芸家12ヶ月』読了。
カタログを見ていてうっかり花を注文しすぎて植える場所がなくなっていたり、
かがんで庭仕事をしてるとき自分の足が邪魔でしょうがなかったり、
ひよっこ園芸家の私にも思い当たる節が多々あった。
今年は花の名前をずいぶんおぼえたので、
出てくる植物たちも思い描けるものが多くて楽しかった。
カンパニュラ、デルフィニウム、アスター、フロックス、クロッカス、ダリア…。
園芸家には、春~秋まで楽しみがいっぱいあることもわかった。
(冬は、カタログを見て過ごすらしい)。
カレルの兄の、ヨゼフ・チャペックの挿絵も、いちいち味があってかわいい。
○よく聞きたまえ、死などというものは、けっして存在しないのだ。眠りさえも存在しないのだ。わたしたちはただ、一つの季節から他の季節に育つだけだ。わたしたちは人生をあせってはならないのだ。人生は永遠なのだから。
園芸とは土を作ることだ、と再三にわたって書いるチャペックは、
しまいには自分の作った土を自分と一心同体に感じて、
土を作ることで人は永遠に生きられる、そんな境地に達したらしい。
この本の訳者さんも相当な園芸人らしく、注釈に熱が入っていて面白かった。
○(訳注の最後のくだり)もしわたしたちが真の園芸家であるならば、花はむしろ庭のまわりに植えて、そのかわりに、庭の真ん中に堆肥の山を二つそびえさせておくべきかもしれない。
でも、私の園芸熱は、そろそろ降りだす長雨にクールダウンしてもらおうと思う。
園芸にはまりすぎると、晩年の心境になって、
わびさびばかりに感じ入り、浮世の楽しみを忘れてしまう。
すでにワールドカップ出場決定も「へぇ、よかったねぇ」状態。
Cのメール「夢の相手がジーコ」。
今日も帰れるかわからないダーのため、あんかけ豆腐ハンバーグを作る。
初挑戦で、適当に作ったわりには美味しかった。
『汚れた舌』の藤竜也がどうもはじけきらないので、
DVDで『アカルイミライ』。オダジョー、
びくびくした猫みたいに、ときどきすごいかわいい。
浅野さんは、すべてを自然にやってのけてかっこいい。
藤竜也、ゆるぎないやるせなさが渋い。
暗い映画だけど、静かな絵とボワーンとした音楽で、
見てると心地よくトランス。
にしても、殺される夫婦はひどいバイブス。
今日は半分まで見て家事。
アカルイミライ、といえば、
私は過去も未来もほとんど考えず今を生きてきたけど、
園芸を始めてから未来が気になりだした。
ヒマワリの咲くところ、ヒースが鬱蒼とするところ、
夾竹桃が2mになるところ、
ウツギが生垣になるところを暇さえあれば想像する。
植えてもないのに、春に蝋梅が咲くところまで想像する。