なぎのあとさき

日記です。

能 田代

2011年11月26日 | 日々のこと

春の夜、
旅の僧侶(ワキ)が清水寺を訪れると、
美しい白装束の童子(シテ)が、
竹ぼうきで花の掃除をしている。

童子にお寺の由来や、
春の京都の見どころなどを聞いていると、
山の峰から月が昇る。

 

シテ:や。
まずご覧ぜよ音羽の山の峰よりも、
出でたる月の輝きて、
この花の梢にうつる気色、
まずまずこれこそご覧じ事なれ。

ワキ:げにげにこれこそ暇惜しけれ、
異心なき春の一時、

シテ:げに惜しむべし、

ワキ:惜しむべしや

シテ:春宵一刻価千金、

ワキ:花に清香、月に影、

シテ:げに千金にもかえじとは、今この時かや

 

春の月で、
一気に盛りあがる二人。
続く地謡も空やみどり、
風に白糸の滝と、
美しい風景の描写が続く。

この二人のやりとりが、
出たての春の月を見て
「Yeah man!」「Yeah man!」
と盛りあがるCと私に見えた。
1000年以上の時を越えて
僧侶たちに共鳴するのは、
感動的というほかない。
そしてこの後1000年先にも、
人は春の月の出に
盛りあがるのだろうと、
未来にまで思いは飛ぶ。
清水の舞台の上に
とても大きな時間を見たような気がした。
実際はセルリアンタワーの
能楽堂の舞台の上に。

ひたすら春の情景が美しい前半の後で、
後半に入るとがらりと趣が変わる。

僧侶と別れた童子は、
坂の上の、田村堂へと消える。

童子はなんと、
坂上田村麻呂の化身だった。

坂上田村麻呂は、
鬼が島の鬼を退治して、
武神となった。
後半は地謡にのせて、
鬼との合戦を再現する。

少ない動きなのに
ゴムゴムのガドリング!みたいな
大玉螺旋丸!みたいな
爽快感とカタルシス。
赤い面もかっこよくて、
すっかりジャンプの世界。

夏に観た能では、
あまりにゆっくりなしゃべりに
気持ちがよくなって
眠気との戦いになった。
眠りに落ちる寸前の状態にいると、
夢のはじまりの
ふだん見えないものが見える。
能はわざと眠りを誘い、
こちら側とあちら側の境界楽しむ
娯楽だったのではないか?
と勝手に解釈していたけど、
今回はもう全然違っていて、
能は奥が深い、と
しみじみ思った。

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お能の後は、Kちゃんと
夏以来ゆっくり話した。
渋谷の道路を見下ろす
イタリアンのお店にて。
子供のころススキを取った話から
地球の外からさす光の話、
小人さんの話などなど、
ビール1本でどこまでも、
気持ちのいいトーク。

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