10月7日、金木犀の香るお天気の日の朝、
Nは、大潮の満潮に乗って旅立った。
急な連絡で、信じられなかった。
号泣するCの声が、Cの声に聞こえなかった。
私は無意識に、信じなかった。
Nには、7年くらい会ってない。
乳飲み子なのに捨てられてたNをCが拾ってから
Cが東京を離れるまでの9年の間は、
毎日のように会ってたときもある。
だから、はっきり顔を思い描ける。
記憶の中のNは、固太りで、ぬらぬらして、
黒くて、いつもCを目で追ってる。
Cを愛してて私にはジェラシーで、
私のことはたぶんキライだった。
一度Nと二人きりになった時
急に暴れてひっかかれまくったこともあった。
私の知る猫の中で唯一かわいいと思えない、
猫のような犬のような人のような猫だった。
病気になってから痩せて、腫れで顔の形が変わった、
と言ってたけど、見てないから想像なんてできない。
あのNが、この世界にいないなんて、
私には信じられない。
喜と楽以外の感情をめったに見せないCが泣いてることも、
Nがもういないことも、
猫に寿命があることも、
私は無意識に、信じたくなかった。
でも、信じないのは簡単すぎて、
そのままにしていいはずがない。
私は家にいる時は猫のことで泣きたくなかった。
家の猫たちに心配をかけたくない。
私のバイブスを、猫たちは敏感に感じ取るから。
河原に出てから、Nがもういないのだ、
と思うとどうしようもなく悲しくなって泣いた。
もう長いこと会ってないし、
かわいくないし、私は嫌われてたけど、
NはCにとってはもちろん、私にとっても、
一つの世界だ。
胸がつぶれるように悲しい。
でも感情がどうしようもない今を乗り越えたら、
またNの存在を感じられるようにならないか。
私とCの時間は、一直線に進んでるのか。
猫といる今は特に、とても大切にしてたから、
今は過ぎ去るだけじゃなくて、
どんどんたまって海みたいになってるんじゃないか。
だったら、その海を泳いでるうちにまた会えるんじゃないか。
どんな風に会えるのかは、まだわからないけど。
猫も海も愛も時間も同じじゃなかったか。
まだまだもっと、考え続けないと。
捉えていかないと。
Cは私にずっと病名を言わなかった。
その間私の方はモンチのことでCに泣きついてたのにね。
言わなくてごめん、
口に出すのがどうしても嫌だった、とCは言って、
その気持ちはすごくよく分かるけど、
私のバイブスを下手に揺らしたくない、
というのもあったのかも、と、
この前Cが私の心配してた時のことを思い出して、思った。
私が猫たちのバイブスを下手に揺らしたくないのと同じように。