ポスト小泉騒動に見る〝脱派閥論〟

2006-05-14 03:36:35 | Weblog

 世論の支持率は安倍氏が福田氏を引き離しているが、自民党最大派閥の森派は自派内から2人の有力ポスト小泉を抱えていることから、話し合いによる一本化なのか、二人共の立候補なのか、その行く末に注目が集まった。既にこのこと自体が派閥の制約を受けた、その範囲内からの議論・判断でしかない。

 当初森派会長森前首相は「福田さんと阿部さんが相争うというということはあってはならないことで、もし二人が争うということになったら、私は即座にクビだろうな。そうでしょ?清和会の会長をクビになると思いますよ、私は」と、自派内からの複数立候補に難色を示した。

 「私は即座にクビ」は、派が二つに割れて下位派閥へ脱落した場合に付帯する党内影響力の凋落がクビになったも同然だという形容なのだろうか。小泉首相自身にとって安倍は操作可能な薬籠中の後継候補であり、森前首相にとっては森派清和会会長という地位を今後とも保証する意中の後継者が福田氏だということだろう。安倍氏が総理・総裁になって、森派が分裂することなく存続したとしても、小泉首相の派内の力が優位的となり、会長職禅譲の流れが加速する恐れが出てくる。あるいは小泉首相が形式上離れていた森派に首相退任後戻らなくても、無所属のままでいる小泉チルドレンやその他の森派内の支持議員、他派閥の支持議員を募って安倍氏をバックアップしつつ自己の影響力を最大限に保持する小泉派を旗揚げすることも考えられる。そうなったとしたら、自民党最大派閥は森派から小泉派へと席を譲ることになりかねないが、だとすると、現在の〝派閥政治打破〟がその程度の変化に過ぎなかったということもあり得る。

 安倍氏にしても、毛並みだけで持っている力量とその若さからしたら、〝ライオン〟の威を借りる狐よろしく森前首相を後ろ盾にするよりも小泉首相を後ろ盾にした方が自分の値打ちを打ち出せるだろうから、相互的に小泉首相の力も増す。

 森前首相の派内の二人の直接対決否定論に対して、小泉首相は「古い自民党は壊れている。本人が出たいと言うのを止める方法はない」と派閥調整は「古い」遣り方だとの価値評価を下した。

 別の機会にこうも言っている。「安倍氏と福田氏が共に総裁選に立候補することは構わないと思いますよ」

 「古い自民党」は既に否定価値とされているから、〝新しい自民党〟の立場に立つことは正しい、あるいは正義を意味し、「古い自民党」に立つことは不正義、あるいは悪者を意味する。「古い」とすることで、魔女狩りも可能となる。ついこの間までは「古い自民党」を代表する「悪者」は亀井静香や野中広務だったが、今や森前首相が「悪者」の代表格とされかねない状況となってしまった。
   
 幹事長の単細胞武部は小泉首相の勢いの尻馬に乗って、「派閥解消を唱える首相のもとで従来型の派閥はなくなった。党の形は変わった」と自らも新しい自民党の一人であるかのような正義の代表者面した態度だが、単細胞の武部に何が分かる。

 民主党新代表に小沢一郎が選出されたとき、小泉首相は記者に「小沢さんは変ったと思いますか」と問われて、「人はそんなに変るもんじゃないじゃないですか」と言い、武部単細胞は先頃の自民党候補が敗退した衆院千葉7区補選で小沢新代表が応援の前面に立つと、「小沢さんこそ古い自民党時代を代表する人です」と有権者の前でぶって、小泉首相共々人間がそんなに変るものではないことを主張している。人間が簡単に変るものでなければ、自民党の顔ぶれがそんなに変っているわけのものではないから、派閥も変るわけのものではないはずだが、自分たちの党の派閥体質は変ったと主張する。ご都合主義以外の何ものでもないように思える。

 森前首相は「古い自民党」の代表格とされて「悪者」扱いされるのは御免と思ったのか、「私はこれまで一本化したいと一度も言ったこともないし、一本化しようという気持もない」と派閥利害で動く「古い自民党」の一人でないことをマイクに向かって宣言した。

 確かに「一本化」という言葉は使っていないから言っていることは間違っていないが、「福田さんと阿部さんが相争うというということはあってはならない」という発言は一本化意志を前提とした主張であって、そういった誤魔化しの発言は政治家という人種は得意としているらしい。単に「従来型の派閥」論理で進むことが今後の自己利害と合致しなくなると予想される局面に立たされたことからの転進に過ぎないだろう。

 森前首相の転進を受けて安倍官房長官は、「森会長としてはなるべくグループとしては円満な形が望ましいんだろうというお気持は持ってらっしゃるんだろうけれども、しかし派閥で一致結束して同じ方向に進んでいくという時代でもないという認識も持っておられるんだろうと、そうも思います」

 安倍氏は次のようにも言っている。「カラスが白いと言えば、カラスは白いと言わなければならない、そういった派閥の時代ではない」

 自分では気の利いたことを言ったと思っているだろうが、「派閥で一致結束して同じ方向に進んでいく」、あるいは「カラスが白いと言えば、カラスは白いと言わなければならない」、「そういった派閥の時代」を自民党が歴史とし、伝統としてきたことをも暴露する発言でもあることに気づいていないらしい。裏を返すと、議員一人一人が大の大人でありながら派閥に依存して、自分の考えは持たず、派閥の考え・主張に従属するばかりで、自律していなかった長い歴史・長い伝統があったということである。安倍氏自身もそのような自民党の土壌の中で、その土質・肥糧をたっぷりと吸収して、そのお陰で実力者としての現在を得た。生まれ育った土質・肥糧を簡単にキレイさっぱり体外に排出できるのだろうか。

 「そういった派閥の時代」が終わりを告げたのは小泉首相が自民党の派閥は解体したと宣言しているつい先頃のことなのか、事実は「人間はそう簡単には変るものじゃない」と言っていることが正しくて、実際には何ら変らずに自律していない状態が従来どおりに続いているのだろうか、そこら辺を問題としなければならない。

 「派閥はなくなった」、「自民党は変った」と口では言うものの、少なくとも誰もがそれぞれの派閥を基準とした、そこから完全に抜け出せない意思表示に終始した発言が続いているのではないだろうか。

 森前首相の〝悪者〟扱い御免発言に関しての「森さんの今日の発言は総理の意図が伝わったと言うことですか?」との記者からの質問に対して、小泉首相は「それは分からないよねえ。話せばすぐ分かる間柄ですから、以心伝心で、何の心配も要りません」
「同床異夢と言うことはないですか?」
「たまにはあるでしょうけどね」
 
 この遣り取りも、総理・総裁の立場上派閥を離脱しているとは言うものの(森首相時代、森氏が森派を離脱している間、小泉首相が臨時に派閥代表を務めている)、同じ派閥の人間であることを想定した「話せばすぐ分かる間柄」であり、「以心伝心」であって、実質的には派閥と言う一つの世界を通した、その制約下の認識となっている。

 実際に進退も気持も森派を離脱していたなら、安倍氏のことも福田氏のことも他派閥の問題となる。

 法務副大臣の河野太郎が新たに総理・総裁選への立候補表明を行った。ただ推薦人を20人集まるメドが立っていないというが、それは予定表に織込み済みで、総理・総裁を目指す一人としての認知を求める将来に向けた早目の名乗りといったところだろう。20人集まる予定も立てることができないのに立候補を表明するのはおかしいと言った発言をテレビで見かけたが、顔見せしておけば、どんなチャンスが転がり込むかも分からない。村山富一にしても三木武夫にしても、派閥力学を狂いなく機能させることができる状況にあったなら、首相にはなれない境遇の人であったが、村山富一は当時の社会党が反自民党連立政権から離脱したことによって、自民党の政権奪回の頭数として必要とされたチャンスに恵まれ、三木は田中角栄の金脈失脚というチャンスに恵まれて、思いもかけずに首相職を手にしている。

 谷垣氏にしても立候補してすぐに当選できると思っていないはずで、安倍、福田どちらになっても、二人の後の3番手か、うまくいって2番手で次の次になれるかもといった計算で動いているに違いない。あるいはなれないかもしれないが、引き続いて閣内で重要ポストに就くための布石といったこともある。

 河野太郎が所属する派閥は総裁選で麻生外務相を推す方針で、同日(5月11日)開かれた派閥の例会では「出馬は認めがたい」と批判が相次いだとのことだが、推薦人を揃えることができずに出馬を断念した場合は麻生氏を支持するよう求められたという。

 このことは、「そういった派閥の時代ではない」、「従来型の派閥はなくなった。党の形は変わった」とする発言がある一方、「従来型の派閥」の論理・力学の振りかざしであり、最終的にはそれへの従属を要求する押し付けであろう。全体として見た場合、必ずしも「党の形は変わっ」ていないことを示す光景となっている。

 自民党が少なくとも小泉首相が登場するまで派閥政治を通してきた中で、すべてに亘って派閥の論理・力学を常に機能させ得てきたわけではない。ノーベル平和賞を受賞したあの佐藤元首相が退任後、後継に他派閥である福田派領袖の福田赳夫をポスト佐藤に想定しながら、自派閥の田中角栄の反旗を翻す形での立候補を抑えることができなかったばかりか、熾烈な選挙戦の末、反意中の田中角栄に敗れた事態は(このとき田中角栄はカネを-実弾と言われていた-ばら撒いて福田支持派議員を寝返らせたと噂されている)、派閥の論理・力学が機能しなかった特筆すべき例であろう。だからと言って派閥政治が瓦解したというわけではなく、全体的には田中派支配による派閥政治が逆に強化されて長期化した。

 先に例を挙げた三木武夫は小派閥の領袖であり、首相職が田中金脈による田中失脚を受けたいわゆる椎名裁定で転がりこむまで3度も首相選に立候補して敗れている。しかし田中金権汚職に対する国民の批判を鎮める道具立てとして小派閥の領袖に過ぎない三木武夫のクリーンなイメージが必要とされて白羽の矢が立てられた運命にしても、田中金脈の影響から派閥の論理・力学を前面に押し出しにくい状況を受けた時限的な反派閥的措置に過ぎなかった。その反動として現れたいわゆる〝三木おろし〟が派閥の論理・力学を前面に出した政治闘争であったことがそのことを証明している。

 〝三木おろし〟とは田中角栄のロッキード事件解明に力を注いだ三木武夫に対する福田派・田中派・大平派といった他派閥連合による倒閣騒動のことで、裁定で三木総裁を誕生させた椎名悦三郎でさえも、三木武夫の事件解明姿勢を「はしゃぎすぎ」と批判して、〝三木おろし〟に加担し、そういった事態も加わって派閥の健在を示した。三木武夫は〝三木おろし〟に耐えたが、総選挙で自民党初の過半数割れを受けて内閣生命2年で総辞職している。自民党は無所属議員の入党で過半数を維持し、それ以後しぶとく派閥政治を継続させていくこととなった。

 今回立候補表明した河野太郎の父親の河野洋平は自民党宮沢政権が日本新党以下の8党派の連立政権に向けた選挙戦で敗れて、その責任を受けて辞任した後の野党自民党の誰も火中の栗を拾うことを嫌った状況下で総裁に選出されたが、この状況も派閥の論理・力学が機能不全と陥ったケースとして生じた埒外の出来事だったであろう。自民党が社会党及びさきがけとの連立を得て政権党に復帰したとき、頭数を必要としたエサとして社会党委員長の村山富一に首相のお鉢が回ったたために、自らは自民党の総裁でありながら総理になれなかった唯一の議員として名を残すこととなったが、その後村山富一の後継は田中派の流れを汲む自民党最大派閥・小渕派のバックアップを得て、河野洋平に代わって既に自民党総裁の地位を得ていた橋本龍太郎が首相の座を射止めている。

 自民党が連立政権の相手に長年の宿敵だった社会党を選んだとき、その何でもありの姿勢に国民の多くが驚いたし、村山富一を首班指名候補としたときはなおさらに驚いた。

 村山富一が首相の座を射止めることができたことも、自民党側が政権奪回の至上命題を最優先させたことからの派閥の論理・力学では片付かない例外状況を飲み込まなければならなかったからだろう。

 こうしてみてくると、今回の「従来型の派閥」解消論にしても、「古い自民党」解体論にしても、単に諸種の事情が合わさって派閥論理・派閥力学が機能しにくい状況に遭遇したと言うだけのことで、一時的な現象で終わる可能性なきにしもあらずとすることもできる。

 同じ派閥内に現職首相と派閥の現会長である前首相がそれぞれ異なる意中候補を抱えることになった。派閥会長である前首相は割れて比較下位の派閥に規模が落ちることをも恐れて、一本化を目指す。現首相は自己の影響力を残したい気持も手伝って、下手に一本化されて自分が意中とする人物を後継候補から外されたら、すべての思惑が吹っ飛んでしまうと恐れた一本化反対とそのための自己正当化の口実が「古い自民党」否定ということもある。

 いわば自民党最大派閥が候補者を2人も抱えることとなった贅沢な悩みから出た、コップの中の嵐ならぬ森派内に限った〝嵐〟と言ったところではないだろうか

 もしも森派から2人とも立候補して割れた票を上回る党員票も含めた数の支持が仮定される他派閥候補者が存在したなら、森派としたら「古い自民党」もクソもなく、「カラスが白いと言えば、カラスは白いと言わなければならない、そういった派閥の時代ではない」などはキレイゴトと片付けて、一本化に進むだろうし、それが失敗したなら、安倍支持・福田支持議員とも自らが勝利するために候補者を抱えていない小派閥を対象にポストで釣る、党員の投票行動にも影響していく多数派工作に出るだろう。

 そういった利害行為は一切せずに、すべては公明正大なそれぞれの投票意思に任せようと澄まし顔に静観するだろうか。そんなことはあるまい。郵政民営化法案を再上程するために自党の反対議員を冷淡にも公認から外すといったことをしたくらいである。

 森派という一つの派閥の中での支持利害の対立が森派に限って従来の派閥力学を上回って無効としただけのことで、そのことから生じる他派閥への力学的影響はあっても、自民党に於ける派閥の存在性、あるいはその意義そのものには何ら影響しないのではないだろうか。いわば支持利害が派閥利害を上回った森派だけの問題で終わるのではないだろうかということである。

 閣僚ポストの配分にしても、支持率が高いと言うことだけではなく、小泉首相が自民党最大派閥に所属しているからこそ可能となった派閥均衡無視ではなかったろうか。弱小派閥に乗っかった不安定な首相の座だったなら、派閥均衡でそのバランスの危うさをどうにか保つ努力をしなければならなかったはずである。  

 所詮、殆どの議員が派閥に立脚し、派閥に守られ、派閥と馴れ合って行動し、派閥から利益を得てきたのである。どっぷりと馴染んだその他律性・従属性からあっさりと抜け出れる程に自分独自の考えを持ち、自分独自に行動できる議員がそうたくさんいるとは思えない。

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