コジキ行為が懲りない面々――
国会議員や国会職員らが国の政治や問題について調査活動を行う目的の≪国勢調査活動費≫が、『衆院で02、03年度の2年間で総額約1億円が懇談名目などで議員らの飲食代に支出され、その約半額が高級料亭やスナックなどでの酒食に使われていたことが、朝日新聞の情報公開制度で明らかになった』(06・5・25『朝日』朝刊)と言う。
「現行の情報公開制度では、対象を行政機関に限定しているため、朝日新聞は会計検査院に対して、衆院から提出を受けた支出関連の書類を情報公開請求し」(同記事)て得た内容だという。関連記事が、「銀座・赤坂 払いは国会」「ワイン6本10万円■料亭で5万円料理」と分かりやすい見出しで紹介している。駒崎義弘・衆院事務総長に限っては「先週末に自主的に返納した」そうだ。
「――なぜ94万円を返納しようと思ったのか。
『国勢調査活動費を飲食に使うことは、かつては慣行で行われていたが、今は理解が得られないと思った。朝日新聞の取材を受けて、自分が事務総長になってから決済した院外での飲食分については自主的に返そうと思った』
――公費から飲酒を含む飲食代を支出することに疑問は。
『当時はそれらの支出がどこから出ているのか分からなかった。外部での飲食費を支出することについて問題視する意見が内部に高まり、現在では一切行われていない』
――スナックで懇談したことになっているが、ご自身も行ったのか。
『数回行った。仕事の話をしなかったわけではない。国のカネでやっていいのかと言われれば、殆どが反省点だ』
――委員会の弁当も高額なすしやうな重が多い。
『昼を挟んだ委員会などで何も出さないと言うわけには行かない。国民から見ると高額かもしれないが、議員の弁当の額が適当かどうかについて私が言う立場にない』
――議長など議員や前任の事務総長に飲食代の返還を求める考えは。
『返還は組織としてではなく、私が自主的に行ったこと。その他の分について、私が言う立場にない』
「私が言う立場にない」は何とも便利な言い逃れ言葉である。「自主的」返還を強調しているが、「朝日新聞の取材を受けて」のことだから、「自主的」でも何でもない。「事務総長」の立場ゆえ、慌てて取り繕ったといったところだろう。
「現在では一切行われていない」と言うが、政治献金も〝迂回献金〟という抜け道をしっかりと確保した〝政治資金規正法〟だった。「かつては慣行で行われていた」にしても、単なる慣行を越えて、税金での飲み食いは日本の素晴しい歴史・素晴しい伝統・素晴しい文化としてきた〝慣行〟である。そう簡単にはその素晴しさは変えようがないだろう。そう勘繰らせて止まない我が日本の政治家・官僚の日常普段の品行方正さである。
国民の見えないところで隠れて税金で飲み食いのコジキ行為をやらかす。既にこういった慣習自体が臭い物には蓋の日本の歴史・伝統・文化となっている。
今は見かけないが、子供の頃は金品を貰って歩く乞食がいた。よく言うと、〝お貰いさん〟である。だが、人にカネをタカって飲み食いしたり、他人のカネを当てに何かをする人間を特に軽蔑を込めるからだろう、言葉も強まって〝コンジキ〟と言った。自分の懐を痛めないで他人のカネどころか、税金を当てに飲み食いのいい思いをする。まさしく言葉を強めた軽蔑に値するコンジキたちである。
学校の愛国心教育で日本の歴史・伝統・文化のいいところだけを取って教え、日本の国はこんなにも素晴しい国だから誇りに思いなさい、愛する心を持ちなさいと教える。これも日本の歴史・伝統・文化の臭い物には蓋をすることだろう。愛国心教育はそのことを必然とする。
これでは客観的認識能力が育つはずはない。固定的な価値観の一方的な押し付けと無条件の受容を離れた、生徒それぞれに価値判断させる言葉の闘わせこそが認識能力の確保と共に語彙を豊かなもとしていき、言葉への理解を深める。〝愛国心教育〟が客観的認識能力育成の阻害要因だとするのはこのためである。
戦前の戦争を侵略戦争ではなかったとするのも日本の歴史・伝統・文化の臭い物には蓋の意識の表出であろう。歴史・伝統・文化に対して相対化する余裕を持てず、絶対化への思い込みのみでは、そのこと自体で既に偏狭さに侵されていることを示す。侵された者がナショナリズムに囚われたとき、そのナショナリズムは当然のこととして偏狭なナショナリズムの姿を取る。愛国心教育が役立つのは、そんなときだろう。