単細胞な麻生外相・ニッポン、バンザイ

2006-05-20 03:32:02 | Weblog

 「日中21世紀交流事業」による第1陣の約200人の中国人高校生が来日していると新聞(06・5・18『朝日』朝刊)に出ていた。若い世代の内から友好を策す目的の事業なのだろうが、中国の学校では「反日教育」が行われていて、日本は軍国主義の国だと徹底的に教えられていると言う者がいる。昨年(05年)の反日デモにしても、そのような反日教育が影響したとする説もある。

 同じ記事では、中国のネット上で日本は「軍国主義」だとレッテルを貼られがちだと解説しているが、そういった状況を受けてのことだとする文脈でのことだろう、挨拶に立った麻生太郎外相が、「日本には軍服を着ている人は多いかな、と思った人もいるだろうが、軍服を着た人を日本で見ることは多分ない」と冗談交じりに話したと伝えている。

 だからと言って、日本は軍国主義国家ではないと単純に結論できるわけものではない。軍国主義か否かは「軍服」で判断されるわけのものではないからだ。軍事クーデターを起こした軍人が国家権力者の座についてから軍服をスーツ姿に着替えることがあるが、軍事独裁色を誤魔化す国際世論狙いと言うこともある。

 また独裁国家に顕著な現象だが、旅行者や取材に訪れるマスメディアの人間に対して厳しい旅行制限を設けて都合の悪い場所への立ち入りを制限、もしくは禁止して、軍服を着た人間がいない場所だけを自由に歩きまわらせるといったこともある。何だ、軍事独裁国家だと言う割には軍人の数が少ないなと、そのことだけで軍事独裁の程度が分かるわけのものでもない。

 日本の大企業に数えることのできる製造会社でのことだが、面接後工場案内があって待遇面、労働環境等を納得して就職したはいいが、配置された現場が工場案内のコースには入っていなかった油混じりの濁った空気が充満した、しかもむんむんする暑さで、外国人労働者が従業員の殆どを占めていて、カネのために我慢させているといった最悪状態の場所で、1週間持たずに辞めたということだが、勤めさせて続くようだったらシメたもの、続かなかったら諦めるといった僥倖狙いの採用方式なのだろう。民主主義国家日本でも、都合の悪い場所は見せないようにする知恵を働かす。見た目だけの姿がすべてを物語るとするのは短絡的に過ぎるが、麻生太郎だからできることなのかもしれない。

 麻生太郎の挨拶に似た例として、反日教育を受けた中国人が来日して、日本は「軍国主義の国」だと教えられたが、軍人の姿が何処にも見えない、「あのセラー服を着た女たちが軍隊なのだろうか?」と勘違いしたが、学校の生徒だと分かって、中国政府の言っていることがウソだったと悟ったといったまことしやかな話も流布している。テレビの画面で見る中国人の女性兵士や女性警察官は軍帽や警察帽をかぶり、ズボンを穿いて腰にベルとをきちっと締め、激しい活動に対応できる服装をしている。中国人なら直接的、あるいは間接的に見た経験があるはずである。

 そのような経験と照らし合わせたなら、日本の女子生徒はどのような帽子もかぶってはいないし、セーラー服は水兵の制服を由来としているが、スコットランド兵が儀礼用にスカートを穿くことはあっても、日常的な任務で簡単にめくれて下着が覗いてしまうスカート姿の軍人などいるはずはないと理解しなければならないだろうし、盗撮マニアにはそうあってほしい光景だろうが、軍隊と間違えたとしたら、話がうまくできすぎている。

 間違えられる対象に「セラー服を着た女たち」を持ってきたのは、中国とは違って如何に日本は平和な国であるかということを強調するためだろう。日本人がつくった嘘っぱちか、日本人に対してよほど卑屈な中国人が日本人に媚びるために自作したウソのどちらかだろう。

 こういった話を疑いもせずに単純に信じ込んで流布の輪を広げていくことのできる単細胞は麻生外相に似た単細胞と言えないだろうか。

 戦前の例で言えば、日本人がすべて軍服を着用していたわけではない。軍服を着用していなかった一般民間人も、その多くが軍国主義に洗脳されていた。逆に軍服を着用していた日本軍人のすべてが軍国主義者であるとすることもできないはずである。中には戦争に反対しながら、仕方なく軍服を着ていた日本人もいた可能性はある。

 戦前の日本がアジアの国々を侵略しつつ南洋へと侵出していったのは石油等の資源を必要としたこともあったろうが、何よりも〝八紘一宇〟思想の戦争を手段とした最終的な具体化である世界支配の手始めとしてのアジア支配に向けた侵出であったろう。〝八紘一宇〟思想は自民族優越意識をベースとせずに成り立ない。戦前のアジアの盟主といった〝盟主意識〟も構図を同じくするものであろう。

 R・ベネディクトの『菊と刀』(平凡社刊)に次のような文章がある。「1942年の春、一中佐が陸軍省の代弁者として、(大東亜)共栄圏に関して次のように言った。『日本は彼らの兄であり、彼らは日本の弟である。この事実は占領地域の住民に徹底させなければならない。住民にあまり思いやりを示しすぎると、彼らの心に日本の親切につけこむ傾向を生じせしめ、日本の支配に有害な影響を及ぼすことになる』

 ここにはアジアの国々に優るとする日本民族優越意識が、露骨な物言いではないが、意識的には露骨な形で明確に表されている。軍事的支配・軍事的統治を以て「日本の親切」とは、その思い上がり・傲慢さは穏やかな姿を取っているが、甚だしいものがある。

 戦後に於いても台湾や韓国に続いて東南アジア各国、さらに中国が自国経済を発展させるまでの間、経済発展のアジアでの独り勝ちから獲得することとなった戦後版〝アジアの盟主〟なる名称にも日本民族優越意識を投影していなかったとは断言できまい。

 そのことは「以前の日本は東南アジアのボスみたいな態度だったが、最近は腰が低くなり、対等に近い関係になった。タイの発展の成果だ」(<円借款離れ、中国台頭>05.8,5.『朝日』朝刊)とタイのナロンチャイ元商務相が新聞で語ったというこの一事で十分過ぎる証明となる。

 戦前は「兄」であり「弟」であった関係が、戦後は「ボス」となり、対するに子分となったとは、軍国主義国家改め民主主義国家を背負った割りには優劣関係は逆に悪い方向に向かったこととなる。

もしも現在の日本人の多くが今なお日本民族優越意識に侵され(殆どの日本人がそのことに気づかずに侵されているのだが)、それを固定観念とした上であらゆる面で〝対抗意識〟を軸に中国を把えようとした場合、当然の趨勢として自民族の優越性を対抗の唯一有効な武器とする。なぜなら経済競争とか政治的影響力といった対抗軸は為替相場や原油相場、あるいは株式動向といった外部的な各種状況やそれぞれの政治手腕に応じてシーソーの性格を持ち、常に絶対的でないことを実感させられるのに対して、優越意識はひとたび囚われると、実体を持たないだけに絶対的でない物事を補う自尊維持のために逆に絶対としたい衝動にいくらでも反応してくれるからである。

 麻原彰晃を絶対だと信じることができたのは、絶対だとすることによって絶対でない自らを満たすことができたからだろう。間違いや不足があるとしたら、それらは直ちに自分に跳ね返ってきて自分を苦しめることになるから、認めることよりも振り払う方向に意識が向かう。

 日本はアジアで唯一ノーベル賞を2桁授賞しているが、中国は14億もの人口を抱えていながら、ノーベル賞授賞者が1人しかいないといった流説も、その対抗意識の底に否応もなし日本民族優越意識の流れを認めないわけにはいかない。政治的影響力や経済活動の面で中国に押されがちな否定できない現実の悔しい状況を補う、それに代わる手段として持ち出した日本民族優越意識が働いた優劣の比較であろう。、

 石原慎太郎の「市民社会を持つ米国は中国と戦争した場合、生命に対する価値観が全くない中国には勝てない。中国に対抗する手段は経済による封じ込めだ」とするワシントンの戦略国際問題研究所での講演にしても、テレビの報道番組でのかつての日本の状況を忘れて、「中国は自分では何もつくれない。マネしかできない」といった主張も、日本民族優越意識に立った、裏返すと中国蔑視の〝対抗意識〟の現れであろう。決して〝協力意識〟を軸に中国を把えようとする対等姿勢からの言説ではない。

 「軍服を着た人を日本で見ることは多分ない」としても、日本民族優越意識に囚われ、その優越性が損なわれることを恐れて中国と対抗する姿勢でいたなら、中国の軍備増強に対しては日本の軍事力強化といった具合に同じ図式による短絡的な反応を示しがちで、そのような反応が否応もなしに中国敵視感情を増幅させていったとしたら、見えない軍服を纏ったことと同じになる。

 いや、既に多くの日本人が中国に対して見えない軍服を纏っていると言えるかもしれない。それが心理的に「軍国主義」に彩られた軍服であり、そのような状況下に陥っているとしたなら、麻生太郎の言葉はある面、意味を失う。日本の進む方向によってはさらに意味を失う。

 尤も、平和国家の証明に軍服姿を持ってくる単純さは、それだけで片付けることができるのだから、いくら冗談混じりだとは言え、幸せと言えば幸せである。物事を全体的に把えることが欠如していることから出ている主張だが、そういった認識能力の欠如にも関わらず外務大臣を務めていられることも、幸せと言えば幸せと言える。ニッポン、バンザイと言ったところか。

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