古賀誠のA級戦犯分祀検討の中身は?

2006-05-26 06:41:43 | Weblog

 自民党の古賀誠元幹事長が派閥の勉強会でA級戦犯の分祀を検討するよう求める政策私案を提示したという。これは誰が見ても分かるようにポスト小泉=安倍への妨害工作を示すものだろう。靖国問題を自民党総裁選で争点化した場合、自分が不利になることだからそうべきではないとしている安倍晋三を狙った直撃弾といったところか。ニックきは小泉、坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し、安部まで憎し。

 果たして古賀誠はA級戦犯を分祀する気もなく、故意に争点化させて安倍を追いつめるだけの目的で牽制球として投げただけのことか、小泉退任後も安倍後継によって小泉の影響力が残る目を是が非でも潰すためにA級戦犯合祀を犠牲にすることまで考えて、分祀検討を求めたのだろうか。

 「私は常にお参りするときは心の中で分祀している」と言っている古賀である。心の中での分祀で片付くことなら、合祀は形式としては存在していたとしても、実体的には存在しないこととなり、分祀を持ち出す必要はなくなる。国民のことなど眼中にない政治家にとっては、国民は形式としては存在しているが、実体的には存在していないことと同じである。

 ところが分祀を検討するよう求めたということは、「心の中での分祀」で片付かないことを示すものだろう。自分は片付くが、総理大臣の立場では片付かないとするのはそもそもからして不公平であるし、分祀がA級戦犯が靖国神社に存在すること自体を問題視することである以上、整合性を持ち得ない。
 
 古賀誠の動きに対して、安倍晋三は信教の自由に基づき靖国神社が自主的に判断することで、政治は介入できないという立場を取っている。分祀が簡単にできてしまったら、小泉・安倍ラインに対する妨害工作の意味を失い、逆に小泉首相の参拝に水戸黄門の印籠を与えるようなものである。分祀検討は実際にはその気もなく持ち出したハッタリの疑いが濃厚である。

 尤も小泉首相はA級戦犯が合祀されていない靖国神社に参拝する意味はないと言い出すかもしれない。「死ねばみな仏様になる」とA級戦犯まで抱擁・無罪放免の最初からのスタンスである。戦争責任に関わる無罪放免は、責任を取らない・取らせないが日本の歴史・伝統・文化としているから、愛国人間小泉純一郎としたら当然の姿であろう。

 とすると、本音のところではA級戦犯合祀まで含めた靖国思想に関しては古賀誠も小泉首相も相思相愛の関係にあると言えるのではないだろうか。相思相愛の人間に気持の食い違いがちょっとでも生じると、反動でかつての相思相愛が信じられないほどに憎しみ合うことがある。

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