人権に国境なし/脱北者、米国受け入れ

2006-05-08 06:28:02 | Weblog

 「脱北住民6人を米政府が初の受け入れ」と昨夜の(06.5.7)のテレビが報道していた。上院議員の話として、女性4人を含む脱北者が東南アジア経由でアメリカに到着したとAP通信が伝えたとのこと。

 アメリカは2004年10月に北朝鮮人権法を成立させて北朝鮮に対して「基本的人権の尊重と保護を求める」一方、「北朝鮮からアメリカへの亡命者に門戸を開く」、「北朝鮮人の人権状況改善に向けて脱北者の保護や支援活動にあたる団体・個人に対して、年間最大2400万ドルを05年から4年間、計約1億ドルの資金援助を行う」等謳ったものの、保安上の理由とかでこれまで1人も脱北者を受入れてこなかったという。

 この法律が成立当時は北朝鮮は当然なことだが、「対北朝鮮敵対宣言である」と激しく反撥している。 

 この約2年間「北朝鮮人権法」自体が宣言的な性格に収まっていた関係から、その実質性に於いても、また象徴的な意味でも、「対北朝鮮敵対宣言」としての力を持ち得ていなかったのではないか。単に北朝鮮が、あるいはキム・ジョンイルが「対北朝鮮敵対宣言」だと吠えただけで終わったということだろう。

 例えいずれの国の人権を扱ったことであっても、それを「敵対宣言」だと反撥する資格はいずれの国家権力者にもない。〝人権に国境は存在しない〟からである。

 人間の生命は基本的人権を得て、初めて十全に生き得る。逆説するなら、基本的人権の保障を受けていない人間の生命は人間として十全に生き得ていないと言える。

 基本的人権を認めない独裁国家で十全に生き得る条件を満たすには独裁権力に取り入るか、あるいは何らかの関係で関わり、そこから物質的・経済的にだけではなく、精神的にも心理的にも何らかの利益を得ることでしか可能とし得ないだろう。独裁権力者と独裁権力に関係する人間たちで形作る独裁権力層だけが基本的人権と物質的利益を享受する。このことは人間の平等の原則に反することで、決して許せることではない。

 人間の平等の原則から言って、基本的人権の保障に立場の壁があってはならないのは言うまでもない。基本的人権が等しく認められて、等しく平等の原則に立つことができ、等しく十全に生きる権利を得ることができる。このことは如何なる国家も、いかなる国家権力も公式としなければならない絶対命題であろう。絶対命題としない為政者は為政者の資格を失う。

 すべての国家・すべての国家権力が公式とすることを絶対命題だとすることは、基本的人権に人種の壁もなければ、国境も存在しないを絶対命題とすることでもある。人間の生命に人種の壁もなければ、国境も存在しないのだから、当然の到達点である。また、人間の生命は基本的人権と共に存在しなければ人間の生命足りえないことからも、当然の帰結としなければならない。だからこそ、人間の権利としてあるのだろう。

 自国民の生命を軽視する者は他国民の生命をも軽視する。逆説も真なり。他国民の生命を軽視する者は自国民の生命をも軽視する。キム・ジョンイルが日本人を拉致できたのも、自国民の飢餓・餓死を放置できるのも、上記関係からの生命の軽視によるものだろう。人間生命の尊重は、そこに国境の壁を設けたとき、尊重はニセモノに堕す。

 国境を存在させてはならない以上、人間の生命と基本的人権に関して内政干渉なる問題は存在しない。人間は基本的人権を保障されて、初めて肉体的にも精神的にも十全に機能する以上、その保障が為政者の第一番の務めとなる。それを果たせない政治権力者は存在する価値さえない。

 民主国家のすべての政治家、すべてのマスメディアは、「人権に国境は存在しない」というメッセージを独裁国家に向けて機会あるごとに発信し続けるべきではないだろうか。絶対命題としなければならない圧力メッセージとして。   

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