『ニッポン情報解読』by手代木恕之の「選挙と政治に於けるカネの力を無化する」(2007-01-02 09:41:14)に次のようなコメントを頂いた。
「それから 2007-01-03 08:58:33 圭」
――仰ることを具体的にどう展開するのかを考えて欲しいです。居ても立ってもいられない気持は誰も同じです。構造を変えるのは難しいですが、一人ひとりの自覚しかないでしょうから。――
ブログに記した提案は7年も前から自作HPその他で何度か繰返し訴えてきたものだが、そういった方向に変化することを望んでいるものの、ブログ記事にも記したように、「まあ、こうなることはないだろうが。カネ集めが大変でも、カネを力とした選挙活動・政治活動が野心さえあれば、政策的創造性がなくても、誰にもできて、一番性に合うものとなっているだろうから。日本の教師にとって暗記教育が一番性に合う、楽な教育方法となっているようにである」と実現の見込み限りなくゼロに近いと予想しながらの提案であって、無責任といえば無責任ということになる。
1月5日(07年)の「朝日」朝刊記事に「今夏の参院選比例区に自民党公認で立候補予定の前国土交通事務次官、佐藤信秋氏(59)の後援会が、橋梁談合事件で起訴された26社を含む橋梁メーカーにパーティ券購入を依頼していたことが分かった。26社中12社が購入を認めており一部は同省OBからの働きかけがあったと証言。国交省が指名停止や違約金を請求するなど厳しく対処する一方で、前事務官側から選挙資金の提供を求めていた形で、官が民にもたれかかる構図が改めて浮き彫りになった。・・・・・」(『参院選出馬予定の前国交次官 橋梁業界に資金要請』)と出ているように、カネで選挙が政治家・官僚の習い性、血や肉となっていて、頼るはカネの力、掻き集めるだけ掻き集めようということなのだろう。
勿論カネ集めが主目的であるものの、パーティ券を売りさばいてパーティの出席を取り付け、そこで人間関係を断れないより確かな状況に持っていこうといった欲張った計算も働かせた一種の事前運動なのだろう。こういったことが達者な人間程、何様政治家としてのさばっていく。政治は結果だというが、すべてが結果オーライとなっている。
同ブログの出だしに、「ある友人から次のようなメールが送信されてきた。
「2007年1月2日。夏の参院選挙、自民党敗退という期待した初夢は残念ながら見ることはできなかった。夢は現実で見るべし。
その通りだと思ったから、これを合言葉にしようと、さっそく他の友人たちに送信した」と書いたが、上記文章と案内用にブログアドレスを書き込んだメールを、内心無駄な抵抗はやめろと思いつつ、首相官邸と民主党の議員数人に送信はしてみた。
腹の中でチェーンメール形式に同じ文章のメールが友人から友人へといったふうに広がっていけばいいがと期待はしたが、意を汲んでくれた人間がどれだけいるか。尤も反自民派の人間にしか通用しないだろうから、価値ある試行となるとは思えない。
国民・民族の優劣は社会的姿の優劣で判定すべきを、日本人はモノづくりに優れているからと、あるいは誰と誰がノーベル賞を取っているからと、限定的な才能を基準として優れているとしている間は、世の中は何も変わらないのではないだろうか。優秀さの根拠・源泉を日本人一人一人の姿・ありようとは関係ないにも関わらず、2000年の歴史とか万世一系とか、男系天皇とかに置いて日本及び日本人の誇りとしている。その愚かさに気づいていない。
逆説すると、2000年の歴史・万世一系・男系天皇等が日本の醜い社会の姿を隠す便利な薬効をもたらしている。
トヨタは優秀な自動車製造技術を持った日本が世界に誇る大企業である。生産台数世界一を目指していて、06年の米国での売り上げで「メルセデス部門を含むダイムラークライスラー社を初めて抜いて3位」(07.1.4.『朝日』夕刊『トヨタ、初の米3位』)となり、長年外国企業がなし得なかった〝ビッグ3〟の一角を崩す大偉業を成し遂げている。この勢いはこのまま続き、07年には「フォードを抜いて2位に浮上するのが確実視されている」(同記事)程にも
日本の優秀さを代表し、米自動車企業にとっては脅威の的となっている。
既にブログ記事で触れていることだが、トヨタのそういった優れた自動車製造技術や経営体制に反して、昨06年 5月には北米トヨタの大高英昭社長(65)が元秘書(日本人女性・42)からセクハラで1億9000万ドル(約215億円)の損害賠償請求を求める訴えを受け、和解するセクハラ犯罪を犯しているし、昨06年7月にはリコールを申し出た8年も前から多目的レジャー車(RV)の部品の欠陥を知りながら放置していたリコール隠しが発覚している。隠し切れなくなったから、リコールを申し出たといったところだろう。
1ヵ月後の8月13日の『朝日』朝刊はトヨタ系の部品メーカーの請負労働者の労災隠しを伝えている。偽装請負の露見を恐れて労災を隠すという二重の隠蔽なのだが、翌9月には「下請け企業23社が外国人技能実習生のベトナム人約200人を法定の最低賃金に満たない低賃金で不正に雇用したり、割増して払うべき賃金を大幅に下回る時間給で残業させたり」(06.9.?『朝日』)の〝世界のトヨタ〟なるカンバンに偽りありのこすからい不正雇用をやらかして、耐震偽装疑惑でも問題となったいわゆる世間に顔向けできない厳しい〝経済コスト〟追求に及んでいる。
だが、耐震偽装問題では地震に耐えないと知りながら売り抜けたヒューザーの小嶋社長や耐震偽装設計した設計士の姉歯秀次元1級建築士に対して非難の声を上げはしたが、トヨタに対しては非難の声は上がらず、それぞれの美しくないという点では同じ社会的姿に対して異なる態度を見せた。
トヨタの社会的姿に無感覚になれるのは、2000年の歴史・万世一系・男系天皇が日本の醜い社会の姿を隠す便利な薬効をもたらしているのと同じ構図で、世界のトヨタ、技術のトヨタ、〝ビッグ3〟の一角を崩す米国での素晴しい売り上げ台数といった数々の勲章に目を奪われるあまり、トヨタ自身が一面で抱えている醜い社会的姿を過小評価してしまうからだろう。政治家・官僚・企業がどのような不正・犯罪を犯そうと、モノづくり、その他の優秀さをすべてとして、個々の人間・個々の企業の問題と把え、日本の社会全体の姿、あるいは日本人全体の姿としてある問題だと把えることができないようにである。
年末の『朝日』朝刊(06,12,30)はさらにトヨタ本社が本来子会社が負担すべき販売促進費を海外子会社に自動車部品単価を安く売却することでその差額から捻出できるよう肩代わりする意図的に巧妙な操作を行い、名古屋国税局から「税逃れと指摘」を受け、「60億円の申告漏れ」を通告されたと伝えている。
自動車製造技術と販売技術の優秀さに比較したこのような社会的姿の必ずしも〝美しい〟とはいえない一面を世界のトヨタは一方で身に纏っている。これは個人としての人間が常に美しい姿を取るわけではない事実に対応する事実でもあろう。
だが、日本の大企業であることに比例して日本の社会に大きな責任を負っているだけではなく、世界の企業として世界全体に大きな責任を負っているトヨタである。製造技術と商売の優秀さに比例して、組織集団の一部の問題だと、少しぐらいの矛盾した社会的姿を纏っていようと構わないとするわけにはいかないはずである。
勿論企業のこういった美しくない社会的姿はひとりトヨタだけではない。金融機関や一般企業の粉飾決算、事故隠し、脱税、談合、不正雇用等々、いくらでも例を挙げることができる。
安倍首相の「美しい国づくり」の「美しい」とは日本の全体的な技術の優秀さだけを問題とした主張ではなく、「自由な社会を基本とし、規律を知る、凜とした国」のことだと解説していることからも、社会的姿の美醜を国づくりの価値基準とした提案でなければならない。
年頭の記者会見で、「私の内閣発足して約100日が経過をいたしました。この100日間で美しい国づくりに向けて礎を築くことができたと思います。今年をこの礎の上に大きく前進する年にしていきたいと、このように考えています。今年はイノシシ年であります。美しい国に向かってたじろがずに、一直線で参る覚悟でございます」とか、「今年を私は美しい国づくり元年としたいと思っています。日本が持っている良さ、すばらしさ、美しさを再認識する年にしていきたいと思います」などとアッケラカンと述べていたが、「美しい国づくり元年」どころか、政治家の口利き、政治資金収支報告書虚偽記載、先に書いた参院選比例区立候補予定の前国土交通事務次官のパーティ券購入依頼問題、政府税制調査会長だった本間正明大阪大学院教授の公務員宿舎愛人同居問題、企業の申告漏れ、複数の県知事の天の声や談合問題等々、不正・犯罪行為が跡を絶たない姿で次々と明るみに出て、「日本が持っている良さ、すばらしさ、美しさを再認識」しても追いつかない情けないまでの醜い社会の姿をさらけ出している。
美しくない醜いばかりの社会的姿が進行形で続出しているのに、「この100日間で美しい国づくりに向けて礎を築くことができたと思います」と頭からそう信じ込んでいるらしく、シラッとした口調で言い済ますことができるのは、前佐田行革相の問題も本間氏の愛人公務員宿舎同居問題も、その他諸々の政治家・官僚・企業の不正・不祥事・犯罪も「美しい」日本の価値のうちに入れることはできない社会的姿だと深刻には受け止めることができず、そんな神経・感覚はなく、猛スピードで走行する世界に誇る高度技術の結集たる新幹線の車窓に現れたと思うとアッという間に通り過ぎて消えてしまうどうってこともない景色と同様の生成しては消えていく刹那の出来事と把えることしかできない、日本の社会的姿に無感覚な感性が(鈍感なと言った方がいいのかな)なせるワザであろう。どこをどう切り取って、「日本が持っている良さ、すばらしさ、美しさを再認識する」と言うのだろうか。
自分の単細胞・単純さに気づかぬが仏・知らぬが仏で、安倍首相は世界一の幸せ者なのかもしれない。自身のすぐ足元で起こっている美しくない社会の姿をこそ「再認識」すべきを、「再認識」もできず、オンパレード状態で競い合うに任せて、「美しい国」を念仏のように唱えるだけときている。
多くの国民共々、日本人のモノづくりの才能や経済的国力だけに目を奪われて、個人としての社会的な姿、企業としての、政治家としての、官僚としての社会的姿が日本の社会全体の姿・問題となっていることに気づずに、それを責めることも問題とすることもしない。一時的には責め、問題としても、喉元通れば熱さ忘れる健忘症に侵され、相変わらず日本人のモノづくりの才能や経済的国力をだけに目を奪われて看過してしまい、結果として美しくない社会の姿の横行・蔓延の繰返しを招き、政治家・官僚・企業の美しくない同じシーンの焼き直しを永遠に見続けることになる。
こういった延々と続く愚かさから比較したなら、日本人のモノづくりの才能、欧米から比較したならほんの少数に過ぎないノーベル賞受賞級の才能など、それほど誇るうちには入らないのではではないだろうか。