07年1月29日のTBS『みのもんたの朝ズバッ』(主要箇所のみ引用)
柳沢厚労相が1月27日に松江市で行った講演で「女性は子ども産む機械」と問題発言した録音テープを入手したと、「物議をかもした」箇所と断りを入れてテロップ付きで流した。
講演の演題は『これからの年金・福祉・医療の展望について』だそうだ。
「今の女性が子供を一生の間にたくさん、あの、大体、この人口統計学ではですね、女性は15歳から50歳までが、まあ出産をしてくださる年齢なんですが、15歳から50歳の人の数を勘定すると、もう大体分かるわけですね。それ以外産まれようがない。急激に男が産むことはできないわけですから。特に今度我々が考えている2030年ということになりますと、その2030年に、例えば、まあ二十歳になる人を考えるとですね、今いくつ、もう7、8歳になっていなきゃいけないということなんです。生まれちゃってるんですよ、もう。30年のときに二十歳で頑張って産むぞってやってくれる人は。そういうことで、あとはじゃあ、産む機械っちゃあなんだけど、装置がもう数が決まっちゃったと。機械の数・装置の数っちゃあなんだかもしれないけれども、そういう決まっちゃったということになると、後は一つの、ま、装置って言ってごめんなさいね。別に、この産む役目の人が一人頭で頑張ってもらうしかないんですよね、みなさん」
町の女性の声「普通の人ではそういうことは、うん、言わないなあって気がしますけど――」
同「失礼で済むことと、済むことじゃないと思う。やっぱずっとそういうふうに思ってたから、口に出たんでしょうから」
同「そういう簡単な言い方されると、ますます、こうー、産む人が少なくなってくるんじゃないかなーと。もうちょっと軽はずみは発言は避けて、慎重に発言して欲しいです」
女性解説者「柳沢氏は集会があった日の夜、人口統計学の話をしていて、イメージで分かりやすくするために子どもを産む装置という言葉を使ったと説明」
柳沢氏の釈明「ちょっと咄嗟に、そう、何て言うか、何回も言い換えたのね、そこんところ。まあ、何ていうか、装置・設備って、まあ、言ってたのね。そういうふうに――」
(中略)
みのもんた「ご本人は確かに分かりやすく言おうとしていたんでしょうけれども、島根県の松江市で目の前にいる方々たちの大変グレードを低く見たんですよね。こういう表現じゃないと、君たちには分からんだろうからという気持がプンプンと漂っている。私がこの会場にいたら、お前、俺たちをナメているのかと言いますね。分かりやすくするために俺たちが理解するためには機械・道具、そういう言葉を使わなければ理解してもらえない(と思っている)のかというふうに私がさっきから感じていました。それは柳沢さんという人間が松江にいる人たちを蔑視していることになります。先ずその点でも非常ーに(と力を入れて)これは大きな問題ですよね」
小宮山洋子民主党衆議院議員(元NHKアナウンサー)「おっしゃるとおりだと思いますよ。やはり人口政策の道具だとしか女性を見ているとしか思えませんから。いくら言い方を替えたって、ええ、一度言ったということは日頃からそういう考え方だからでね。しかも厚生労働大臣というのは子育て支援の責任者なんですよ。その人が本当は女性たちね、若い人の8割ぐらいは2人子ども欲しいって言ってるんですよ。そういう政策をする人たちが自分たちがその政策を取らないでおいて、女たちに産めと、機械だから産めみたいなことを言ったら、これはこう、やはりその職にとどまるべきではないと、そういうふうに思いますね」
みの「ところが、もう一つ輪をかけてね、自民党の中川幹事長――(と言いながら、中川幹事長の顔写真つきのフリップを手に持ち、そこに書き入れた「〝機械なんで言ってごめんなさい〟とすぐに言い直している。釈明をすぐにしたと理解している」というコメントを声を出して読み上げる)『機会なんて言ってごめんなさい』と言ってるだろう。釈明をすぐしたと私は理解しているよ、とこうコメントを述べたんですけど、私が中川さんだったら、(芝居っ気たっぷりに)何?柳沢ともあろう人がそんなバカなことを言っちゃった?じゃあ、申し訳ない。もう柳沢をすぐに呼んで謝らせますよ。何を考えてるんだろうね、あいつは。それじゃ、そんな失礼なことを言ったらね、ね、何とか挽回するためにも、じゃあどういう案を出したらいいのか、早急に検討して、彼から発表させますよ、とか何とか言ってくれりゃあいいんだけど、釈明するにしたって、『理解している』、要するにカバーしようとしちゃうんですよね、これ。これはだめです」
(何をほざくか、みのもんた。「じゃあどういう案を出したらいいのか、早急に検討して、彼から発表させますよ」で一発勝負の名案をひねり出せるなら、とっくの昔に少子化問題は解決していて、柳沢大臣にしても「産め、産め」とせっつくこともなかっただろうし、それがなければ当然自らの程度の低さをさらけ出すこともなかっただろう。子供が産める環境を整えるのではなく、産めない環境を放置したまま産め、産めとせっついた考え違いを愚かしくも犯したのである。そのことを責めるべきだろう。民主党の小宮山洋子議員が既に「そういう政策をする人たちが自分たちがその政策を取らないでおいて」と指摘しているのだが、自分の頭にあった考えにしか目が向かなかったようだ。)
末吉竹二郎・金融アナリスト「日本の政治家はですね、人権問題に極めて鈍感と言わざるを得ませんよね。ですから、これあの、自民党の中の女性議員沢山いらっしゃるけれども、その方々にも申し上げたいんですけども、これは党派を超えた日本全体の問題・世界の問題なんですよ。女性の人権・産む権利をどう認めるかって言うのはですね。これは日本の女性全部、本当に声を大にすべきですね」
(「声を大に」するのはいいが、今通常国会初日だかに自民党の野田聖子議員は初登院だからなのだろう、艶やかな和服姿で登場していて、他にも和服姿の女性議員がいたようだが、「自民党でなんであれ、緊張感を持つには着物を着ることはいいことだと思います」とマイクに向かって言っていたが、情けない話で、形を借りなければ緊張感を持てないような政治家は日本の政治家として必要ではない。野田聖子の言っていることを裏を返せば、緊張感を持つにはいつも着物姿でいることが必要になるということになる。自分がどんなことを言っているのか気づかないのは今回の柳沢厚労相と同じだろう。)
みの「大体がね、日本の国会議員にしても、県会議員にしても市会議員にしても、議会の会場を見るとね、女性が少なすぎます」
小宮山「そうですね。国会議員が1割ですからね」
みの「おかしいです。半数が女性じゃなくちゃ、法律はダメなんですよ。大体東京帝国大学って言うんですか、昔の?今の東大?あの、つくったとき、女性のトイレつくんなかったって言うんです。それから暫くして女性のトイレもつくろうかと、そんな感覚で明治維新政府はスタートしてるわけだから、やっぱり少しそういうところ、是正しなけれがダメじゃないですか。そのために一番必要なのは先ずね、女性を好きになることですよ。(自分から笑いもせずにすぐに)野党、辞任要求も、ということです(と次のフリップに移ったところを見ると、適切なユーモアではなかったと瞬時に気づいたのだろう)」
(東京帝国大学が女性トイレをつくらなかった譬えよりも、戦前まで女性には参政権が認められていなかったことを挙げるべきではなかったか。男にしても1925(大正14)年の衆議員選挙で初めて認められ、歴史はそんなに古くはなく、女性は男よりも判断力が劣ると見られていたということだろう。夫に従属し、家に従属していた。いわば国家の最下位に位置していたのである。そのような日本の美しい歴史・文化・伝統を受け継いで、小宮山女史が言う「国会議員が1割」という21世紀の今日の世界に反したお粗末であるが、日本的には美しい現実があるのである。)
(中略)
末吉「安倍さんはアメリカと、例えば民主主義上の価値観を共有するとおっしゃってますけどね、これ民主主義の一番原点とこじゃないですか。人の権利・女性の権利をどう認めるかということ、こういったところで共有できないような発言が出てですね――」
みの(遮って)柳沢さん、奥さんいるのかいないのか、いるなら奥さんに叱られるでしょうねといったことを言い出す。(そんな個人の問題に集約すべき事柄ではないというのに。)
司会者のみのもんたも出席者の小宮山議員、金融アナリストの末吉氏、それにTBS解説委員の杉尾秀哉にしても、柳沢発言を主として〝産む・産まない〟は女性の権利だとする人権問題で把え、批判しているが、一つ見逃していることはないだろうか。
産め、産めとの要求は、要求する主体が国家権力の一員である以上、国家という上の立場からの指示であり、意識していなくても、結果としてその指示への従属を求める権威主義関係への無理強い・強制に当たる。いわば本人がそう意図したものではなくても、個人が管理すべき出産という事柄を上からの指示という国家の管理によって問題解決させたい、少なくともその線上の衝動を疼かせた。いわば戦前の日本が兵力増強を目的として、「埋めよ殖やせよ」と上から号令をかけて強制したのと軌を一にする出産に対する国家管理思想の発動であろう。
国家管理は国家への奉仕を要求課題とする。「10人以上の子どもを持つ親が『優良子宝隊』として表彰された」と『現代用語の基礎知識』(自由国民社)には出ているが、「10人以上」が最優秀の奉仕目標に設定されていたのである。
国家管理思想(国家への奉仕要求)から出た意思表示だからこそ、女性それぞれを命ある人間と見るのではなく、「産む機械・産む設備」と機械視できたのだろう。戦前の日本は「埋めよ殖やせよ」と言いつつ、一方で戦場で多くの兵士を死なせ、それを国家への奉仕とさせていた。〝兵力増強〟が〝経済増強〟に目的が変わったに過ぎない。
女性に対しての「産む機械・産む設備」を男に当てはめるとしたら、「働く機械・働く設備」と擬(なぞら)えることができる。国家権力を担う人間が発した言葉であるとしたら、国家に管理され、国家に奉仕する「働く機械・働く設備」へと転ずる。
また国家管理思想は「産む役目の人」という言葉にも表れている。女性は「役目」で産むわけではない。にも関わらず、国の立場から見て「産む役目」とすること自体、産む性と見なして管理しようとする意志の働きなくして出てこない発想のはずである。女性はたくさん産むことによって、国家への奉仕となる。
国家という上の位置からではなく、対等な位置に立って女性をそれぞれに人格や喜怒哀楽の感情を有した同じ人間と見たなら、決して機械に譬えることはできなかったろう。無意識下で、国家権力によってコントロールしたい意志を働かせたのである。
みのもんたが同じ問題を扱った早い時間のコーナーで、「任命した大臣が次々問題を起こす。個人的には安倍さんがかわいそう」といったことを言っていた。対して民主党の小宮山洋子が「任命責任というのがありますから」と応じていた。
柳沢厚労相が安倍内閣の一員で、安倍首相が任命責任者という関係だけではない。柳沢厚労相が出産を国家の指示でコントロールし、国家に奉仕させたい衝動を疼かせた国家管理思想の持ち主であるように、安倍首相も教育や憲法を使って上からの指示による要求によって国民を〝愛国心〟で従属させ、〝愛国心〟を通して国家に奉仕させるべく権威主義的衝動を疼かせている国家管理思想(=国家主義思想)の持主であり、その点において両者は極めて近親的に通底していると言えるのではないだろうか。
「産む機械・産む設備」発言は〝産む・産まない〟は女性の権利、あるいは自己決定権の問題、さらには任命権者の責任云々で終わる事柄では決してなく、そこに国家管理思想(=国家主義)の意識が働いていると見たが、これは大袈裟な受け止め方だろうか。今一度日本国憲法が保障している「国民主権」を思い返してみれば、よく理解できるのではないだろうか。国民は国に対して人間としての扱いを要求する権利を有するが、国は国民をモノや機械として扱う、あるいは見立てる如何なる権利も有していないし、モノや機械として国に奉仕させる如何なる権利も有していない。「国民主権」とはそういうことも言うはずである。