前日朝(07.1.24)のTBS「みのもんた朝ズバッ!」が宮崎県新知事・そのまんま東こと東国原英夫氏が一昨日県庁に初登庁し県職員を前にして挨拶した模様その他を報道していた。同じ場面でありながら、時間を違えて微妙にずらして何度か放送していたから、ずらした箇所を当方で纏めて一場面としてみた。
東国原英夫新県知事「この宮崎県に、宮崎県庁に裏ガネというのがございませんか。もしあるんであれば、早期に、早期にその膿を出したい。後で分かるようなことがあれば、また恥じです。非常に恥じですから――」
みのもんた「優しいね。ボクだったらこんな優しいことは言わないね。その場で、全部出しなさいって言う――」(このセリフの部分は記憶から)
岸井成格(しげただ・毎日新聞特別編集委員)「さあ、それで出すかどうかですね」
みのもんた「でしょう?――」(態度急変)
寺脇研(ゆとり教育導入の元文科官僚)「でも、それ言っちゃったということの意味は大きいですね。岐阜県知事さん何とかもね、そんなことは俺知らなかった――」
みの「梶原さん――」
寺脇「で、知事が聞いたでしょ。聞いたっていうことは、今まで聞かれなかったから答えませんでしたとか言い訳できないわけですけれどもね。もう聞かれっちゃったわけですから」
岸井「業務命令になっちゃう――」
みの「うーん、なるほどそうなるんだ」(納得の笑顔を女子アナにも振り撒く)
岸井「副知事に誰を持ってくるかですね」
みの「うーん、副知事ね」
岸井「すぐにはできないかもしれないけどね」
みの「ボク、日曜日は空いてるんだけど」(と笑いを取る)
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何とまあ気楽な遣り取りに終始しているのだろうか。「膿を出したい」からと言われたって、誰が正直に告白などするものか。裏ガネに手を染めていた部署・人間があったなら、さっそく証拠隠滅に取り掛かっているだろう。現金であれば、誰かが預かる。口座に預けてあったなら、個人名義に書き換える。以前他の官公庁でしていた手口を踏襲するだけだろう。それもなるべく下っ端の人間に回す。責任が上の人間に及ばないようにである。
なぜなら、出しましたで済まないからだ。戒告・減給・左遷・懲戒・降格等の彼らが最も恐れる経歴にキズがつく責任が伴うだろう。隠せば等分はビクビクしなければならないだろうが、喉元通れば熱さ忘れる、頭を低く下げて台風をやり過ごすといったことも人生経験上知ってもいるだろうから、後日での露見も計算に入れてイチかバチかの知らぬ存ぜぬを押し通すに違いない。
後日露見が現実のものとなったとしたら、そのときは開き直って戒告・減給・左遷・懲戒・降格を覚悟し、関係者一同、神妙そうに雁首揃えて頭を下げる。第一難関はそれでやり過ごせることぐらいは不祥事を起こした日本全国の諸先輩方々がそうして凌いできたことを学習もしているだろう。
最悪懲戒免職になったとしても、課長とか部長とかの地位を獲得していたなら、現役中に世話になったお返しに先輩幹部退職者の天下り等の再就職後の活動に利益を回すなどの手を貸す恩を売り・売られる回りまわっている同じ穴のムジナ関係・馴れ合いを利用して、それ相応の収入ある仕事の世話を受け、潜り込むぐらいのことをするだろうから、懲戒免職といういっときの不名誉を我慢しさえすればどうにかなるぐらいのことも学習していて、たいして痛くも痒くも感じないに違いない。
天下りした先輩幹部退職者に対する利益供与は彼らのためと言うよりは、そのような美しい日本の伝統を受け継ぐことで自身が天下りしたときに同じ伝統の恩恵に与ろうとする先を見越した将来的自己利害からなのは既に通念化している。
以上見てきたように後からの露見に高を括っているとしたら、寺脇元文科官僚が言っている「今まで聞かれなかったから答えませんでしたとか言い訳できない」ことなど問題としていないだろうし、知事があのとき言ったのに、なぜ出さなかったと詰問したとしても、相手にとってはカエルの面にショウベンで、単に知事自身の責任逃れに姿を変えるだけのことだろう。
裏ガネのプールは予算の私的流用による税金のムダ遣いといった問題で終わらない。予算の効率的な執行だけではなく、職員の仕事の能率(=効率性・生産性)と深く関わっている。与えられた予算を限られた金額と定めて有効に使おうとする意志を常に働かせていたなら、そのエネルギーは自動的にムダ遣いを回避する方向に作用するだろうし、そのこと自体が職員の仕事の能率(=効率性・生産性)に転換されていく。
裏ガネの存在はその逆の力学の支配(=予算を〝有効に使おうとする意志〟の不在支配)の証明以外の何ものでもなく、そのことは当然予算の効率的な執行と職員の仕事の能率を蝕み、
望ましい姿を損なっていることの証明とすることもできる。
東国原英夫新知事がこのようなことを弁えて裏ガネのことを言ったのかどうかである。弁えていたなら、単に「膿を出したい」、「恥じです」ということではなく、予算の効率的な執行と職員の仕事の能率(=効率性・生産性)に深く関係することを説いて、裏ガネ等のムダを牽制する警告にするといったことをすべきではなかったろうか。裏ガネの問題だけで終わらないこと、その人間の存在性・有り様を左右する心掛けの問題だと。
日本の公務員が欧米の公務員と比較して生産性が低い(=予算執行の非効率と仕事の非能率)状況にあるということは、公務員世界全体に亘って何らかの裏ガネ行為かそれに類する金銭的ズサン行為(随意契約とかキックバック、あるいは各種接待や収賄、同じ日の夕方の同じTBSで「みのもんた激ズバッ」なる番組で取り上げていた政務調査費や政治資金の私的流用等々)が支配的となっていて、それが影響したマイナス状況と見て間違いないのではないだろうか。
予算が限られていることも考えずに、その中から私的に少しでもいい思いをしよう、少しでもおいしいことに与ろうと、そういった方面に精力を使うことで、当たり前に為すべき仕事が疎かになる。
公務員世界全体の問題だとするこの見方が間違っていないとすると、どのような政府機関にしても地方自治体にしても一筋縄で行かぬ伏魔殿となっている可能性が生じる。そのまんま東新知事と会談した県議会議長が会談後、新知事の印象として「緊張感を感じさせるような、畏怖を感じさせるような存在ではないと感じた」といったことを平気で口にしていたが、私的な間柄での会話ならともかく、テレビカメラに向かって公言したのである、相手に失礼を欠く、あるいは見下し軽んずるような冷笑的態度は一筋縄でいかない伏魔殿の住人でなければ示し得ない態度だろう。
東国原英夫新知事に一つ疑問に思ったことは、初登庁時は公約どおりホームセンターで買ってきたとテレビが報じていた真新しい作業着を着用していたが、認証を受けるときと県知事の椅子に初座りしたとき、それに昼飯の弁当を食するときは着替える暇がなかったのか、スーツ姿だった。それは改まった席ではスーツ姿となることの宣言のように見えたが、なぜどんな時・場合でも作業着姿で通さないのだろうか。国会や中央省庁に行って大臣に陳情する場合もである。それが一つ筋を通す意志表示となると思うのだが。
よく言えば柔軟、悪く言うと、時と場合でカメレオンのように態度を変えるシグナルのようにも見えた。県民の見えない場所で官僚と馴れ合い、官僚の指示に乗っかって抜かりなくこなすだけ、成果は自分の手柄にしていくといったことなら、不祥事さえ起きなければ無事安泰の幸運に恵まれるが、何のためのそのまんま東か不明となる。