戦争を検証しなかったことに始まる
富山県で2002年の1月と3月に起きた婦女暴行、同未遂の2事件で懲役3年の実刑判決を受け、2年1カ月の服役後仮出所、その後真犯人が判明したことを受けて行われた10月10日(07年)の再審で冤罪と認められて無罪が確定した「富山冤罪事件」。
だが、弁護側が<県警の高圧的な取り調べが柳原さんを自白に追い込んだと主張。捜査の経緯を解明するため、取り調べを担当した警察官の証人尋問などを求めたが、却下された。>(07.10.10/15:58asahi.com≪富山の冤罪男性、再審で無罪 女性暴行で逮捕・服役≫)裁判であったと言う。いわばなぜ誤認逮捕が起きたのか、取調べがどのように行われた結果、誤認逮捕であることに気づかないまま真犯人と断定するに至り、告訴に踏み切ったのか、また取調べ側の取調べの態度と対応する形で被疑者が無実でありながら、罪を認めざるを得なかった経緯等の解明が再審では取り上げられなかった。
このことは無罪獲得後の冤罪被害者の記者会見での感想が証明している。
「納得のいかない判決だった」、「無罪判決をもらっても、真実が闇に葬られたままではうれしくない」(07.10.10/20:22東京新聞)
冤罪は何もこの件に限らない。今回の冤罪と比較する形で県議選での公職選挙法違反容疑で逮捕された12人の被告全員が無罪となった03年の鹿児島県警の不当な取調べを多くのメディアが取り上げている。県警の警部補は家族の名前を書いた紙を被疑者の足を捕まえて無理矢理踏ませる「踏み字」まで強制して自白を強要したと言う。民主主義の時代であることを差引いたなら、江戸時代の封建主義の時代のもとに行われたキリシタン弾圧の「踏み絵」にも等しい優れたアイデアである。誰が考え出したのか、IT時代に反した大時代的且つ時代遅れなその才能には感服する。
再審裁判が冤罪を生じせしめた警察の体質・取調べの経緯の検証まで踏み込まなかったとしたなら、警察庁は監督官庁として第三者を交えた検証機関を設けて徹底的に調査・検証すべきなのだが、<警察庁は、緻密(ちみつ)で適正な捜査を求める通達を全国の警察本部に出した>(07.10.11/1:23「読売」≪富山冤罪事件 無罪でも失われた時は戻らない≫)にとどまっている。通達の内容は<証拠収集の徹底など、いずれも基本的な内容>に過ぎないと同記事は伝えている。
記事自体も<両事件とも、捜査幹部はどんな指揮をしたのか。>と調査・検証を求めているが、そのことに反して「適正な捜査を求める通達」のみで冤罪の調査・検証がなければ、冤罪発生の構図がウヤムヤとなり、忘却の彼方に追いやることになる。
「通達」が今後二度とこのような冤罪事件を犯さないようにと注意していたとしても、真犯人だと思い込むに至った誤った予見はいつどこでどのようにして発声したのか、取調べの過程で誤った予見を修正する機会はなかったのか、機会はあったが、他に犯人はいるはずはないといった先入観が優って、あるいは別の犯人が浮かんでこないことから違うかもしれないという疑いを押さえ込んでしまったといったことはなかったか等の取調べ側の心理面をも含めた冤罪への進行過程を解明する具体的な調査・検証を省いたのでは、他の警察官にとって自己の捜査経験との比較対照で自己省察の機会を与える参考材料とはならないだろう。
また取調べ側が冤罪事件を引き起こしたとしても調査・検証を行わずに訓戒や戒告で済ませた場合、あるいは警察自体の冤罪を生む体質まで問わないトカゲのシッポ切りのような主たる当事者のみの懲戒処分といったことであったなら、それが自己保身の安心材料を提供する前例となって、逆に冤罪に対する姿勢に気持ちの隙を与えることにならないだろうか。
冤罪の具体的な成立過程を逐一知り、そのことを学習することによって、少なくとも似たような経緯を辿ることの予防にはなるはずである。
いわば警察庁の「通達」は冤罪経緯解明の姿勢を省略していることによって、今回の冤罪は冤罪としてそのままにして置く、あるいはそのままに収める内容を取るものであろう。ここに自分たちの問題であるにも関わらず放置する狡さはないだろうか。大相撲の時津部屋の親方も関わっていた部屋所属力士の時太山に対する暴行死を文科省の指導を受けるまで自分たちの問題であるにも関わらず放置していた相撲協会自身の姿勢に通じる警察庁の態度にも見える。
指導を受けた以降の相撲協会の姿勢は単に事件に限った、親方や兄弟子たちといった関係者のみからの聞き取り調査で、指導の名で行われている体罰まがいの物理的な強制が一歩間違えると傷害や死につながる危険性を背中合わせに抱えた大相撲界全体の慣習として罷り通ってはいないかの調査・検証ではなかった。
日本弁護士連合会が冤罪の被害者から真犯人にされた経緯と裁判での状況を聞き取る調査を行ったということだが、それが容疑者の立場に置かれ、且つ真犯人にデッチ上げられていく過程での自身の心理面も含めた様々な状況を解説し得たとしても、取調べ側が演じた内面的な冤罪の構図にまで立ち入ることは困難であろうから、一面的には警察や司法に対する警告にはなり得ても、取調べを行う者たちに対する自らを戒める直接的な訓戒の材料となり得るかは疑わしい。
調査・検証がないのは警察の冤罪だけではない。年金保険料を着服した市町村職員に対して刑事告発を行わずに弁済や懲戒免職等の内部処理で済ませた自治体に代わって桝添要一厚労相の意を受けて社会保険庁が今回刑事告発に踏み切ったが、厚労相が手をつけなければならないのは厚労省の外局に当たる社会保険庁の年金記録の回復と並行して、なぜこのような年金問題が起きたかの調査・検証であろう。
安倍内閣時代にしたことは、誰に責任があるかの名指しの非難合戦のみで、なぜこのような事態に立ち至ったかの調査・検証までは手をつけなかった。監督官庁としての厚労省の社会保険庁に対する管理が機能していいなかった背景と原因、代々の社会保険庁長官の社会保険庁職員に対する管理・監督が機能することがなかった背景と原因、長官職自体が厚労省からの天下りによって占められていて、それが高額給与取り・2~3年の腰掛け、なお且つ高額の退職金とカネだけ手に入れて仕事らしい仕事はしないで次へ移っていく「渡り」と言われる結構な役割から窺うことができる苦労は何一つ背負わないボロ儲け一方に見えるご身分が職員の職務上の士気に何らかの影響を与えていなかったか、双方の人間関係図式――いわば天下り長官のどうせ2~3年の腰掛だといったご気楽さが示すべき職員に対する管理・監督意識を弛緩せしめていなかったか、一方天下り長官の結構尽くめの境遇に対するいい気なものだといった反発が影響した職員の杜撰・怠惰な職務態度の体質化なのかどうか、そういったことも含めてすべての調査・検証を行って今後の管理・監督の教訓、職務態度の戒めとすることの方がより重要なことで、そのことと比べたなら地方自治体職員に対する告発は例え必要であっても雑魚相手の騒動と化す。
ところが社保庁長官の賞与全額の約270万円の返納や職員1万7千人の賞与の一部返納、さらに安倍首相や塩崎官房長官のボーナスの返上、丹羽元厚相の年金辞退等と後は年金記録の回復と自治体職員に対する告発ぐらいで、なぜそういった前代未聞の不祥事が起こったのかの調査・検証に替えて一切の幕を引こうとしている。
人間は自己利害の生きものではあるが、自己を取り巻く人間関係や経済関係といった時々の状況に支配されて自己利害は微妙に変化する。そのような自己利害の影響を受けて人間活動は全体的な姿を取る。
逆に人間活動の全体的な姿を調査・検証することでそれぞれの自己利害を支配していた状況を解き明かすことができ、そこから状況と自己利害との関連を結び付けていた心理機制まで探ることが可能となる。いわば全体的な活動を形作っていた人間の心理の流れを知ることできて、その心理の流れを自らの行動の場面場面での心理の動きに対する反省点とすることができる。
戦前の国民が国家に縛られていた時代ならともかく、我々日本人が戦争の敗戦を機に戦後民主主義を得たとき、それをチャンスになぜあの時代、天皇絶対主義や大和魂に代表させた日本民族優越意識といった過剰な精神主義に侵されて合理的な判断思考を排除し、そのような日本独特の精神主義に立っていたがゆえの軍部の日本の国力・軍事力と比較したアメリカの国力・軍事力の過小評価と、それが結果として机上の空論を組み立てる原因をなした作戦を絶対と信じて国民一丸となって戦争に突入せしめ、大東亜共栄とは似ても似つかない惨めで散々な敗戦と国土の破壊を手に入れるに至ったか、その経緯を調査・検証することを通して日本人自らが引き起こした戦争を徹底的に解剖して戦前の日本人の活動を動機付けていた精神主義の心理機制を解明し、誰がどう責任を取るか、すべきことをしていたなら、何事につけても調査・検証する姿勢を歴史とし、文化とし、伝統とすることができたのではないのだろか。
如何せん、肝心なときに調査・検証を怠って今日に至っているから、逆に何事につけても調査・検証する姿を取らないことが歴史となり、文化となり、伝統となったに違いない。
そしてこのことと付随して、詰め腹を切らされるか、トカゲのシッポ切りで取らされる責任を除いて自らは責任を取らない国民性という不名誉がついて回ることとなっている。