入門したての17歳の時太山を「指導」の名を借りた制裁・暴行で死なせた、いわゆる大相撲界の「かわいがり」に端を発した事件に自らが関わった時津風親方が相撲協会から解雇処分を受けた。
どう処分するか何日か協議を重ねていたさなかに武蔵川部屋の部屋付きの山分親方が弟子に暴行、怪我を負わせたとして書類送検されていたことを各報道機関が伝えている。それを『asahi.com』(07.10.04/23:19≪山分親方を傷害容疑で書類送検 元力士殴る 武蔵川部屋≫)で見てみると、
<大相撲の武蔵川部屋(東京都荒川区東日暮里)で6月、元力士のちゃんこ番の男性(30)を殴ってけがを負わせたとして、警視庁荒川署が部屋付きの山分(やまわけ)親方(35)(本名・西崎洋、元小結和歌乃山)を傷害容疑で書類送検していたことがわかった。武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は「男性は新弟子に暴力を振るっていた」として男性を訴える意向を示しているが、時津風部屋の力士がけいこ中に急死した問題に続いて、角界の体質が問われそうだ。
調べでは、山分親方は6月18日午前10時半~11時ごろ、部屋のけいこ場で、包帯を巻いたほうきの柄の部分で、男性の両腕を繰り返し殴るなどし、約2週間のけがを負わせた疑い。
男性はこの数日前、後輩の力士(19)をビール瓶ケースの上に座らせたり、すりこぎで頭を殴るなどしたとされる。それを知った山分親方が男性を注意したが、「反省の色が見られない」と感じ、「同じような思いをさせる」と、男性をケースの上でそんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせた。さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴ったという。
男性は直後に部屋を辞めて、7月に同署に相談。事情聴取に対し、山分親方が男性を殴った事実を認めたため、同署は9月下旬に書類送検していた。
山分親方は4日夜、武蔵川部屋で記者会見し、「このたびはご迷惑をおかけした。男性へのしつけの一環だったが、行き過ぎという自覚はある」と語った。
師匠の武蔵川親方は同日、報道陣に対し、男性が新弟子に度々暴力を伴う「いじめ」を行い、恐怖を感じて部屋を辞めた弟子もいたことを明らかにした。そのうえで、「山分の行為はやりすぎた面があって残念。しかし基本的に弟子を守るための行為だった。悪いのは男性の方で、男性を訴えるよう、いじめられた者に準備させる」と話した。
武蔵川親方は日本相撲協会理事。時津風親方の問題で伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)とともに、時津風部屋の力士らから事情を聴く役目を担った。 >
要するにちゃんこ番の力士が<新弟子に度々暴力を伴う「いじめ」を行い、恐怖を感じて部屋を辞めた弟子もいた>。そのことに対して、山分親方は<注意したが、「反省の色が見られない」と感じ、「同じような思いをさせる」と、男性をケースの上でそんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせた。さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴>る制裁を行い、怪我を負わせ傷害容疑で書類送検された。
山分親方は<注意した>としているが、その言葉がちゃんこ番の力士には無力と覚ると、言葉に代えて最終的には物理的強制力を以ってしてちゃんこ番の力士を自分の意向に従わせようとした。ちゃんこ番の力士にしても弟弟子たちに対して言葉によってではなく、物理的強制力によって自分の意向に従わせていた。
部屋の親方である武蔵川親方は山分親方の仕打ちを<基本的に弟子を守るため>に「いじめ」を改めさせようとした正当性のある<行為>だとして、ケースバイケースで正当化し得るとしている。
『サンスポ』には漫画家やくみつるの言葉が載っている。「やりにくい世の中になったな、というのが率直な印象。体罰を容認するわけではないが、後輩への暴力をいくら注意しても聞かないときに親方がたたくことも許されないのなら、相撲部屋の秩序はどう守られるのだろう。従来の『指導』範囲を極端に狭めれば、相撲の質低下につながりかねない」
やくみつるにしても山分親方の行為は「『指導』範囲」だとして、叩くことぐらいは許されるとケースバイケースの立場を取っている。
だが、そのような物理的な強制力を働かせた稽古上、あるいは生活態度上の「指導」はそれを行う者と受ける者との間に支配と従属の関係を前提として初めて可能となる。支配と従属の関係をそこにつくり出すことができなければ成り立たない「指導」であろう。
支配と従属とは、07.9.29(土曜日)の当ブログ≪時太山暴行死は親方の自律性(自立性)欠如が原因≫では「支配と被支配」で説明したが、自律性(自立性)や主体性から離れた場所で成立する。
35歳にもなっている大の大人でなければならない山分親方が30歳にもなる、同じく大の大人となっていなけれならないチャンコ番の人間を言うことを聞かすために本人の自覚を待つのではなく、ビール瓶のケースの上で<そんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせ>、<さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴>る。
また、それが稽古上、あるいは生活態度上の「指導」であったとしても、30歳にもなる大の大人でなければならないチャンコ番の力士が<後輩の力士(19)をビール瓶ケースの上に座らせたり、すりこぎで頭を殴るなど>などしなければ「指導」できない。
果たしてそのような「指導」に相互的な信頼関係は望めるのだろうか。内心に恨みや反発を誘い出さないだろうか。
いわゆる「かわいがり」が大相撲の世界では指導するための当たり前の慣習として行われているにしても、そのような物理的強制力に頼ることでしか「指導」できない人間関係とは悲しいと言うだけではなく、ちょっとお粗末ではないだろうか。何のための人間かと言うことになりかねない。
例え大相撲に入門したての中学卒業したばかりの15、16歳の若者に対してであっても、一旦物理的強制力を働かせた支配と従属の関係で絡め取ったとき、若者は上の立場に立ったとき、それを上の者に受けたときと同じように下の者に対する「指導」の方法とすることになる。言ってみれば、上下の人間関係に於ける意思伝達の方法とする。
かくして物理的強制力を力とした支配と従属の関係は慣習として循環形式を取り、物理的強制力を血や肉としなければ「指導」を成り立たせることができなくなる。いわば「かわいがり」を方法としなければ、どのような「指導」もできなくなる。そのような循環形式の慣習の中に大相撲の人間たちは自らを置き、蠢いている。
≪時太山暴行死は親方の自律性(自立性)欠如が原因≫でも言ったことだが、このような関係は果たして大人の関係と言えるのだろうか。
お節介なことだが、改めて次の言葉の意味を『大辞林』(三省堂)から引用しておく。大相撲界には望むべくもない人間性なのだろうか。
【主体性】――自分の意志・判断によって自ら責任をもって行動するさ
ま
【自 律】――他からの支配や助力を受けずに、自分の行動を自分の立
てた規律に従って正しく規制すること。
【自 立】――他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。
独り立ち。