医療給付費・医療費の差別化を

2008-01-15 12:01:55 | Weblog

 そして先天性・後天性に関わらず、体質や遺伝からの難病には手厚い保護を

 『国民が真に求める医療政策を実現するために:7つの課題』なるHPに次のような指摘が掲載されている。

 <生活習慣病予防の自助努力を医療費負担に反映

 <生活習慣病に対応した医療費負担の考え方についても調査を行い、国民の半数以上が、生活習慣病については個々人の自己管理が報われる支払いメカニズムを求めていることが示された。「本人が予測・予防できない救急や感染症などの医療は患者負担を軽くして、予測や予防が可能な生活習慣病については患者負担をより重くすべき。そうすれば、患者が自分で健康管理をするようになるし、医療費負担もより公平になる」という考えに対しては、56%が賛成し、反対の42%を上回った。>(『国民が真に求める医療政策を実現するために:7つの課題』

 医療給付費は年々4%の勢いで伸び、2025年年には50兆円を超えると見られているという。公費負担も28兆円規模に膨らむらしい。医療費の方は2010年には54兆円、その42%を老人医療費が占めるという。当然高齢者医療制度の抜本的な改革は避けて通ることはできない。

 その線上に自民党の「聖域なき改革」の旗印の下、国民のための医療政策ではなく、やらずボッタクリの姿を見せることとなった国の借金を減らすためだけの医療費抑制政策の展開がある。「障害者自立支援」の名による本人負担を増やす「障害者自立支援法」、同じく負担を強いる75歳以上高齢者の医療費出来高払い制から「定額制」への移行の拡大方針。

 またやらずボッタクリの医療制度改革の一つ、看護師の配置増加による集中医療で入院期間の短縮=医療給付費の抑制を目的とした06年4月導入の「診療報酬改定」が逆に看護師の大病院一極集中を招き、それ以外の場所での看護師不足の格差の招来。

 大学卒業医師の研修先自由化によって大学居残りが減少して医師不足を招いた大学病院が地方の公立病院に派遣していた医師を引き揚げざるを得なくなって地方公立病院の医師不足、その先の外来や診療科の閉鎖、果ては病院そのものの閉鎖にまで至っている状況。

 結果常勤医師の労働量が増え、過酷な勤務状況に耐えかねて退職していく医師が続出して医師不足とオーバーワークとの関係が累進的に悪循環する傾向。

 医師の技術料を含む部分を初めて下げる医療費削減を進めたが、開業医の病院勤務医に比べた高収入構造に手を入れるのを放置したたために開業医へシフトする地方の勤務医が増加、地方病院の勤務医不足になおのこと拍車がかかった小泉診療報酬改革。

 すべては自民党内閣の国民を脇に置いた「国民?そんなの関係ねえ、オッパッピー」の財政再建至上命題医療政策が招いた混乱であろう。

 医師不足が救急患者のタライ回しの原因の一つでもある社会混乱。国民の命の軽視・生きたままの命の生き剥がしにつながっている。

 だが、参院選に大敗し、総選挙の勝敗も難しい状況を迎えて、福田内閣は「高齢者医療費負担増の凍結」や「障害者自立支援法の見直し」へと財政再建目的から選挙戦目的へとシフトさせる方針に出た。決して国民の利益を第一目的としたのではない。票欲しさの政策一部転換に過ぎない。

 75歳以上高齢者の医療費出来高払い制から「定額制」への移行拡大は老人たちが病院の待合室を時間潰しの場・おしゃべりの場とし、結果として招いている過剰受診と病院側の過剰診療による医療費の増加を抑制する狙いだとしているが、確かにそういった状況があるにしても、そのことへの手当ては自分で自分なりの時間を持ち、有効に過ごす手段を講じ得ない老人の存在を断つのではなく、再生産される時間的不毛な老人たちを、その再生産を無視して単に遠ざけるその場しのぎの対症療法に過ぎない。

 老人たちにとっては時間潰しが優先目的の受診だから、一つの診察が完了したら悪くもないのに別の病名を持ち出して診察を受けたり、診察券を出さずに待合室に陣取っておしゃべりで時間潰しをするウルトラCに出ない保証はない。

 そうなったら脅して遠ざけたにも関わらず前の脅しは二度と効かずに再飛来するカラスの大群がみたいなものである。

 厚生省が<近い将来介護に必要になりそうなお年寄りを市町村が「特定介護者」に認定。体力アップ教室などに参加してもらい、要介護や要支援の状態になるのを水際で防ぐ>趣旨で始めた「介護予防事業」は参加者が集まらず、参加要件を緩和することにするという朝日記事(07年1月21日≪介護予防の要件緩和 教室参加者集まらず≫)がるが、これも「お年寄り」が「近い将来介護に必要になりそうな」身体状況になるのを待ち構えて網に絡め、「介護予防」教室に取り込もうという政策で、原因療法ではなく、「近い将来介護に必要になりそうな」「特定介護者」の再生産を放置した遠回りな対症療法でしかなく、一見医療費を抑制するようで、逆にある程度カネがかかる仕組みにしている。

 尤もカネがかかった方が「介護予防事業」に天下りその他の利権を紛れ込ませやすくすることができ、官僚にとっては却って都合がいいのかもしれない。

 要支援や要介護が必要となりそうな「特定介護者」の再生産の根を可能な限り断ち、高齢者医療費を根本から抑制するには記HPの「生活習慣病予防の自助努力を医療費負担に反映」の方法が最適に見えるが、「予測や予防が可能な生活習慣病」と言っても、これも「予測や予防が可能な」状態になるまで――いわばある程度健康を害するまで待ってから医療費を差別化する方法で、必ずしも抜本的な原因療法とは言えない。

 また人間は病気になって初めて健康のありがたみを知るように、医者に注意されるまでは関心を払わなかったり、あるいは注意されても、高い収入を得ている者は少しぐらい医療費を多く払ってもさして気にしない場合もあるし、またそこそこの収入でも特別に体の調子が悪いわけではないとなると、暫くは気をつけても、そのうち遊びをを優先させて医者の注意が届かない場合がある。飲酒運転の罰則が厳しくなると当座は飲酒運転を控えるが、時間が経つと運転してしまうようにである。そして重大な人身事故を起こす。

 米国の医療保険制度は企業ベースの医療保険が主体で社員の病気は直接経営コストに跳ね返ってくるために社員の健康管理教育を行ったりしているそうだが、確かアメリカでは3人に1人が肥満体質だと聞いたことがある。肥満は心臓病、糖尿病の宝庫だろうから、企業の社員健康管理教育は「そんなの関係ねえ、オッパピー」で飽食・運動不足の怠惰な生活に慣れ切ってしまっていて、なかなか効果が現れない状況にあるのだろう。

 より完全な形で「予測や予防が可能な生活習慣病」を断つには、生まれたときから死ぬまでの国民一人ひとりの健康状態・病歴を一括して記録して、通院のたびに医者がその記録に診断内容を付け加え、健康状態が悪化している症状に対しては医療費を高く取る。

 母親の胎内からこの世に生を受けた瞬間からの身長・体重・脈拍数、血糖値等を計り、小学校・中学校・高校の身体検査のすべての項目に亘る記録や特に個人的に病気にかかった場合の診断記録、内科にかかろうと外科にかかろうと血糖値等の成人病の進行を判定する検査を行い、記録に付け加えていく。勿論個人情報の保護・管理は徹底させなければならない。不正利用した者は重大な罰則で対処するしかないだろう。

 また成人したら、タバコを吸う者は吸う本数、酒を嗜む者はその量等を聞き、記録する。勿論少なく申告する者もいるだろうが、あくまでも診断結果で診察費の差別化を行う。残業時間を含めて労働時間を聞く必要もあるだろう。体力を超える労働量は断る勇気を持たなければならない。断れるか断れないかは本人の責任事項であろう。

 また成人病関係だけではなく、自動車事故での怪我も、本人の運転が原因なら、負担を重くすべきである。虫歯も歯磨きを十分に行わなかったとして、負担を重くする。

 暴飲暴食、あるいは不摂生からの肝臓病・肝硬変・肝臓癌、胃潰瘍、胃ガン、大小腸潰瘍・腸癌は、当然一部自己負担とする。

 このような制度とすることによって健康を「自己管理」できた者が「報われる支払い」システムとすることが可能となり、要支援・要介護に至る老人を可能な限り減らす道につながるはずである。

 また、健康に関する「自己管理」は自分なりの時間を持ち有効に過ごす方法を見い出す道でもある。散歩、サイクリング、山登り等々、様々に「自己管理」を講ずることになるだろうからである。当然のこととして、老人たちの(老人でなくても)「時間的不毛」は無縁なものと化す。

 抑制できた医療費を保険の利かない難病患者を手厚く保護する方向に持っていく。

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