生活は道路によって裏打ちされない。健全な財政運営によってのみ裏打ちされる
昨23日(08年1月)に永田町の憲政記念館で500名を集めて開催された道路特定財源堅持を求める都道府県議会議員総決起大会に民主党が掲げる道路特定財源維持反対、一般財源化政策に造反して大江康弘、渡辺秀央、山下八洲夫の民主党参議院議員が出席。
壇上のテーブルに伊吹や谷垣、二階ら自民の狸たちが雁首を並べていた。決起大会が終わった後なのか、民主党造反議員大江が記者に囲まれて次のように言葉を踊らせていた。
「まず財源的な、その裏づけというものに対しても、わが党の案というのはまったくメチャクチャですからね、われわれは今の状況の中で、えー、どちらを選択するということになれば、私はやっぱりそちらに対して、えー、自分の意思表示をさせていただく」(08年1月23日NHK「ニュースウオッチ9」)
どのような事情に立っての発言か知らない者には真意が伝わらない意味不明の言葉の羅列となっている。「そちら」とはNHKが画面に(政府案)と追加字幕を入れる丁寧さぶりを見せていた。「自分の意思表示をさせていただく」などと持って回った言い方をせずに、もっとストレートに自民党案に「賛成するしかない」とでも言えないのだろうか。
「わが党の案というのはまったくメチャクチャで」、「そちら(政府案)に対して自分の意思表示をさせていただく」とは、何日か前に官房長官の町村が記者会見で「ガソリンが25円下がると国・地方で2.6兆円の税収減になる、通学路のガードレールや開かずの踏切の整備、除雪作業に影響する、サミットで環境問題が議題となったときガソリンの税金を下げたりしたら温暖化対策に熱心だと見られない」といったことを言っていたのと対応する政策姿勢であろう。
町村も町村である。戦後のほぼ60年をかけて税金・国庫のムダ遣いをしてきた自民党政治である。それを「そんなの関係ねえ、オッパピー」と棚にあげて、「2.6兆円の税収減」もないだろう。
大江某にしても鈍感なのか、非効率・不採算の自民党政治のムダ遣いに一切視線を向けず、しかもムダ遣いの代表格だった道路建設であることを無視して道路建設のみに目を向け、自ら気づかずにいる。
大江は24日の『朝日』朝刊≪世論争奪 ガソリン国会≫によると、<「バカなポピュリズムに乗じて党利党略的なことをすると信じたくない。民主党の心ある方の方針を聞かせてほしい」と自民党の伊吹幹事長から促され>(おだてられてと表現すべきだったろう)「心ある方」大江某は次のように「心ある」言葉を踊らせている。<「この場の空気や熱意が伝わらないようであれば、我が党はKY(空気が読めない)だ。地方に住む我々にとっては、生活とは道路なんだ」>・・・・
言葉を踊らせ過ぎて素晴らしい熱弁となっている。道路は生活を維持する上で重要な要素であり、生活や生産を形成し発展させていく上での重要な基盤ではあるが、生活は道路だけによって解決されるものではない。
過疎化で赤字路線化したバスが山間部から撤退して道路は残ったものの、町の病院まで行く足をなくして、経済的は負担を強いるタクシーを使ったり、親切に頼って知り合いの老人の車に便乗させてもらったりしてやっとのことで用を足している残された高齢者たちの生活状況は日本全国の地方に於ける今や特別ではなくなった一般的な問題であろう。
バスが通ってこそ生活に役に立ち、生活に密着した「道路」だと言えるが、バスが通らなければ生活から離れた道路と化す。
財政が悪化して、保育所や直営病院などの撤退、その他の住民サービスの低下,あるいは税負担の増加が相次いでいる地方自治体が少なからず存在する。残ったのは赤字経営か閉鎖して廃墟と化した温泉施設やスキー場といった観光施設。そして道路。何の意味があるのだろうか。
こういった荒んだ自治体ではもはや「生活とは道路なんだ」とは決して言えない。「道路」はあっても何も解決してくれない。従来どおりの生活の維持には何の役にも立たない。住民サービスを失った地域の立派な「道路」とは倒錯的なブラックユーモアを示すに過ぎない。
今朝(08.1.24)のNHKテレビで財政再建団体仲間入り寸前の青森県の大鰐町を取り上げていた。バブル時代に大型ディペロッパーと共に第3セクターを組んで大型の屋内型流水プールとスキー場を備えた温泉リゾート施設を経営したが、バブル崩壊で大型ディペロッパーが経営破綻、相手方の融資を肩代わりした残債が確か26億とかで、一度に返すと財政再建団体へスキーコースから外れて谷底に転落の危険に見舞われるからと年に3億円ずつ返済。しかしリゾート施設運営維持に町の財政から年に1億ずつ投入しているという。
そのとばっちりが住民サービス向けられ、現在3カ所ある保育所が少子化や建物の老朽化を理由に廃止し、1カ所に統合されるという。人口12,188人、4,300世帯の小さな町と言えども、町自体の広さは163.40km²もある。概算すると、東西南北約13キロメートルずつの広さだから、それが1カ所になったなら、閉鎖される保育所に通っていた利用者にとってはかなりの遠距離通所となるだろうし、冬の積雪期となると、通所もままならなくなるに違いない。
閉鎖される保育所に通っている子供の母親なのだろう、マイクを向けられて、「通うのに不便になれば、町から出て行く人も出て、余計に人口が減っていってしまう」といったことを言っていたが、町から出て行く住民にとっては出ていくための「道路」は欠かすことができないインフラだろうが、それが立派な道路であり過ぎたなら、虚しく見えるに違いない。あるいはこんなものに大金をかけてと腹立たしくなって、窓を開け道路に向けてツバでも吐くかもしれない。
鈍感・粗雑脳細胞の大江某が言うのとは違って、基本的には「生活とは道路」では決してない。「生活」を保障するのは健全な財政運営であり、いい加減な財政運営は道路は残しても地域住民の生活を破壊する。地域住民の健全な生活安全保障とはならない。
大江某の言い方を借りるなら、「生活とは健全な財政運営」と言うことができる。そして健全な財政運営が「道路」をも有効化する。当然、健全な財政運営と「道路」建設は両立を絶対条件としなければならない。例え借金で建設しても、計画通りの返済を行うことができなくなれば、見通しを誤ったのだから、健全な財政運営だったとは言えなくなる。
いわば道路特定財源を維持することで国・地方合わせて2.6兆円の税収が確保されようと、健全な財政運営を条件としなければ、借金を重ねるだけだろう。条件としてこなかったから、借金を重ねるだけのことをしてきた。それが07年9月末現在で国の借金833兆円6982億円、老人から赤ん坊まで国民1人頭約653万円、地方と合わせて1千兆円超の借金という形となって現れたと言うことだろう。
大江某は道路特定財源堅持を求める都道府県議会議員総決起大会の壇上で所属政党である民主党を次のように勇ましくも切って捨てた。
「こんなことで国民に迷惑をかける政党は国民の政党ではありません」
「われわれは今の状況の中で、・・・・自分の意思表示をさせていただく」までは許される。同じ党に所属していても、政策によっては考え方の違い・主義主張の違いというものがあるだろうからである。だが、違いは政策までで、自らが所属する民主党自体を「国民の政党ではありません」と切って捨てたのである。切って捨てながら、その党に所属しているのは自己矛盾そのものではないか。「国民の政党ではない民主党に所属しています」と言うことなのだから。
自民党内の郵政造反議員に対して自民党は小泉首相の意を汲んで党除名や総選挙時に非公認の仕打ちで報いたが、大江康弘は民主党そのものを否定したのだから、自ら党を離れ、自分が「国民の政党」だと思っている自民党に移るべきだろう。自民党を「国民の政党」と位置づけるのは滑稽な逆説でしかないが。