読売・日経・朝日読み比べサイト案内記事の読み比べ

2008-01-31 06:06:14 | Weblog

 「各界著名人・言葉」サイトといったものができないだろうか

 昨日30日「グーグル」を検索していたら、朝日と読売、日経の3社が共同出資する、お互いの記事を読み比べることのできる「あらたにす」と言う名のサイトを立ち上げるとするそれぞれ3社の記事が紹介されていた。

 で、その紹介記事を読み比べてみた。その中で唯一読売の記事だけがサイト「あらたにす」の文字にハイパーリンクを貼り付けてあった。開設は1月31日午前7時過ぎだから、トップページに開設の予告文が掲載されているに過ぎないが、このことは「情報を伝える」という点で決して小さな問題ではなく、かなり大きなことに思えた。

 日経はアドレスのみ書き入れてあり、日経プレスリリースはリンクがつけてあった。

 読売記事から「あらたにす」のホームページアドレスをクリックすると、トップページになるのだろう、「あらたにす」の拡大ロゴマークと下記案内文が記載されていた。

  <2008年1月31日 午前7:00すぎ オープン

日経・朝日・読売インターネット事業組合(所在地:東京都千代田区、理事長:長田公平[日本経済新聞デジタルメディア代表取締役社長])は、1月31日(木)よりインターネットニュースサイト『新s あらたにす』を開設いたします。
このサイトは、世の中で起きている様々な事件・問題・出来事について、日経、朝日、読売の3社が報道するニュースをそれぞれ掲載することにより、より分かりやすく、より興味深く伝えていく「新聞ナビゲーションサイト」です。
各新聞社が発信する報道や社説、評論の価値を統合または対比しつつ広く提供していくことで、かっ達な言論社会づくりに貢献するとともに、新聞事業の更なる発展を目指してまいります。>――
 
 そしてページの上部に「くらべる一面」、「くらべる社会面」、「くらべる社説」「注目テーマ」、「新聞案内」「書評」、「最新テーマ」とタブ形式でと言うのだろうか、各ページへ移動できるそれぞれの案内が並べてある。

 1月31日の午前7時過ぎになってからアクセスすれば大まかな仕掛けは分かる。しかし案内記事を載せた時点でそのページへのリンクをつけて顔となるページだけでも案内し取っ掛かりをつけることができるようにしたことは「情報を伝える」という点で手堅く、そのスピードという点で手早い対応と言えないだろうか。手堅く・手早く、そして万全を期すは情報伝達の基本だからだ。 

 私自身は朝日新聞を何十年も購読しているが(懐が許せば読売と毎日も購読したいが、残念ながら許さない状況にある)、「朝日」のインターネット記事は記事自体に日付は入っているものの、発信元の「asahi.com」が入っていないことが常に不満の対象となっている。記事のみをコピーして一時的にメール作成画面に貼り付けて溜めて置くときわざわざ「asahi.com」とキーを叩かなければならない。その点、「読売」や「毎日」は日付と共に名前が記入されているから、簡単に貼り付けることができて便利である。「日経」などは社名の記入もなし、日付の記入もなしが殆どである。時々新聞社名を記入し忘れて、後になってどこの新聞の記事だか分からなくなるときがある。情報伝達という点で欠けていることにならないだろうか。

 「朝日」と「日経」の案内記事の題名はそれぞれ≪朝日・読売・日経読み比べサイト、31日朝にオープン≫、≪日経、朝日、読売よみくらべサイト「あらたにす」31日開設≫と自社の名前を最初に持ってきているのに対して、「読売」は≪日経・朝日・読売のサイト「あらたにす」、31日オープン≫と最後に置いているが、「あらたにす」の案内記事に限った情報伝達の準備のよさという比較で当ブログの題名は「読売」を最初に持ってきて、次に「日経」、情報が欠けていると思えた「朝日」を最後にして、私自身の「読み比べ」の評価とした。

 官公庁や大学のHPでも、日付が入っていなくて、いつの記事なのか最後まで分からないものがある。日付が欠かせない統計記事にしても記入なしに出会うことがある。情報の内容も重要であるが、誰がいつ伝えたのか、あるいは日付がいつの情報なのかが不明では、その情報は万全とは言えない。

 「あらたにす」は3紙の社説等へのアクセスを簡単にしてくれるだろうし、asahi.com記事によると<三紙を読み、「新聞案内人」として交代で論評やコラムを書くページもある。朝刊の編集責任者が、その日の紙面の見どころなどを200字程度にまとめた「編集局から」というコーナーもある。>ということだから、「読み比べ」の参考に供するだろうが、但し3紙に限ったアクセスと3紙に限った読み比べという限界を抱えることになる。

 読み比べるのは3紙だけではない。地方のニュースは地元紙、あるいは地域紙がより詳しく取り上げていることもある。3紙が「グーグル」から撤退するということなら、「あらたにす」と「グーグル」を往き来する面倒を払わなければならないが、撤退なしで、新聞案内人の論評、コラム、あるいは編集責任者の「見どころ」記事等が特に面白くなければ、一度のアクセスで済む「グーグル」を多くは活用することになるのではないだろうか。

 グーグルに参加していない「毎日」がいい例である。グーグルを検索した後、「毎日」はどういった記事にしているのだろうかと時に思い出してアクセスするが、一手間面倒であるし、「グーグル」のように使い勝手がよくないから、一つの記事ならまだしも、いくつかの記事を検索するとなると、目的の記事に辿り着くまでに検索文字を何回も変える手間を払わなければならない。

 毎日新聞側から言わせたなら、新聞を購読していなくてカネにならないアクセスだとしても、多くの人間に記事を知られないのは損ではないだろうか。それとも多数が面倒を厭わずにアクセスしてるのだろか。

 情報を如何に伝えるかも重要なことだが、情報の受け手としても、面倒なく受取ることができるか否かが重要な事柄となっているはずである。

 現在のマスメディアに最も欠けている情報は各界の人間が日常不断に話す「言葉」の丁寧な記録ではないだろうか。言葉はその人間を表す。社会を映し、時代を映す。テレビがその情報伝達を補っているが、編集した言葉をニュース等で流すから、情報の受け手を常に満足させるわけではない。

 勢い当人が顔を出している番組に、それがワイドショー番組であろうとチャンネルを回すことになるが、それらの番組をすべて録画できるわけではないし、録画のセットをしていても、たいしたことを喋らなくて骨折り損のくたびれ儲けで終わることもある。

 時の人となっている政治家や事件の容疑者、犯人、各選挙に立候補した立候補者の選挙運動中の言葉、各界の著名人のインタビューを受けたときの言葉、記者会見での言葉、あるいは講演で喋った言葉等を最初の一言から最後の一言まですべてを活字化してインターネットで配信したら、相当なアクセスがあると思うが、どんなものだろうか。

 少なくとも喋った言葉が正確に後世に伝えられていく。テレビや新聞でニュースや記事に直すとき編集してしまえば、編集者の意図や解釈を受けた言葉となって、必ずしも正確ではなくなる。

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