福田首相、あなたは正しい「言葉が踊るだけでは何も変わりません」

2008-01-22 08:45:15 | Weblog

 「Stop the 自民党」

 昨日衆院本会議での民主党鳩山幹事長の「日本を変えるためには、古い皮袋、即ち自公政権では無理です」(07.1.21/7:00~NHKニュース)

 新しい酒を古い皮袋に入れると皮袋が破れてしまうことから、「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」という諺があるそうだ。小学生3、4年生の頃だったと思うが、日本がまだ貧しく、我が家はそれ以上に貧しかった頃、高価な牛革はとてものことで、より安上がりの豚革のグローブを買って貰ったことがある。店頭に並んでいる牛革製品と比べると見るからに貧弱で、鼻を近づけると豚革特有の臭い臭いがする。ザラザラしている裏側は特にきつく臭った。

 牛革にしても豚革程ではないにしても革特有の生臭い臭いがするはずだから、新しい酒を新しい皮袋に入れた場合、皮の臭いが逆に酒に付着して折角の酒の香りを消してしまうように思えるがどうなのだろうか。

 使い古す程に酒が逆に皮に滲みこんで、時間の経過と共に皮自体が独特の風味を放ち、それが新しい酒を入れるたびに酒に移って微妙な味わいを醸し出すように思えて、古い皮袋程、それが破けるほどに古くなければ、却って珍重されるといったことはないだろうか。

 「古い自民党政治」が珍重されるという意味ではない。鳩山幹事長が口にした「古い皮袋」よりも、「使い古して磨り減った靴底」という表現の方がくたびれ切って始末に負えなくなっている状況を示していて全身疲労・全身弛緩に見舞われている「古い自民党」の譬えにふわしく適切ではなかったのではないだろうかという思いがしたから、取り上げてみたに過ぎない。

 伊吹自民党幹事長がいくら真新しいピカピカの最高級靴を履いていたとしても、全身から受取る感じからしたら、「使い古して磨り減った靴底」のくたびれた靴を履いているようにしか見えない。どこをどう探っても、溌剌印象はその一カケラも見えない。

 鳩山「与党にあるのは政権から転落することへの恐怖と焦燥感だけじゃありませんか。・・・・・・人気取りのための<自立・共生」>という言葉遊びなら、やめてください」(08.1.22早朝/日テレ24)

 福田「言葉が踊るだけでは何も変わりません。政治は行動であり、結果でございます」(上記NHKと日テレ24から)

 自民党の総理大臣でこれ程の「絶対真理」を述べた首相はかつて存在しただろうか。安倍口先前首相にはないものねだりの「絶対心理」である。尤も安倍晋三も「政治は結果責任」という言葉を機会あるごとに口先で「踊」らせていたが、「結果」をつくり出す行動を最後まで取らずに政権を投げ出してしまう「無責任」を安倍政治の「結果」とした。見事なまでの「オッパピー」。

 医師と看護師の大都会集中・大病院集中とその反動としての地方での医師・看護師不足、地域間の富の偏在と産業格差、そのことによる地方経済の疲弊・破綻、農村からの人口流出・過疎化とその代償としての高齢化、非正規社員の増大といった形で現れている強者温存・弱者無視の人権意識を基盤とした労働政策とその結果の個人間の収入格差、自殺者や生活保護受給者、孤独死者の増加、そして同じ人権意識が作用した厚生医療政策に於ける十分に医療や介護を受けることができる者とできない者との待遇格差等々。

 現在の日本という国のこのような散々な体たらく、殺伐・荒涼とした社会の姿はすべて「自民党政治」によって「行動」された「結果でございま」して、「オッパピー」、裏を返すまでもなく、「自民党政治」が一党独裁状況を利用して驕り高ぶり、族益・省益を自分たちの行動基準とし延々と政策の「言葉」を躍らせ、口先だけで弄んできた(その代表選手は安倍晋三前首相なのは誰もが認める絶対事実だろうが)、その空疎さの「結果」であることの証明であろう。

 奇しくも福田首相は「言葉が踊るだけでは何も変わりません。政治は行動であり、結果でございます」と、「行動」と「結果」の関係式で言い表される「何も変わらない」現在の惨憺たる日本の現状を取り上げることで自民党政治の本質を「言葉」を踊らさせてきたに過ぎない内容だったと逆説的に言い当てたのである。

 まさか現在の日本の姿を誇って、「政治は行動であり、結果でございます」と言ったわけではあるまい。「自民党政治」が言葉を踊らせてきたに過ぎないから、今の日本があり、今の日本の社会があるはずである。

 日本で今一番の「小島よしお」的組織は民主党鳩山幹事長が「古い皮袋」と表現した「古い自民党」、私自身は「使い古して磨り減った靴底」と表現したい「古い自民党」なのではないだろうか。日本で一番の「国民なんか、そんなの関係ねえ、オッパッピー」を組織的に演じている政党というわけである。

 だからこそ、福田首相は組織の親玉としてその綻びを誤魔化すために「国民の目線に立った」とか、「国民本位」、「消費者本位」といった「言葉」を「踊」らせなければならなくなった。前の首相である安倍晋三が特に目立って「言葉」を「踊」らせて来たこともあって、一層始末が悪くなった綻びの修復に右往左往しているといったところなのだろう。

 改めて福田首相の言葉。「言葉が踊るだけでは何も変わりません。政治は行動であり、結果でございます」

 何も変わらなければ、却って国民にとっては幸せではないか。日本の社会は悪い方向への一方通行のみを突っ走っているようにしか見えない。認知症の高齢運転者が高速道路を気づかずに逆走するように。当然、「Stop the 自民党」があるのみ。

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