08年1月16日の『朝日』朝刊に次のような記事が出ていた。
≪毎週上京してカネ無心 乞食丸出しのよう
官僚への知事の姿勢 道州制懇座長チクリ≫
<道州制のあり方などを検討する政府の道州制ビジョン懇談会の江口克彦座長(PHP総合研究所社長)は15日、名古屋市で開いた道州制シンポジウムで「愛知県知事は毎週のように東京に行っているだろう。官僚にカネください、カネくださいともらいに行っている。差別用語かもしれないが、乞食丸出しのような格好で行かなければならない」と発言した。
江口氏はこの直前に「地方分権という言葉を使うべきではない。嫌な言葉だ。どうして『地方』なのか。みんな『中心』だと思えばいい。自主独立の気概が生まれてこない」と述べ、地域主権型の道州制を目指す考えを強調した。
中央官僚が知事よりも偉いかのような関係のあり方を批判するつもりだったようだが、逆に知事から反発を招きそうだ。>・・・・・
上記記事は相変わらず日本は国が地方を支配する中央集権型の国家となっていて、「地域主権型」といった名前はどうであれ、国と地方が対等の関係とはなっていないことを示唆している。国と地方がもし対等であったなら、地方側の実現させたい政策が国の補助金を必要とする場合、その計画を具体的に述べた文書を国に送り、担当者のプレゼンテーションを参考材料に加えて国が審査を行えば済むはずだが、県知事がわざわざ東京にまで出かけ、中央官僚に会って直に頭を下げるところに対等ではない、自らをお願いする下の立場に置いた上下関係が浮かび上がってくる。
地方が中央の有力な官僚に天下りを求めるのも、企業の官僚活用と同様に天下った元官僚の勤めていた省庁への影響力・顔を期待してのことだと言うが、そのことの可能性も元官僚とかつての職場の在籍者との権威主義的な上下関係の確たる存在を条件として成り立つ期待値であろう。
いわば天下り官僚が省内で持っていた上下関係(=権威主義性)の地方対中央の磁場への置き換えに過ぎず、権威主義を纏った中央対地方の関係であることに変わりはない。
中央省庁が自治体をコントロールする強力な武器となっている「補助金制度」がある限り、中央と地方の「上下・主従」の関係は変わらないという意見があるが、「補助金制度」が日本人の権威主義的上下関係を慣習化させたわけではない。民族性としている日本人の権威主義性が人間関係を上下に規定していて、そこから中央を上に置き、地方を下に置く現在の「補助金制度」を発生させたに過ぎない。日本人の上が下を従わせ、下が上に従う権威主義の行動様式は中央対地方の関係にのみ存在するわけではなく、すべての人間関係に亘って存在する関係式だからである。
役人の世界だけの関係式ではなく、地方政治家と国会議員の間にも働いている関係力学であり、警察社会をも動かしている構造式であり、企業社会でも本社と支店、あるいは元請会社と下請会社の関係を規定づけ、一つ組織であっても、上司対部下の関係を制約づけている上下性でもあるからである。
1996年を14年も遡る1982年に会計検査院が愛知県警本部の立入り検査を行い、カラ出張で捻出した裏ガネの使途が記載されている裏帳簿類を摘発したものの、不正経理を証拠立てるまでに至らず、1996年に内部告発を受けたかして再度立入り検査が行われたが、朝日新聞社が14年前の裏帳簿のコピーなど同県警の過去の内部文書を入手したとして、1996年の8月26日の記事で次のように伝えている(一部引用)。
≪カラ出張で裏ガネ1000万円 会計検査院 愛知県警の裏帳簿、82年に入手≫
<関係者の話や帳簿類によると、総務部では当時、各課でカラ出張を行い、その旅費をプールする方法で裏金を捻出。裏金に回したのは、旅費予算の8割にものぼり総務、会計、広報など5課があった総務部全体では、裏金の総額が年間、1千万円を超えていた。
裏金の多くは「課費」として課の支出に充てるが、さらにこの「課費」の一部を総務部長ら幹部の私的な経費などを賄う「部費」と「部長経費」に上納する二重構造になっていた。
幹部優先
裏帳簿を見ると、使途で最も多いのは、せんべつやお祝い、香典などの慶弔費で、額の差はあるものの一般職員も対象になっている。が、階級社会の警察だけに、裏金の使途も幹部に厚く、下に薄い。
(中略
つけ届け
本部長や部長への中元、歳暮は慣例になっていて、毎年、機械的に費用が裏金から出ている。70年代半ば、部長が本部長に贈る歳暮、中元の代金は1回21200円。部長と部長夫人には、各課で合同で贈り、一つの課で6000円ずつ出し合っている。
幹部への気遣いは贈り物だけにとどまらない。「本部長令嬢結婚祝分担金」として計55000円が部長経費から。また、「本部長実兄方葬儀に伴う経費」で60100円が使われた。
つけ届けは、警察庁をはじめ全国の警察幹部も対象だ。警察庁や他県幹部が愛知県を訪ねると、みやげを持たせる。人によってはホテル代や運賃まで裏ガネで払っている。「名駅通過、おみやげ 二千円」の記載がある。これは、名古屋駅を通過しただけの管区警察局長に、課員が駅にかけつけて、みやげ品を渡したのだという。(後略)>
下線で表記した箇所が日本人の人間関係が権威主義的上下関係で成り立っていることを証明している。特に「『名駅通過、おみやげ 二千円』の記載」部分は権威主義的上下関係が最も露骨に現れている場面であろう。
管区警察局とは警察庁の地方機関ではあるが、東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州の7地域の警察本部の上部組織として各地域警察を監督する立場にある組織である。そこのトップである局長が単に電車に乗って通過するだけなのに「二千円」の「おみやげ」を持って、多分使いっ走りの下っ端なのだろう、課員が駆けつけて失礼がないように卑屈にペコペコと頭を下げて手渡し、電車が見えなくなるまで深々と頭を下げるか敬礼するかした直立不動の姿勢でプラットフォームから見送る。そのようなシーンがいやでも目に浮かんでくる。
自分たちを下の者に置いていなければできない上の者に対する過剰な敬いではないだろうか。
受取る方も当然のように受取ることができるものだが、自分を上の位置に置いているからこそできる下の者からの貢物行為であり、そのことによって自分を上の者・偉い人間だと確認してもいるのだろう。
ここで問題なのはただ単に電車で通過するだけのことがその通過時間と共に下部組織に情報として伝わる組織の機能性である。上下関係を演ずるだけの儀式の情報交換に関しては遺漏のない組織の機能性とは何を物語るのだろうか。
上の者に対しては常に相手が上の者であり、当方が下の者であると分かる敬いと卑下の相互関係が相手に対して失礼にならない人間関係となっているからこそ、上下関係を証明する情報交換能力が自然と発達することとなった日本人の権威主義性と言うことなのだろう。この情報交換能力の優秀性は上下関係を証明する儀式を疎かにしては上の者に対して失礼であるし、不興を買った場合、下の者の立場が危うくなるといった態度と相互的発達関係にあるのは断るまでもない。
とすると、例えば教育政策で文科省は自分で課題を見つけて自分で解決する能力を植えつける教育が機能しなかった理由を、そのことを目指した「ゆとり教育」の趣旨をうまく伝えることができなかったからだとしているが、制度として機能させ得るかどうかはひとえに情報(=政策)をつくり出し、出力する側の創造性と情報(=政策)を入力し、それを実行する側の創造性との連携プレーにかかっているように、各種政策を機能的・実際的に社会制度化するための創造性を喚起する情報交換能力に不足があるのは権威主義的な上下の人間関係に費やす情報交換能力の突出・優秀さ(=プラス)を受けたマイナスとしてある情報伝達能力の欠如と言えるかもしれない。何しろ日本人の上下の人間関係維持に浪費される情報伝達や創造力にしても、そのエネルギーは金銭的エネルギーに劣らず膨大な量となるだろうから、社会の発展に向けた肝心の情報伝達には手が回らないのも無理はない。
例え「地域主権型の道州制」を目指そうとも、「自主独立の気概」を心掛けようとも、補助金制度の解消に成功しようとも、権威主義的な上下の人間関係をDNAとしていることから逃れらることができなければ、中央と地方の上下関係・主従関係はどこかに残ることになるに違いない。
戦前の日本の軍隊は天皇の軍隊であり、官僚は天皇の官僚であった。戦前に於いても支配層はお上意識を持ち、一般国民を下に置く権威付けで以て相互の人間存在の証明としていた。それぞれが発揮する能力の内容ではなく、能力の権威付けを上下の人間関係で計った。
そのような権威主義的な上下関係の存在様式を戦後も引きずって、中央と地方の関係に最も象徴される権威主義に縛られた「上下・主従」の人間関係が日本社会全体にはびこり状態となっている。知事が中央の「官僚にカネください、カネくださいともらいに行」く場面は日本に於ける「上下・主従」の人間関係の単なる一つの姿に過ぎない。
日本が真に自立(自律)し、他力(=他国)に依存しない自力的発展を望むには人間関係を上下で律する権威主義のメカニズムから抜け出て、個人個人が自立(自律)することから始めなければならないだろう。個人の自立(自律)があって、初めて社会の自立(自律)があり、国の自立(自律)へとつながっていく。
それにしても上に立つ者の卑しいコジキ行為となっている金銭授受・物品授受(歳暮・中元、その他)であることか。中央省庁官僚の汚職の反省から生まれた「国家公務員倫理法」が施行されたのは1999年。内容は国家公務員が利害関係者からの借受けを含むカネの授受や各種接待、贈与の機会を得ることを禁じているが、防衛省の守屋次官の金銭授受・接待やその他の者の類似例が「国家公務員倫理法」が権威主義的な上下関係の打破に無力であることを物語っている。天下りに約束する多額の給与と多額のボーナス、多額の退職金もある意味、「国家公務員倫理法」が禁止している「カネの授受・接待」に当たらないことはあるまい。