東国原からもダメだと死刑宣告された麻生太郎日本国総理大臣

2009-06-24 11:37:41 | Weblog

 自民党の古賀誠選挙対策委員長が23日(09年6月)、宮崎県知事東国原英夫氏を自民党本部に直接呼びつけたのではなく、逆に宮崎県庁に自らの足を運んで、と言っても、車で乗りつけたのだが、次期総選挙に自民党から立候補するよう要請したという。

 お笑いタレント上がりで一時テレビ出演から遠ざかっていたが、知事当選後、再びテレビ出演の機会が増え、大衆人気を磐石なものとしたお笑い時代の芸名がそのまんま東だった東国原英夫(51)――その大衆人気を当て込んだ出馬要請なのは目に見えているが、片や麻生の人気は6月半ばのマスコミ各社の世論調査で、毎日新聞は麻生内閣支持率が19%、不支持が60%、朝日新聞の支持が同じく19%、不支持65%、読売新聞が支持22・9%、不支持67.8%の危険水域を遥かに割る凋落ぶり、溺れかかった麻生内閣が溺れまいとなり振り構わずに必死になって掴もうとしたワラが東国原英夫宮崎県知事と言うわけなのだろう。

 東国原と会談後の古賀の言葉がこの東国原ワラ説を証明している。

 「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかないと。私も誠心誠意お願いしたつもりだし、真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」(NHK動画から)

 「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかない」最後の頼みの綱が東国原だとワラに縋ったのである。逆説するなら、自民党政権維持の最終手段をいくら大衆人気が高いと言っても、自民党国会議員の中から人材を求めずに一県知事の東国原に求めた。

 勿論、東国原の知名度・人気を当て込んで立候補ついでに各候補者の応援に駆り立て、一人でも当選者を増やそうと目論んだののは事実だが、自民党政権維持のために他に手段はないからとワラに縋る気持で出馬要請したわけではないという反論も成り立つが、古賀は会談後の記者会見で「ズバリ、自民党からの出馬を、ご要請致しました」と会談の目的を打ち明け、記者から「知事の反応はどうだったでしょうか?」と聞かれて、次のようにも答えている。
 
 「そうですね。若干びっくりされたのかも、しれませんでしたけどね。今の自民党にないね、新しいね、エネルギーを、率直に言って欲しいと。結果については、記者会見でお話しすると、言うことでしたんで・・・・」(FNNニュース動画から)

 「今の自民党にない新しいエネルギーを率直に言って欲しい」とは、戦後ほぼ一貫して政権を握ってきた歴史ある自民党なのだから、本来ならば自民党国会議員の中にこそ「新しいエネルギー」のコマを求めるべきを、それが「今の自民党にない」から求めようがないという事情は、それだけ危機的状況にあるいうことであって、そのことを認識しつつ、東国原を「新しいエネルギー」のコマと見立てたのである。これを以て“ワラ”と形容しなくて、他に何と形容すべきだろうか。

 麻生太郎に話しを通してないはずはない。23日の「時事ドットコム」記事が「(古賀氏が東国原氏に)会うという話はしていた。選挙対策委員長がいろんな候補者に当たられている中の1つだと思う」と麻生が承知していたことを伝えている。

 いわば麻生太郎も承知していた東国原次期衆議院選出馬要請だったということだが、古賀が東国原出馬要請の理由に挙げた「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかない」の思いは麻生太郎に古賀に劣らず、あるいは古賀以上に強迫観念化していただろうから、古賀一人ではなく、麻生も古賀共々、ワラにも縋る思いで東国原に縋ったのである。

 だが、そんな思いは口に出すわけにはいかない。「選挙対策委員長がいろんな候補者に当たられている中の1つだと思う」とワラではないことを装いざるを得なかった。

 東国原英夫ワラは出馬要請を受けて、二つの条件をつけた。一つは全国知事会でまとめた地方分権に関する方針を自民党のマニフェスト(政権公約)に盛り込むこと。二つ目は会談後の記者会見で自ら述べている。

 東国原「自民党から出馬要請がありました。私としても、提案・提言――、いくつか。わ・た・く・し・が(ゆっくりと一語一語噛んで含めるように言い)、次期、総裁、候補、として、次の選挙を、自民党さんは、お戦いになる、お覚悟が、あるかと言うのを、お伺いいたしました――」TBS動画から)

 選挙後、自民党総裁にするなら、出馬してもいいよと言ったのである。まさか東国原も含めて何人か総裁候補を立て、選挙後、その候補による総裁選を行うという話ではないだろう。国政の経験・実績の裏打ちもないまま大衆人気だけを根拠として総裁に任じたなら、世間の笑いものになるだけだろうから、総裁になることのできる確率は限りなく低くなり、「次期総裁候補」として担ぐ意味を失うからだ。

 つまり、東国原は自分一人を「次期総裁候補」に見立てて選挙を行うことを要求した。だが自民党には昨08年9月の民主党代表選で当時の小沢代表が対立候補もなく無投票で3選を果たしたとき、選挙を行わなず、政策を競い語る機会を持たない代表選を行う民主党は民主的ではない、独裁的だと批判した前科を持つ。1日遅れの08年9月22日の麻生を総裁に選出した自分たちの総裁選では、それが出来レースだったことは衆目の一致するところで、有権者のそのような認識が総理大臣就任後の支持率がご祝儀相場を加えても福田首相就任時よりも低い40%台半ばとなって現れたのであり、そして今のザマとなっているのだが、5人も候補を立てて、政策論争を繰り広げる場を持った、民主的だ、これぞ国民に開かれた政党だと自慢した経歴さえ持つ。

 そのような前科・経歴の手前、一人だけを総裁候補に据えて、自民党が自画自賛している開かれた民主的政党としての政策論争を伴った総裁選を経ずに総裁に横滑りさせることは逆立ちしてもできない芸当のはずだが、東国原はそのような事情を知らずに自民党総裁の椅子を要求した。それとも鉄面皮にも前科・経歴をきれいさっぱり水に流してしまう何でもありの自民党を再度演ずると言うのだろうか。

 いずれにしても、麻生太郎は自民党総裁としてはもはやダメだと死刑宣告されたことを意味する。麻生では自民党再生は無理だし、ダメだから、私を総裁にしなさい、と古賀誠に衆院出馬要請の条件としたのである。
 
 対して死刑宣告された麻生の反応(首相官邸のぶら下がり記者会見から)。

 「選対委員長のところでェー、色々な候補者が挙がっている一つだと思っておりますけれども。そんなおちょくったような気持で言っておられるとは、思っておりませんけれども、(浮かない顔で首をひねり)ちょっと詳細を把握しておられないので、コメントのしようがありません」TBS動画から)

 浮かない顔になるのは理解できるが、「そんなおちょくったような気持で言っておられるとは、思っておりませんけれども」と相変わらず合理的な認識力を欠いた単細胞なことを平気で口にしている。天下の総理・総裁に対して死刑宣告することになる発言をおちょくった気持で言われるのも問題だが、ごくごく真剣な気持で言われたなら、それだけ死刑宣告は重いものとなる。止どめを刺す刃(やいば)としての鋭利さを増し、フランスのギロチンに劣らない一撃で倒す力を備えかねない。

 却っておちょくりであった方が僅かながらではあるが、救いは残る。きっと麻生太郎は切実な願望から、昨夜は東国原が「総理、あれはギャグ、ギャグ。つい調子に乗ってからかってすみません」と例の如く腰を低くし、ぺこぺこ頭を下げて謝罪する夢でも見たのではないだろうか。 

 松浪 健四郎がマイクを向けられてテレビで言っていた。

 「東国原知事に依存しなければならない程自民党は落ちているのかと思うと、情けなくなる」

 松浪権四郎は逆の認識に立つべきだが、そのことに気づいていない。自民党が麻生太郎総理大臣のお陰を蒙って落ちに落ちているという認識を最初に持ち、その認識の上に「東国原知事に依存しなければならない」ワラに縋らざるを得ない状況にあったことの次なる認識に至るという逆コースを悟るべきだった。

 同じく鳩山前総務相。

 「総裁だったらやってやると言う。完全にコケにされたの?」

 マイクを向けていた記者に逆に聞き返した。そう、麻生が総裁では自民党はもうダメだからと死刑宣告されたのだから、「コケにされ」たも同然の死刑宣告であって、鳩山前総務相の解釈は立派な上に正しい。

 麻生も古賀も東国原衆院選出馬要請は次期総裁就任の条件を突きつけられなかったなら、溺れないために縋る“ワラ”だったのは確かだが、実利として求めた目的は客寄せパンダの役割を超えるものではなかったろう。正確に言うなら、票寄せパンダ。自民党候補の応援に駆り立てて票を積み上げる票寄せパンダを期待した。

 だが、麻生首相こそが選挙の顔でなければならない。選挙の顔として票寄せパンだの役目を果たさなければならない。にも関わらず「麻生が首相では選挙は戦えない、総裁を代えろ」の声が湧き上がってきて、票寄せパンダとして機能しなくなった。そのような中で東国原に票寄せパンダの役割を求めたのである。

 いわば選挙の顔を求めのと同じことをしたのである。反対給付として次期総裁にの答が返ってきたとしても、それ程見当違いの要求ではあるまい。厳密に言うと、自民党に於いては総理・総裁こそが選挙の顔でなければならないからだ。

 既に触れたように古賀は会談後、「誠心誠意お願いしたつもりだし、真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」と言っていたが、「真面目に受け止めていただける」かどうかの最初の検討は次期総裁就任要求に応えるかどうかの麻生自民側にこそ必要なプロセスであって、応えない回答なら、東国原側の自民側からの出馬要請の「真面目に受け止めていただけるもの」かどうかの検討は不必要化する。

 いわば古賀は最初に必要な検討プロセスとして「東国原知事の要請を党に持ち帰って真剣に検討してみます」と言わなければならなかったのだが、それを省いて東国原知事側のみの検討にとどめた。その時点で検討する価値はないと打ち捨てたからだろう。メンツを装う必要から総裁要請はなかった扱いとして、「真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」と言った。

 だとしても、地方自治体の首長に麻生ではダメだと死刑宣告を受けた事実は残る。コケにされた事実は残る。

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