世襲制限よりも選挙改革を

2009-06-29 01:02:54 | Weblog

 以前にも当ブログで書いたことだが、政治からカネの力を奪う方法として現在の選挙方法を全面的に改めて、各選挙区の選挙委員会主催による各党議員(あるいは立候補者)の討論会を定期的に開催、その政策を問うことで投票の基準とする選挙方法とすべきではないかと主張したが、現在、選挙に有利になると言うことで世襲問題が与野党で取り上げられている。世襲問題を二世候補を含めて満足のいく形で解決するには単に同一選挙区での立候補を制限する、あるいは最初の立候補時に限って党公認をしない、公募制といった制限方法では二世議員が先ず反対するだろうし(親などの選挙区を引き継いでいる世襲議員は閣僚17人中10人もいると「asahi.com」が伝えている。)、その反対を押し切って制限を進めたとしても、抜け道がないわけではなく、二世議員のジバン・カンバン・カバンを必ずしも削ぐことにはならないだろうから、一般立候補者よりも有利となる状況を根底から覆すことは極めて困難に思える。

 最初に同一選挙区での立候補を制限するという案は05年9月11日の郵政選挙の刺客選挙区での勝敗が、その無効性を証明している。郵政選挙で小泉は郵政民営化法案に反対票を投じたことから離党させた、いわゆる造反元自民党議員の選挙区に、その選挙区をジバンとしていなかった落下傘候補(=刺客)を新規に放ち、ジバン・カンバン・カバンを既に確保していた彼ら造反議員の殆どを破って、当選を果たした。

 刺客はテレビが騒ぐことで短時間に知名度を上げてカンバンを確保し、ジバン・カンバンは党が公認を与えることでお膳立てしてくれて、元々そこを選挙区としていた議員のジバン・カンバン・カバンをたちまち打ち砕いてしまったのである。

 いわば世襲議員を別の選挙区に移したとしても、党公認を与えて自民党が全面的にバックアップすることでジバンを保証したなら、残るカンバンは世襲議員としての元々の知名度がどの選挙区でも通用するだろうし、カバンは自民党からの資金と親の財産でお釣りがくる程の額を確保できるに違いない。

 最初の立候補時に限って党公認をしないという案は親が築いたジバン・カンバン・カバンはいささかも損なう要素とはならず、無名立候補者より有利となる状況を崩すには至らないだろうから、公平さの確保という点で不備が残る。マスコミが既に指摘しているように当選後、追加公認を与えたなら、無所属立候補は一時的形式で終わることになる。最初は無所属立候補だったのだよという話題は勲章とさえなる可能性もある。

 公募制にしても、その選考過程で親が築き上げた人脈をフルに使えば、有利に事を運ぶことに変わりはないだろう。小泉元首相が次男進次郎を後任に指名したが、誰が彼の対抗馬に名乗りを上げるだろうか。山崎拓が言っている。

 「刺客を立てるのが筋だがなり手がない。そんな勇気あるヤツはいない」(asahi.com)

 それ程にも祖父・父親と三代で築いた小泉純一郎のジバン・カンバン・カバンは磐石だということであろう。

 5月9日(09年)の「asahi.com」記事《「世襲」133人 次期総選挙立候補予定、自民は33%》が、伝えているが、〈次期総選挙に立候補を予定している881人(7日現在)のうち、親や親族から地盤を引き継いだ「世襲」は133人(15%)にのぼることが、朝日新聞社の調査でわかった。民主党では立候補予定者の8%だったのに対し、自民党は33%と約4倍。予定者のうちの世襲の割合より、現職議員や閣僚のうちの割合の方が高く、当選や出世に影響していることもうかがえた。・・・・親や親族の地盤を引き継いでいない人も含めると、計176人になり、立候補予定者の20%にあたる。 〉

 世界に例を見ない世襲議員の多さだという。一旦権威を獲得すると、その権威を周囲の者も錦の御旗とし、後生大事に扱う日本人の権威主義の行動様式が生んだ世襲現象であろう。

 既に触れたが、親などの選挙区を引き継いでいる世襲議員が閣僚17人中10人もいる上に町村といった党幹部に位置している者もいることを考えると、彼らの世襲議員としての既得権を打ち破るのは並大抵のことではないことは予想できたことである。

 世襲議員の世襲制限反対の声を拾ってみた。

 浜田防衛大臣(パパは浜田幸一)「世襲議員は楽に当選できるといわれるが、決してそんなことはない。常に父親などという見本が目の前にあり、それを超えなければならない。『申し訳ございません、世襲でございます』という意識は私の中にはあまりない」(NHK)

 中曽根外務大臣(パパは中曽根康弘)「私は二世ではあるが、世襲ではない。私と父の中曽根元総理大臣は、18年間衆参両院で議員を重ねてやっており、父が亡くなったから跡を継ぐとか、引退したから跡を継ぐということではない。私は自分を世襲だと思っていないし、悪いと思っていない」(同NHK)

 中曽根康弘が築いた知名度としての“中曽根ブランド”(=カンバン)も親が援助したに違いないカバン(=資金)も、人脈を駆使して支援したに違いないジバンについても言及がない。

 麻生は中曽根を外務大臣に起用するとき、「中曽根というブランドを利用しない手はない」といったことを言っている。世界に通用する“中曽根ブランド”と言うわけである。

 石破農林水産大臣(パパは故石破二朗・元自治相)「あらゆる人に立候補する機会が平等に保障されるべきだ。『私はあの人を選びたい』という有権者の権利は一体どうするのか。憲法との間で無用な議論を惹起しないことが大事だ」(同NHK)

 鳩山邦弘(パパは鳩山一郎元首相)「私も兄の民主党幹事長も『超』のつく世襲政治家だ。民主党は『次の選挙に小沢代表も鳩山幹事長も出ないから、麻生総理大臣も鳩山邦夫も出るな』と提案しなければ中途半端だ」(同NHK)

 世襲制限を言うなら、世襲議員は次期総選挙は立候補するなと不可能を言って、制限反対の論拠としている。要するに選挙で有利な思いをしたことなどケロッと忘れて、世襲の有利さで存在しているのではない。自らの努力、有能性で存在しているのだと言いたいのだろう。

 町村前官房長官(パパは町村金吾)「有権者を信用すればよいだけの話であり、有権者を信用していない人が世襲などを制限しようとしている。有権者を信用するのであれば、世襲がよいとか悪いとか、大きな争点として取り上げること自体がナンセンスだ」(NHK)

 石原伸晃(パパはあの国家主義者石原慎太郎)「党内合意が得られないものをマニフェストに盛り込むべきではない」(毎日jp)

 非世襲議員の反対論も根強い。

 大島理森「民主主義はどなたでも立候補できるという根本がある。根本論を分からずして選挙制度を議論してはいけない」(同毎日jp)

 同大島「出自によって立候補の自由を奪うことには、慎重でなければならない」(NHK)

 どれも尤もらしい言い分だが、世襲議員が既得権としている選挙条件の有利性への言及をすべて省いている。

 「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた、大和民族が日本の国を統治してきたということは歴史的に間違いない事実。日本は極めて同質な国」だと、日本民族及びその同質性を絶対とする独裁意識を内に隠した(独裁者は自民族優越と自らの政治への同質的賛同を求める)伊吹文明に至っては、その同質性嗜好に反して同質でない態度を平然と曝している。

 伊吹文明「国民の税金から歳費や政党助成金をいただいている国会議員みずからが、身を切らなければならないのはあたりまえだ。憲法や法律とのバランスを考えて、世襲制限や定数削減、それに歳費カットなどの問題を考えていかなければならない」(NHK)

 〈「法律的に制限するのは、憲法上難しい。世襲候補の特権をすべてはく奪したらいい」。具体的には国会議員が引退する場合、関係する資金管理団体や政党支部が集めた資金を党に寄付し、子や孫などが引き継げないようにすべきだとの認識を示した。〉(<毎日jp)

 「親が代議士だから、バカ息子でも代議士になるのは感心しないが、息子の方が政治家として立派なのに公認してはいけないというのも無理がある。・・・・公募制を厳密にやり、結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない」(asahi.com)
 
 「バカ息子」かどうかはどこで判断できるのだろうか。麻生の場合、総理大臣になってから「バカ息子」と判断できたのであって、遅きに逸した判断としか言いようがない。政治行動の実際を見なければ判断不能なのであって、この点に関しては世襲であっても世襲でなくても同じである。

 「関係する資金管理団体や政党支部が集めた資金を党に寄付し、子や孫などが引き継げないようにす」るにしても、親がせっせとためた財産を受け継いで選挙資金とする、あるいは親に献金してきた企業や個人の寄付を親が不必要になったからと息子が新たに設置した政治団体に振り替えて寄付したなら、伊吹の提案はさして力を持たない。

 要するに伊吹は世襲反対の拳を勇ましく振り上げたものの、公募自体が親の人脈(=ジバン)やカネ(=カバン)に影響を受けないわけはなく、カンバンは親の子供と言うことで元々知名度が高く、「結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない」と自ら抜け道を容認したのである。
 
 森喜朗「誰が議員にふさわしいかは有権者が選ぶことであり、世襲制限は有権者をバカにしているということだ。議員の子どもだろうと孫だろうと、選挙区ごとに予備選挙を行って候補者を決めれば良い」(NHK)

 公募を「予備選挙」と名前を変えただけで、世襲の有利性を排除するものではない。

 我が麻生太郎はどうかと言うと、「毎日jp」記事《首相VS記者団 国会議員の世襲制限「麻生太郎はどうなります?」4月22日午後7時38分~》がその辺の消息を伝えている。

 〈Q:あの今、自民党内でですね、国会議員の世襲制限を設けることを次の衆院選のマニフェストに盛り込むことを目指す動きがありますけども、総理はこうした動き、こうした議論がですね、今出ている理由とか背景について、どうお考えですか。

A:背景。背景はご本人に聞いていただかないと分かりませんね、それは。ただ世襲制の話っていうのは、これは被選挙権の話にかかってきますんで、その意味ではあの、なかなか難しい話だと思いますよ。だからちょっと今この段階で、その背景と聞かれても、ちょっと聞く相手を間違っておられると思います。

Q:いや、あの、なぜ世襲制限すべきか、賛否両論ありますけども、世襲制限すべきだという意見が出てくる、その理由についてですね……。

A:だからその世襲制限すべきだと言っておられる方に聞かれるのが筋であって、私に聞かれても、私は世襲制限のこと何ひとつ言ってませんから、聞く相手を間違っておられるんじゃないですかと申し上げております。

Q:総理、テレビ東京からですが。

A:はい。

Q:では一般的に現職の国会議員で、世襲と言われる方々の比率が高いことについては。理由についてはいかが……。

A:あの世襲の定義っていうのがよく分かんないんですが、親が亡くなって、後を継いだ。すっと麻生太郎はどうなります? だから定義が分かんない話はちょっと。もう少し調べてからしたほうがいい。笹川尭(たかし)はどうなります? ね。その世襲の定義がよく分かんないんですよ、私には。だから、じゃあどなたさんがご養子になられた、それも世襲だとか、そりゃいろいろあるじゃない。だからちょっと私に世襲の話をされる方、むかーしからありますから、この話は。ですからちょっと定義が分かりませんので。私の場合、親がやめてやってから25年ぐらい空いてますんで、ちょっと正直、分かりません。〉――

 本人の考え、どのような認識を持っているのかを聞いたにも関わらず、「私は世襲制限のこと何ひとつ言ってませんから、聞く相手を間違っておられるんじゃないですか」と相変わらず単細胞なことを言っている。麻生は自分の考えを持っていたのだが、明らかにするのは不利と見たのか、隠していたことが6月10日の「asahi.com」《首相「親の跡継いで悪いこと何もない」都議選応援で》が明らかにしてくれる。

 6月9日の夜品川区の自民党都議の事務所で次のように発言したそうだ。

 「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子どもが育つ。親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじは良いおやじだ」

 また石原慎太郎都知事の三男宏高衆院議員が麻生に同行していたのか、事務所にいて、麻生は彼の名前を引き合いに出し、

 「みんな、おやじさんの代から、その教えを受けてここまでやってきた・・・(さらに、都議の小学生の息子を見かけると、肩をたたきながら)お前も跡を継ぐのか。世襲頑張れ」――

 問題となっていること、あるいは問題としていることは世襲と言うだけでジバン・カンバン・カバンを受け継いで有利となる選挙を保証されていることであって、相変わらず単細胞にもその問題を一切抜きにして、 日本国憲法は職業選択の自由を保証しているのだから、言わずもがなのことであるにも関わらず、単に職業の親子継承の面からのみの発言となっている。

 世襲制限は民主党が先に言い出したことで、先を越された自民党が選挙に不利になるからと急遽マニフェストに盛り込むことにした政策だということだが、このことを裏返すと、世襲議員の存在とその多さに後ろめたさがあることを証拠立てている。世襲に関して正々堂々としていられなら、民主党さん、一省懸命にやってください、他にやるべき肝心なことはないのですか、我々は高みの見物といきますと余裕しゃくしゃくのところを見せることができたに違いない。

 腰を据えて取り掛かった世襲制限導入ではない上に相当数を占める世襲議員の既得権擁護の動きに阻止されてのことだろう、次期衆院選からの導入を目指していた当初の世襲制限案は〈適用時期を明記しないだけでなく、「厳正な選抜」を経れば世襲議員も公認する〉(asahi.com)後退した答申案となった。

 〈次から適用した場合、対象になるのは小泉純一郎元首相の次男進次郎氏(神奈川11区)と臼井日出男元法相の長男正一氏(千葉1区)だけ。しかも、無所属で出馬して当選後に追加公認するとの「抜け穴」がかえってクローズアップされる事態となり、党内には冷めたムードが漂った。〉(時事ドットコム)

 積極推進派であったにも関わらず、菅義偉選対副委員長は〈首相に会った際、「政治家の品(格)は1代では築けない」と漏らし、見送りを容認する考えを伝えたという。〉(同時事ドットコム)

 菅の「政治家の品(格)は1代では築けない」なる発言を字義通りに解釈すると、「政治家の品(格)は世襲議員でしか築けない」という意味になるばかりか、自らを世襲制限派から世襲積極推進派に転じさせたことになるが、本人は何も気づいていないに違いない。

 大体が麻生を見ても町村を見ても、ご都合主義の御託を並べるだけで、世襲2代目として築いていたはずの「政治家の品」がどこにも感じられないではないか。小泉に至っては3代目だから相当に「政治家の品」を全身から放っていていいはずだが、物事には何事にもプラスマイナスがあること、絶対正義は存在しないという真理を省みず、市場原理一辺倒を絶対正義として推し進めた結果、様々な格差をつくり出して品のない社会にしてしまった。本人自身に「品」のある考えを持たなかったことのその反映としてある数々の社会的矛盾であろう。

 結局は当座の間は「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子どもが育つ。親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじは良いおやじだ」とする麻生の意に叶ったというわけである。自民党に限って言うと、結果として世襲候補がジバンカンバン・カバンという点で選挙に有利であるという不公平は残ることとなった。

 自民党の先送りに対して民主党の世襲制限案は国会議員の3親等以内の親族が同一選挙区で続けて立候補することを禁止、党内規でそのことを決めて次期衆院選のマニフェストに盛り込む(msn産経)内容だとのこと。

 但し民主党案でも親の引退後選挙を1回見送ってからの出馬は可能で、党内で観測されている小沢一郎前代表らが子息に地盤を継がせる(asahi.com)こともできることになるとのこと。当て馬を宛がってジバンを維持し、その次を息子に継がせるという方法も可能となる。

 この1回見送り案も抜け道の一つだが、他選挙区の立候補にしても世襲の有利さを削ぐものではないことは既に触れた。大体が当選を果たしさえすれが、選挙区はさして重要な要素ではない。親の贔屓、党内外の親の人脈の後押しを受けて実力者へとのし上がっていくことがより重要な問題であろう。

 親のジバン・カンバン・ジバンを受け継いで選挙を有利に戦わせることができるだけではなく、実力者への名乗りに於いても有利な条件となる。

 立候補「予定者のうちの世襲の割合より、現職議員や閣僚のうちの割合の方が高く、当選や出世に影響していることもうかがえた」とする「asahi.com」記事がこのことを証明している。

 こういった有利性を排除するには公募制も同一選挙区での立候補禁止も十分な効果が出る保証がないということなら、立候補者本人の政治能力・政治的創造性を知る機会(バカ息子なのか、バカ息子でないかを知る機会)を選挙民に提供する以外に方法はないのではないだろうか。

 政治に関わる本人の言葉を知るということである。勿論、広い意味での政治性を問わなければならない。人種、民族、戦争、人権、自由、男女意識、教育、労働観、福祉等々。

 これらに関してどれくらい自分の言葉――党が政策として並べ立てた言葉ではなく、あくまでも自身の考えに従って解釈した自前の言葉、他とは違う自分独自の考えを持っているかを知るには一方的に党の政策やそのことについて自分の考えを述べるだけの奇麗事の儀式にしかならない従来の選挙活動では不可能で、お互いに政治全般に関わる言葉を闘わす討論の機会を提供する以外に道はないのではないだろうか。

 政治からカネの力を奪うをテーマとしたブログで討論形式の選挙運動を既に提案したが、討論の場での言葉の闘わせはジバン・カンバン・カバンの力が及ばない自己存在証明の平等な機会となり得る。武器は言葉のみである。

 このことを麻生と小沢民主党代表との08年11月28日党首討論がよりよく証明している。党首討論の直後の11月29、30の両日に実施した「FNN合同世論調査」は「麻生首相と民主党の小沢一郎代表のどちらが首相にふさわしいか」でこれまでの劣勢をはね返して1ポイント差ながら小沢代表が麻生31・5%に対して32・5%と初めての逆転を果たしている。

 党首討論で展開した小沢一郎の言葉が麻生の言葉を上回った結果の逆転現象であることは言を俟つまい。以下、

 「主張に説得力がある」
  麻生首相――27・9%
  小沢代表――51・5%
 
 「政策がよい」
  麻生首相――28・3%
  小沢代表――36・4%

 党首討論という言葉の闘わせがなかったなら、こうも明確な差は出なかったに違いない。

 麻生に対する「評価しない」では、
  指導力――71・9%
  言動  ――78・4%
 
 「指導力」も「言動」も言葉によって表現される。お互いの言葉をよりよく知るには言葉(=議論)を闘わすことによってより可能となる。 

 党首討論が11月28日。日本経済新聞社とテレビ東京が11月28―30日に共同で実施した世論調査でも、有権者は両者の言葉から「FNN合同世論調査」と同様の判断を示している。

 麻生内閣支持率――31%(10月末の前回調査から17ポイント低下)

 政党支持率では民主党30%に対して自民党39%と9ポイント上回っているにも関わらず、内閣支持率では17ポイントも下げたのはやはり両者の言葉の差が影響した結末であろう。

 言葉の闘わせの効用、その力を見抜けない代表格は自民党細田幹事長であろう。11月28日の小沢・麻生党首討論の勝敗を聞かれて――

 「麻生太郎首相に軍配が上がった。圧勝だった」(サンスポ)

 贔屓の引き倒しとは恐ろしい。

 アメリカ大統領選でも、予備選では党別の候補者同士、本選では党候補者同士の討論が行われる。本選の討論会の直後には世論調査が行われて、世論調査の結果自体が投票の参考材料となる。やはり武器は普段から鍛え上げた言葉のみである。

 各選挙区で立候補者同士の討論会を各選挙管理委員会の主催で開催する。あるいは選挙後も1区、2区等の各選挙区を纏めた都道府県単位の与野党現職議員を出席者とした政策に関わる言葉の闘わせを定期的に行う討論会を開く。市民からの質問を受ける形式を挟むのもいいだろう。既に与野党主要議員が言葉を闘わせる討論会は、内容自体は目を見張るケースは少なくても、実際に各テレビ局が実施し、我々は議員判断、あるいは政策判断の材料としている。それを各選挙区の一般議員にも広げる。

 例えその討論会に直接足を運ばなくても、あるいはテレビが実況中継しなくても、その模様を要約し伝える新聞の地方版・テレビの地方局の報道を通じて、議員、あるいは立候補者の政治、あるいは政治的創造性を判断する材料になるはずである。

 そこで力となるのは各自が発する政治全般に関わる言葉のみで、ジバン・カンバン・カバンは何ら力にならない。いわば世襲の有利性を排除するだけではなく、政治からカネの力さえ奪うことが可能となる。かき集めたカネにモノを言わせて夜の銀座や赤坂の高級料亭にたくさんの議員を接待し、大盤振舞いのご馳走、高級な酒を飲ませて親分風を吹かす時代錯誤の政治家も力を失っていくに違いない。

 また、いくら党首が選挙の顔として力があり、選挙ポスターを華やかに彩ろうとも、候補者自体が討論会で見るべき言葉を発しなかったなら、ポスターに大枚のカネをかけたとしても意味を失う。大々的に後援会を組織し、定期的に貸し切りバスを連ねて東京の有名劇場に歌謡ショーだ、歌舞伎だ、有名芸能人の座長公演だに連れて行って人脈(=ジバン)を確かなものにしても、言葉を臨機応変に発信することができなければ、人脈(=ジバン)は徐々に力を失っていくに違いない。

 世襲にしても、基本はジバン・カンバン・カバンではなく、言葉としなければならないだろう。言葉の獲得、言葉の切磋琢磨はジバン・カンバン・カバンを力とはし得ない。

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