東国原「私は、あの、至って、真剣に、ええ、真面目に、言わせて戴いているので、あのー、ふざけているとか、おちょくっているとか、ああいうようなことからありますけれども、そういうことは一切ございません。ハイ、すこぶる、極めて、あのー、真剣に、取り組ませていただいております。(自分から二度三度頷く)」
――自民党からの返事は?
東国原「あのー、今のところございません。麻生総裁の次は、私がならなければ見たいな、ただトーンでございますけども、私が提案させていただいたのは、あくまでも総裁選に出る資格?そのォ候補として考えられるかどうかということですからね」
東国原は自分は総裁の椅子を求めたのではなく、いわば「総裁選に出る資格、候補として考えるかどうかを提案させていただいた」に過ぎないと主張している。
そういうことなら、6月24日の当ブログ《東国原からもダメだと死刑宣告された麻生太郎日本国総理大臣》で、〈選挙後、自民党総裁にするなら、出馬してもいいよと言ったのである。まさか東国原も含めて何人か総裁候補を立て、選挙後、その候補による総裁選を行うという話ではないだろう。国政の経験・実績の裏打ちもないまま大衆人気だけを根拠として総裁に任じたなら、世間の笑いものになるだけだろうから、総裁になることのできる確率は限りなく低くなり、「次期総裁候補」として担ぐ意味を失うからだ。
つまり、東国原は自分一人を「次期総裁候補」に見立てて選挙を行うことを要求した。〉との解説は全く見当外れもいい下司の勘繰りとなる。
古賀から出馬要請を受けた後の記者会見で述べた東国原の言葉を改めて記してみる。
「自民党から出馬要請がありました。私としても、提案・提言――、いくつか。わ・た・く・し・が(ゆっくりと一語一語噛んで含めるように言い)、次期、総裁、候補、として、次の選挙を、自民党さんは、お戦いになる、お覚悟が、あるかと言うのを、お伺いいたしました――」(TBS動画から)
この発言を東国原は総裁の椅子を求めたのではない、「総裁選に出る資格、候補として考えるかどうかを提案させていただいた」に過ぎない発言だと言っている。
ただこれだけのことで記者会見の場まで持ち、自分を「次期総裁候補として次の選挙を自民党は戦う覚悟があるか」どうかまで求めなければならないことだったのだろうか。
逆に、出馬要請を承諾した、本人は当選して次の総裁選に候補として名乗りを挙げるそうだ。東国原も記者会見を開いて、当選したなら、次の総裁選に候補として名乗りを挙げたいと宣言する。そういった個人的希望ということなら、選挙の“ウリ”、あるいは目玉になることなのだから、「戦う覚悟」どころか、お祭り騒ぎで選挙戦に臨めるだろう。少なくともマスコミは総裁になるかもしれない候補者として東国原の選挙活動の尻を追っかまわすに違いない。他候補者の応援活動にまで付き纏って、センセーショナルに報じることになるだろう。小泉以来、選挙権のない女子高生までがキャーキャー言いながら東国原の周りに群がるかもしれない。
その様子をマスコミが面白おかしく大々的に伝える。まだ群がっていない女子高生もがその大騒ぎに加わって人生の勲章にしたい一心で、私も私もと、なお一層群がる。それをまたマスコミが伝え、大騒ぎが相乗的に増殖していく。「戦う覚悟」を求める程の重大な事柄ではないはずである。
いわば自民党の総裁候補に名乗りを上げたいだけのことなら、総裁選に立候補したいという希望が伝えられたという自民党側には予期しない事態が生じたとしても、その希望を拒絶して衆院選出馬要請を取り消すことはできないのだから(取り消したことが世間に知れたなら、却ってその了見の狭さが取り沙汰されることになるだろう。)東国原は次期衆院選出馬要請に応えるだけで済んだはずである。
いわば総裁選に立候補は希望とはなり得ても、条件とはなり得ない。衆議院でなくても、参議院であっても、当選して自民党議員の資格を得た者は誰でも総裁選に立候補を表明する資格が生じるからだ。何期当選者とか、何年勤めたとかの要件は求められていない。但し、正式に立候補者と認められるには党議員から20人の推薦人を集めなければならない。それが難しいことなのは20人集められなくて立候補を断念する若手が何人かいたことでも理解できる。
いわば議員であること、20人の推薦者を必要とすること以外の資格は条件としていない。
あるいはこうも言える。選挙前に総裁選に立候補したいという希望は言えても、実際の総裁選立候補、その他の推薦人集め等は選挙後の問題であり、そうである以上、選挙前の何らかの条件付けは不可能だと。
それをわざわざ記者会見まで開いて、「次期総裁候補として」と言葉では「候補」と位置づけているが、「次の選挙を自民党さんはお戦いになるお覚悟があるか」と自分を総裁候補と条件付けた「戦い」を求めている。
また「自民党さんは」とわざわざ自民党の名前を持ち出したのは党としての立場からの「戦い」を求めた言葉であろう。例えば、「私が自民党から次の衆議院選挙に出馬したいと言ったなら、自民党さんはお認めになりますか」と言ったとき、それは訪ねた相手に諾否を求めたのではなく、党として認めるかどうかを求めた言葉であろう。それと同じである。
と言うことなら、自民党が東国原英夫を総裁候補者と条件付け、それを前面に押し出して衆議院選を戦うことがあったとしたら、もし当選を果たしたなら、次の総裁選で東国原を総裁に指名すると言うことであろう。指名しなかったなら、自民党が党として総裁候補者と条件付けて衆議院選を戦ったことと矛盾することになるからだ。
だから、多くの自民党議員やマスコミ、その他が“総裁の椅子”を求めたと解釈したとしても間違いではないはずだ。
だが、現実にはそのような展開は不可能であろう。東国原は後でそうではないと言い繕っているが、現実には不可能な展開を求めたに過ぎない。但し、当選を果たした選挙後の次の総裁選に立候補を表明するという展開に進むことは100%可能である。問題は20人の推薦人を集められるかどうかである。古賀と密約があって、20人ギリギリの推薦人の提供があり、正式に立候補者となれたとしても、それは選挙の結果、当選には届かないという確実な保証があっての密約であろう。
昨夜のNHKテレビだったと思うが、高村元外相が「党の方で推薦人を20人集めろと言うことですか。そんなバカなことはしないでしょう」といったことを言っていたが、「バカなこと」をする可能性は否定できまい。
果たして当選には届かない確実な保証があるかどうかが問題となる。この密約は両刃の剣となりかねない。地方の一般党員が東国原の人気に反応した場合、第二の小泉を演じかねない逆の保証が生じるかもしれないらだ。一般党員の投票を拒否して国会議員だけの投票とすることができるかどうかだが、閉ざされた党との批判、あるいはご都合主義との批判を浴びることになるだろう。
もし当選を果たしたなら、東国原と言う人間に自民党は乗っ取られることを意味する。そのとき政権を維持していたなら、総理となる可能性は考えられる。
但し衆参両院での首班指名選挙のとき、政権を維持していてもいなくても自党の代表者を立てる慣習から、東国原総裁を立てたとしても、必ず自民党から造反議員が出てくる場面が生じるに違いない。最初の造反議員は総理の座から蹴落とされることになる我が日本の麻生太郎だろう。そのほかには――
「このような者を我が党の候補者にすること自体にも私は反対したい」(NHK)と、「このような者」扱いをした山崎拓も反対票を投ずる可能性大と言える。
伊吹文明もその一人に入れることができる。
「自民党に新しい血を入れ、自民党のチエを、血を入れ替えて、しまわないと、私も、あの、そういう部分あると思いますがー、私はね、血液型が合わない者をね、輸血したら、頓死しますからね」(同NHK)
山崎拓も伊吹文明もなかなかの拒絶反応振りである。
松浪健四郎「東国原君、顔を洗って出直してきなさいと言いたい」とか言っていたから、一票投じることはあるまい。
例え政権を維持していたとしても、与野党伯仲の勢力であったなら、首班指名に於ける自民党議員の造反が民主党代表の首班指名といった捩れを引き起こした場合、東国原の総理の夢は水の泡と帰す。
町村「東国原知事が自民党に応援しようかと、いうことであるならば、これは大歓迎でありますし・・・」(同NHK)
町村は麻生を支えている手前、出馬要請も総裁選立候補問題も批判したなら、麻生批判となって撥ね返ってくることを承知しているから、「大歓迎」しかできない。
細田博之幹事長(出馬要請について)「党として正式に決定したということではない。・・・・ジョークのような感じで答えられた。衆院選出馬の意思がない、という言い方が、ふるった言い方になったということだと思う」(asahi.com)
東国原本人は「私は、あの、至って、真剣に、ええ、真面目に、言わせて戴いているので、あのー、ふざけているとか、おちょくっているとか、ああいうようなことからありますけれども、そういうことは一切ございません。ハイ、すこぶる、極めて、あのー、真剣に、取り組ませていただいております」と言っている。総裁選立候補問題が自民党の無様さ、自分たちの愚かさをさらけ出すことになったから、「ジョーク」としたい切なる願望が言わせた牽強付会に過ぎないだろう。相変わらずの自省心のないゴマカシ名人の細田である。
だから、鳩山・麻生党首討論でも、麻生を100点満点の勝ちだと平気で言える。
また「党として正式に決定したということではない」としても、麻生も承知していた古賀の東国原次期衆議院選出馬要請なのである。「党として正式に決定したということではない」で誤魔化せないにも関わらず、恥知らずにも誤魔化しにかかる。
「毎日jp」記事――《「首相VS記者団」“骨抜きの方針”批判は「難癖の付け方に無理ある」 6月23日午後6時7分ごろ~》(2009年6月23日)が麻生が知っていたことを次のように伝えている。
「“骨抜きの方針”批判」とは政府の「骨太の方針2009」が小泉の「骨太の方針2006」を骨抜きしたものとの批判を指しているが、東国原問題についても聞いている。
Q:TBSです。まず東国原(英夫)宮崎県知事……。
A:はい?
Q:東国原宮崎県知事……。
A:はいはいはいはい。
Q:についておうかがいします。今日、古賀(誠)選対委員長が東国原知事に出馬要請を行いました。これは事前に総理の了解を得て行ったものなんでしょうか。
A:東国原さんに会いに行くという話は知ってました。
Q:今回の要請について総理はどのようにお考えになりますでしょうか。
A:要請についてどう考えるか? あの、これは選対委員長のところで、いろいろな候補者に当たっておられる話の一つだと思ってますけど。
Q:今回、この要請に対して、東国原知事は「私を次期総裁候補として選挙を戦う覚悟があるのか」というふうに答えまして、回答を保留しています。これは麻生総理への挑戦とも受け取れると思うんですけれども、どのようにお感じに……。
A:あの、知事を辞めてそれなりにいろんなことをやる。これは人の去就の問題ですから、そんなおちょくったような気持ちで言っておられるとは思いませんけれども、ちょっと詳細を把握しておらないので、コメントのしようがありません。(以上)
衆議院選挙の人気取り、麻生がならなければならない選挙の顔に、その代役にと東国原を当てにして衆議院選出馬を要請したものの、そのこと自体が滑稽で醜悪な自分を見失った行動なのに、逆に総裁選候補者に据えて総選挙を戦う覚悟を求められると右往左往し、人気取りに走ったことの責任逃れに「ジョークのような感じで答えられた」とか、東国原に会ったことを古賀は「個人的判断で、党や麻生首相には相談していない」(「asahi.com」)などと平気で誤魔化しを働く。まさしく多くの人間が言っているように「末期症状を呈している」としか言いようがない。
いや、それ以前の問題として、麻生も古賀も細田も町村も、一個の政治家としての姿を整えていると言えるのだろうか。
24日(09年6月)夕方6時前のTBS「総力報道!THE NEWS」が古賀の衆議院選出馬要請に対して総裁の椅子を求めたとするマスコミ報道(私自身もそう把えた)に反論する東国原の発言(同24日宮崎県庁での記者会見)を伝えていた。