今回の総選挙で7党首が全国遊説のために日本中を駆け回った総距離が地球1周半の6万7400キロにに達すると「時事ドットコム」記事が伝えている。そのトップは言わずと知れた日本国民の尊敬に値してきた麻生太郎首相で、民主党の鳩山由紀夫代表の1万2600kmを700kmも上まわる1万3300kmを記録したそうだ。
1万3300kmで獲得した議席が119議席。700km下回った鳩山代表が308議席獲得した。「距離対効果」から言ったら、麻生の「トップ」は無意味化する。中身のなかったハコモノの麻生の遊説だったと言わざるを得ない。吹き荒れた「政権交代」の逆風を跳ね返す力を全く発揮できなかった麻生のハコモノでしかなかった演説の力(=言葉の力)だったと言うことなのだろう。
私の場合ハコモノとは施設や道路といった建造物だけを言うのではなく、外側を形造っているものの総称を指して言う。有名大学を卒業した学歴を有していても、その学歴を振り回すだけで自己存在を証明できない人間にとって、その学歴はハコモノに過ぎない。大学その他で学んだ知識・情報を活用して社会に役立ててこそ、初めて学歴はハコモノであることから脱し、中身の人間と一致した、あるいはその才能と一致した価値を有することになる。
人間は成功すると、その多くが自身の成功を象徴させた立派な家を建てる。だが、不正を働いて得た大金で建てた家なら、あるいは亭主が外に女をつくり、マンションに住まわせてそこに入り浸っていて、夫婦の会話がない、そのため父親と子供との会話もない家なら、その家は単に立派だと言うに過ぎないハコモノと化す。
中身を成す住んでいる人間の日々の精神的なありようと建物の立派さが一致して初めて、その家は単なるハコモノから脱することができる。
一つの法律をつくった。中身(=理念)をいくら立派につくり上げても、法律自体はハコモノに過ぎない。その法律を社会に向けた、あるいは国民に向けた運営局面で活用面の能力(=活用能力)、応用能力を伴わせて国民の精神的・物質的利益の向上に寄与したとき、初めてハコモノではない中身ある、生きた法律と言うことができる。
「障害者自立支援法」は立派な理念を謳っている。「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする」――
いくら素晴らしい理念を謳ったとしても、企業、あるいは社会が障害者を差別なく受け入れる意識が進んでいないことが障害者の自立を妨げる要因の一つとなっていることを無視して、そこにより多くの問題点を置かずに、障害者の自立を促すためだと応能負担から応益負担だと言って福祉サービス利用料を一定額負担させて、低所得の障害者にまで金銭の遣り繰りの自由を奪い、逆に生活上の活動を奪い、窮屈にして自立とは反対の方向に仕向けてしまうのは「自立支援法」と言いながら、中身が自立支援法になっていないということで、法律名と中身の理念は一致せず単なるハコモノの法律ということになる。
「障害者自立支援法」の適用を受ける障害者の多くが生活の不自由を強いられることなく自立した活動を保証されることによって中身が言っていること(=条文)が中身どおりの恩恵を約束することとなって、中身と法律が一致し、単なるハコモノから脱することができる。
既に当ブログで取り上げているが、麻生は今回の選挙の遊説で小泉構造改革の功罪の「功」の部分として通信や情報、インターネット等遅れていた分野が一挙に世界最先端というところまで成長させた点を挙げていたが、これをハコモノに終わっている分野だと断じた。日本人の情報能力(情報伝達能力・情報解読能力)が必ずしも世界最先端とはいっていないからだ。
このことは日本の学校教育の緊急な課題として子供たちに活用力(応用力)・コミュニケーション能力を求めていることが証明している。これらはすべて情報能力(情報伝達能力・情報解読能力)につながっている能力だからだ。今回成績の発表があった第3回学力テストでも基礎的学力はそれ相応の成績を上げながら、知識(情報)活用力(応用力)に見劣りが見られているところに同じくハード面に比した情報能力(情報伝達能力・情報解読能力)の不足を見ることができる。
知識(情報)活用力(応用力)の不足は当然のこととしてコミュニケーション能力不足となって現れる。
日本の子供たちがこれらの能力を欠いていると言うことは日本の大人が欠いていることの反映としてある能力欠如であって、もし日本の大人がこれらの能力を充足させていたなら、日々の日常生活の会話等の触れ合いを通して(テレビや映画で大人たちが発する情報の子供たちへの伝達も含む)大人から子供へと自然と伝達され、養われていくものだが、如何せん私も含めて日本の大人自体がその能力を欠いているから、テストの発表のたびに応用力だ、活用力だ、生きる力だと騒ぐことになる。
これは親や教師といった日本の大人たちが活用力(=応用力)を介在させずに教えるべき知識(=情報)をただ単になぞって子供に伝え、子供たちも大人たちの知識伝達(=情報伝達)方法に倣って活用力(=応用力)を介在させずにただ単に受け止め、なぞりで終わらせることとなっている知識処理・情報処理がそこに活用力(=応用力)を加えて知識・情報を発展させ、自分独自のものとする自己化のプロセスを欠いていることからの知識(情報)活用力(応用力)の欠如ということであろう。
勿論、このような知識あるいは情報の授受と自己化を経過させないその処理、それゆえに発展させた内容を持たないなぞったままのその発信は上から下への権威主義的な暗記教育の形式を取ったものであるのは断るまでもない。
昨8月31日の「asahi.com」記事――《「民主勝利は自民政権への明確な否定」 米メディア論評》で、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)が総選挙結果を「日本の野党が地滑り的大勝利」だと評価し、「この国の伝統的に受け身な有権者たちが、自らの手で国をコントロールできることを示した活力あふれる瞬間」だと論評したと書いているが、この「受身」とはわざわざ断るまでもなく下が上を権威として、その権威に従うだけの権威主義性から発している非主体的姿勢を指す。いわばこれまでは自民党を政治の権威と看做して、日本国民は「受け身」の姿勢で従うのみで、自らの力で変えようとする「伝統」にはなかったと見ているのである。
暗記教育(暗記式知識・情報の授受)も同じ「受け身」の形式を辿(たど)っている。日本人の権威主義的行動様式・思考様式の上が下を従わせ、下が上に従う構図そのものが下が「受け身」を姿勢とすることによって成り立っている。
日本人が中身の人間、そのありようよりも学歴だけではなく家柄、地位、収入、さらに単一民族だ、2600年の歴史だと誇り、そういったハコモノでしかない対象を上下に権威付けて上の権威により高い価値を置く価値観(ハコモノ価値観と名付けることもできる)も日本人の行動様式・思考様式の土台を成している権威主義からきている。
中身の人間、そのありようを問わずにその人間を形作っているハコモノに過ぎない障害者に対する差別、人種に対する差別もここから発している。勿論、今も色濃く残ってその社会進出を妨げている男尊女卑の名残りの女性差別も男女のうち男を女性よりも上に権威付けてそこに価値を置く権威主義を背景としたハコモノ思想から成り立っている男女の上下の価値づけであろう。
天下りも日本人の行動様式・思考様式となっている権威主義が可能としている価値形態の一つと言える。一つの省庁で高い地位に就くと、地位自体はハコモノでしかないのに、それが権威となって、中身の人間を問わないまま再就職先でもその権威は損なうことなく有効に機能する。
また天下りを受け入れる組織の下の者にしても中身の人間を問わないままかつての地位を権威として下は上に従う形で無条件に「受け身」の姿勢で迎え入れる。このように日本人自身が地位を上下で権威付ける権威主義の血に侵食されているために禁止の制度をつくるといった人為的強制力を以ってして行わなければ天下りはなくならないことになる。
天下り官僚の側から言うと、地位で得たハコモノでしかない権威をうまく利用して金銭的甘い汁が手に入る世渡りを上手にこなしていることになる。
中身を問うことを訓練付け、中身にこそ価値・権威を置く思考方法で人物や物事を見ないと、権威主義を背景としたハコモノ思想からいつまで経っても脱け出ることはできない。
国や地方自治体が運営面で国民の精神的・物質的利益の向上に寄与することを最終的中身とし、そのような中身とハコモノとしての外形との一致を図る議論を徹底させないままカネだけ豪華にかけた豪華な観光施設や文化施設=ハコモノをこれまでと同様に建設し続けた場合、外形は容易に中身のないハコモノとしての姿を曝すことになり、いつまでもハコモノをつくり続ける日本特有の“文化”を繰返すことになるだろう。
豪華な観光施設や文化施設、娯楽施設、あるいは保養施設を建設して、どうだ立派な施設ができただろう、何十億かけた、何百億かけたと自慢すること自体がどのような利益を生むのかの中身を問わない、金額と建物の豪華さにのみ権威を置くハコモノ思想でしかない。
02年2月~07年10月の大企業に戦後最高益をもたらした「戦後最長景気」は大企業にとっては外形(=ハコモノ)を成す命名と中身が一致した好景気だろうが、輸出産業が国際競争力確保のために賃金抑制を図ったことから一般国民にとっては収入が逆に減り、個人消費に走りにくいハコモノでしかない「戦後最長景気」であった。
安倍晋三は自らの内閣としての成果を教育基本法の改正や学校教育法等の教育3法の改正に置いていたが、そういった改正に反して日本の学校教育の中身としての質や教員の質が殆んど変わらない状況のまま推移していることから判断すると、ハコモノで終わっている教育基本法の改正、学校教育法等の教育3法の改正としか言いようがない。
生み出した議席が119議席のハコモノ距離