裸の王様麻生太郎の「政局よりも政策を優先した判断」は間違っていないのインチキ

2009-09-05 00:02:17 | Weblog

 麻生太郎の首相メルマガ最終号に〈「政治は続く」と題し、惨敗した総選挙結果について「皆さんの期待に応えられず、申し訳ない結果となりました。政府与党への、ご不満、ご批判を真摯(しんし)に受けとめています」と陳謝〉したと9月3日「asahi.com」記事――《麻生首相のメルマガ最終号 総選挙「申し訳ない結果」》が伝えているが、「政府与党」と言うよりも麻生太郎という政治家の軽薄・不誠実に国民は不満があり、批判的ではなかったかと思うのだが、それを「政府与党」と一般化するのはさすが「責任力」を言うだけあって、あくまでも自分を外に置いた責任となっている。

 記事は続いて麻生の敗北分析の言葉を載せている。

 「社会の閉塞(へいそく)感、格差の問題など、さまざまな社会問題への不満に効果的に対応できていなかったのではないかなど、真剣に反省せねばならない」――

 小泉構造改革の負の面をあげつらうなら、その軌道修正の責任はあげつらう麻生が負わなければならないはずだが、「効果的に対応できていなかったのではないか」で片付けているだけではなく、その主語を最たるリーダーたる自身にではなく、あくまでも「政府与党」に置いた「反省」だから、「いなかったのではないかなど」と推測する形となっている。

 「政局よりも政策を優先した」云々は麻生自身が別の機会で言っている解散時期についての「判断は決して間違えていなかった」と同じことの言い替えであろう。

 敗北分析の後は反省と再出発の弁。

 「皆様方の声を真摯(しんし)に受けとめ、今後の再出発を期したい。さらなる精進を続け、皆さんのご期待にお応えできる政治を実現することをお誓い申し上げる」

 選挙に負けたと言うことは「皆さんのご期待にお応えできる政治」の実現が期待されなかったということだが、その具体的な分析を省いて、実現を「お誓い申し上げる」簡便な誓いの弁となっているところなどはさすがに麻生らしい。

 「政局よりも政策を優先した判断は国民生活のことを考えれば、決して間違ってはいなかった」をインチキだとする答は簡単。麻生太郎は8月17日の6党首討論会でも遊説の先々でも経済政策の継続を訴えている。

 8月17日の6党首討論会――

 麻生首相「昨年の10月、当時は政策より政局、経済対策より解散総選挙という声が大きかったと存じます。私は少なくとも今、経済対策、景気対策、雇用対策が優先される、少なくともアメリカ発の世界発の同時不況ということになりました。過去60年間でこんなことはありませんから。その意味でこれに集中するのは当然だということで、この10カ月余りで4回の予算編成をさせていただき、経済対策というものに集中させていただいたと存じます。結果として、今日の経済指標の発表をみても間違いなく1年3カ月ぶりに経済指標は上がった。プラス3%台まで乗ってきた。こういったのは、これまでの対策の成果だったと思っております」

 「また雇用、そういった所に非常に大きなしわが寄った事実は率直に認めたうえで、雇用調整助成金などで、少なくとも、確かあれは産経新聞でしたかな、あの雇用調整助成金がなかりせば失業率8.8%になっていたであろうと書いてあったと記憶している。少なくとも、そういう成果がやっと出てきた。しかし、これは数字の上の話であって、国民が肌でその景気回復を実感しているかというとそこまでには至っておりません。したがって、景気回復を最優先すると就任の時に申し上げましたが、全治3年とも申し上げた。まだ道半ばだと思っておりますので、引き続き、景気対策最優先でやっていかなければならないものだと思っております」(msn産経

 麻生首相「先行きの指標に明るいものが出てきたのは確かだが、生活の実感として、景気回復を肌で実感しているかと言われたら、まだまだではないか。・・・・自民党は、景気最優先で『全治3年だ』と言ってきたが、今およそ10か月がたった。残りは2年だが、引き続き景気が回復したと実感できるよう経済政策を継続することが、われわれに与えられた責務だ」(NHK

 全治3年。残りはまだ2年ある。「経済政策を継続することが、われわれに与えられた責務だ」とまで言っている。

 「残り2年」の「責務」を果たすためには衆議院の任期9月10日までに行われる総選挙で勝利して麻生内閣を維持することが絶対条件となる。麻生内閣が成立したのは08年9月24日、衆議院任期が09年9月10日。1年を2週間切っていた。当然、「政局よりも政策を優先した判断」の中に衆院選勝利も計算に入れておかなければならなかった。このことも「責務」としていたはずである。

 衆院選で敗れて政権を野党に渡すことになった場合、「残り2年」の「責務」を果たせなくなるし、「政局よりも政策を優先した判断」が敢無く頓挫することになる。

 頓挫するだけではなく、自ら「成果」だと誇っている麻生経済政策から選挙の遊説、その他で散々バラ撒きだ、財源が見えない、成長戦略がないと批判してきた民主党の経済政策に自分からバトンタッチして一国の政策とするオウンゴール並みのヘマを仕出かすことになる。

 逆説めくが、「政局よりも政策を優先した判断」を採ったとしても、と同時に“政策よりも政局を優先した判断”――いわば「政局」での生き残り(=総選挙での勝利)を絶対必要事項として計算に入れておかなければならなかった。

 「政局よりも政策を優先」して政局(=選挙)に負けて「政策」を失ったなら、意味を成さないのは誰の目にも明らかである。

 このことを言い換えるなら、政策は政局と共にあり、政局は政策と共にあるということだろう。政策で一歩誤ると、即内閣支持率に影響し、政局で不利に立たされる。閣僚や与党幹部がスキャンダルを起こすと、政策よりも政局が取り沙汰され、やはり支持率に影響してくる。

 政策も重要だが、政局も政権担当に関わる重要な条件であることに変わりはないということである。麻生も自民党も民主党を政局を優先させていると盛んに批判したが、その批判も今となっては虚しい。

 麻生は衆議院選挙で大敗を喫して、「残り2年」の「責務」を181の大量議席と共に放棄することとなり、カラ約束に変えてしまった。果して「政局よりも政策を優先した判断」が正しかったと言えるだろか。 

 「政局よりも政策を優先した判断は国民生活のことを考えれば、決して間違ってはいなかった」、選挙の敗北は仕方のないことだと自分を慰める自己正当化の口実にするだろうが、政権を担っていてこその一国の政策であるということからすると、その構図を裏切るインチキの自己正当化に過ぎない。

 麻生内閣は就任時の支持率は言われていた国民的人気とそれにプラスするご祝儀相場の両方を裏切って福田内閣成立時よりも低い50%弱しかなく、それ以来下降を続け、小沢民主党前代表の西松スキャンダルに助けられて少しは持ち直したものの、一時的現象に終わって、解散後の世論調査が320議席獲得する勢いだとする民主党圧勝の予測に有権者がその一人勝ちの予測に軌道修正を図ったからなのか、320議席獲得かが308議席で終わったが、『朝日』が8月15、16の両日実施した全国世論調査(電話)によると、3割とされる危険水域を11%も割って「麻生内閣の支持率は19%(前回8月1、2日実施調査では18%)、不支持率は65%(同63)」となっている。

 麻生は自民党総裁に選出された08年9月22日直後に書き始めて9月24日の首相就任前に書き上げ、10月10日発売の月刊誌「文藝春秋」に発表したタイトル「強い日本を! 私の国家再建計画」の手記で、「国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢(民主党)代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と自らの手で解散して総選挙に打って出て国民の審判を仰ぐ予定でいることを堂々と宣言している(《冒頭解散考えてた 月刊誌に首相寄稿、情勢変わり修正》asahi.com/2008年10月9日23時37分)。

 そしてその戦いは「私と小沢氏のどちらがそれに足る国のトップリーダーなのかを国民に審判していただく戦い」だと勇ましく挑戦状を叩きつけている。

 記事はその時期を〈臨時国会の冒頭、所信表明演説と各党の代表質問が終わった時点〉だとしている。記事に出ている麻生のその他の言葉を拾ってみる。

  「私は決断した。・・・本来なら内政外交の諸課題にある程度目鼻を付け、政党間協議の努力も尽くした上で国民の信を問うべきかもしれない」

 が、「強い政治を取り戻す発射台として、まず国民の審判を仰ぐのが最初の使命だと思う」

 「堂々の戦いをしようではないか」

 「私は逃げない。勝負を途中で諦(あきら)めない。強く明るい日本を作るために」――

 記事は総選挙に打って出た場合のメリットについての麻生の判断を次のように解説している。

 〈選挙情勢については「自民党にとって、かつてない茨(いばら)の道」と厳しい認識を示したが、政権を維持できれば、たとえ衆院の3分の2以上の議席を失い、参院での与野党逆転が変わらなくても、「直近の民意を背景に政党間協議を主導」し、「不毛な対立に終止符を打てる」〉――

 これらの麻生の勇ましい主張は昨年11月28日の小沢対麻生党首討論で当時の小沢民主党代表が「 私は、今ね、こうして、来年に、補正予算を送るということならばですよ、今直ちに解散総選挙して、そして国民の審判を仰いでいいじゃないですか」、あるいは「この12月、期間があるんですから、総理が一次補正でも十分だとおっしゃるんならば、是非解散総選挙をやって、さっき申し上げたように総理だってやり易いでしょう。選挙で勝たれれば、それで強力に内閣ができるわけですから。それはどちらにとっても、選挙で勝つことで、国民の支援を背景にして、政策を実行すると、いうことでなければね、これは本当の強い強力な政策、思い切った政策は実行できないですよ」と指摘している趣旨と一致する。

 麻生は小沢氏の解散・総選挙要求に応じない理由として既にお馴染みとなっている100年に一度言われる金融危機を楯に政治空白をつくるわけにはいかないからだとしているが、上記時事は〈米議会下院の金融救済法案の否決を受けて、ニューヨーク株式市場が史上最大の暴落をしたのは9月29日の所信表明直後。政府・与党は当面の景気対策を盛り込んだ08年度補正予算案の今国会成立を最優先する方針を固め、解散は先送りされた。ただ、首相は論文でリーマン・ブラザーズの破綻(はたん)にも触れているため、世界経済が先行き不透明に転じても冒頭解散を考えていたことになる。 〉と麻生の「政治空白」理由に疑問を投げかけている。


 麻生の考えられる解散・総選挙忌避理由は国民の人気を当て込んでいた内閣支持率が、安倍晋三では選挙は戦えないに続く福田では選挙は戦えないとそれ以降辿った福田前内閣の発足時よりも低かったために生じた冒頭解散でも戦えるかどうかの保証の問題ではなかっただろうか。

 世論が麻生内閣の発足に対して出した答が福田前内閣の発足時に出した答と比較した場合の見劣りか福田では戦えないとなった事実を導火線として麻生でも戦えないとする爆弾を有権者に刷り込まないか、その恐れが冒頭解散・総選挙に二の足を踏ませたのではないかという疑いである。

 いずれにしても唯一はっきりしている事実はこの小沢・麻生党首会談を機に「次の首相に誰がふさわしいか」の世論調査で麻生の「政局よりも政策」の馬鹿の一つ覚えも虚しく、小沢一郎が麻生太郎を初めて逆転したという事実であろう。 

 上記「asahi.com」記事は手記に関する記者との遣り取りを伝えている。(参考引用)

 ――冒頭解散を考えていたのか。

 「いえ」

 ――論文を読むと(冒頭解散を)示唆する内容だが。

 「全然解釈が違う。(小沢氏から自民党の政策への賛否という)答えはいただいていない。いつ解散をやるなんてことは一切書いてない。意見の相違をきちんとさせたうえでと書いてある」

 ――小沢氏が意見を述べなかったので解散しなかったのか。

 「対立軸が出てきませんもんね。(補正)予算も何となく(民主党が賛成し、成立のメドが立った)。もう一つは経済情勢。(論文を書いた時とは)実物経済に与える影響が想像したよりはるかに大きくなってると思う」

 ――解散時期は当初構想より先延ばしになったのか。

 「総理大臣の頭の中には解散の時期がはなから決まっているという前提ですべて考えるから間違える。今の状況は、少なくとも政局よりは経済政策、景気対策。それが世論と思ってますけど」

 ――自民党の選挙情勢調査の結果が芳しくなかったことも理由なのでは。

 「あの調査は、私が考えたよりはよかった」 (以上)――

 解散しなかった理由をあくまでも「政局よりも政策」を優先させたことだとしている。

 民主党が予算に賛成したのは解散・総選挙の呼び水にするためであって、それ以外の理由はなかったはずである。だが麻生は補正予算を持ち出して、解散・総選挙をさらに引き伸ばしている。

 「国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢(民主党)代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と、「賛否をただしたうえで」を条件づけた解散・総選挙としているが、大体からして野党の政策は全体的には与党の政策の反対、もしくは否定の上に立っている。すべての政策で一致した場合、野党の存在意義を失い、与党の御用政党に成り下がる。当然、与党が利害を代弁する層に野党も利害を代弁することになり、その層にのみ政治の恩恵が偏り、政治の恩恵から見放される層が多く出ることになる。

 野党の政策は全体的には与党の政策の反対、もしくは否定の上に立っているという前提に立つなら、例え参院での与野党逆転状況に変化はなくても、自身が言っているように「直近の民意を背景に政党間協議を主導」し、「不毛な対立に終止符を打」つべく果敢に解散・総選挙に打って出ることが唯一の選択肢ではなかったろうか。

 いわば「政策よりも政局」の優先である。

 少なくとも麻生内閣発足時の支持率は50%弱を占めていた。それが8月30日投開票直前の『朝日』の支持率は19%。

 世論調査に表れる有権者の意思も審判の一つである。その審判が間違った判断である場合もあるだろうが、有権者の意思の表れ、どう見ているかの一つの答であることに変わりはない。

 投開票直前の麻生内閣支持率19%が300議席から119議席への答だとすると、発足時の50%弱の支持率からすると、減らす議席はかなり緩和されることになる。

 この点からしても、「政局よりも政策を優先した判断」は間違っていなかったとするのは自己正当化の強弁のためにするインチキでしかないだろう。選挙での議席維持、あるいは議席増は最終的には自民党代表たる総裁の「責務」でもある。「責務」を果たさなかった場合、既に麻生がそうなったように辞任が待ち構えている。

 政策は政局と共にあり、政局は政策と共にある。その二つを勝ち抜いてこそ、政策展開を可能とする政権が保証される。麻生は政策、政局共に民主党に敗れたのである。

 麻生内閣発足冒頭の解散・総選挙の絶好の機会を逃し、支持率の下降と共に解散する機会を狭めていって、にっちもさっちもいかなくなって任期切れ1カ月前の解散となった。多くの見方となっているが、誰も指摘しないから、「政局よりも政策を優先した判断は国民生活のことを考えれば、決して間違ってはいなかった」を唯一の錦の御旗として自己正当化を図り通すことになる。

 結果的に麻生を裸の王様にする。裸の王様がどう再起を誓おうと、見せかけで終わる。帝国ホテル内の高級バーで高級ブランデーを味わいながら得意げに阿呆陀羅経(あほだらきょう)を唱えていたときから既に裸の王様だったに違いない。

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