自民党をこれ程までの惨敗に導いた麻生総裁の名前を書くことはできない、白紙投票もやむを得ない、あるいは白紙投票でいくべきだ、言ってみればもう麻生の顔も見たくない、名前を書くなんて以ての外(ほか)だといった極度な麻生アレルギーを示す意見が一方であるで、「そういうことを言っているから選挙に負けた」と石破農水相が反対する。
石破「白紙はもっての外。麻生さんの名前を書くのも民意の否定」(asahi.com)
白票以外の対応策として、昨秋の総裁選2位の与謝野財務相や若林正俊両院議員総会長への投票を提案したという。
なぜ「そういうことを言っているから選挙に負けた」のかの論理的な説明はない。「麻生さんの名前を書くのも民意の否定」というのは理解できる。国民がノーを突きつけた麻生の名前を書くこと自体が国民のその意志を蔑ろにすることなるからだ。
だが、なぜ与謝野財務相や若林正俊両院議員総会長なのか、その具体的な説明もない。
石破農水相は9月6日のフジテレビの「新報道2001」で白紙反対理由を次のように述べたという。
「わたしは首班指名というのは、衆院議員にとってね、一番大事な仕事だと思います。白紙で入れるというのは、わたしはどんな理屈をつけても、国会議員としての職場放棄だと思います。憲政の常道に反する行為だと思います」(FNN)
「憲政の常道に反する行為」とはまた何と大袈裟な。
大体が「首班指名というのは、衆院議員にとってね、一番大事な仕事だと思います」と言っているが、なぜ「一番大事」なのか、何ら論理的な説明がない。「白紙で入れるというのは、わたしはどんな理屈をつけても、国会議員としての職場放棄だと思います」も、なぜ白紙投票が「国会議員としての職場放棄」になるのか、その理由も伏せたままとなっている。
石破という政治家は具体的な理由も論理的な説明もないまま、あれこれともっともらしい理屈をつける政治家のようだ。自民党の次期総裁の名前に上がっているというから、自民党にとっては心強い限りではないか。
首相指名選挙(以前は「首班指名」と言っていた。)は改めて言うまでもなく与党と野党の立場では異なる意味を持つ。与党の場合は党として(連立政権の場合は連立与党として)投票すると決めた者が賛成多数で首相に決定するが、野党の場合は首相となる可能性がないまま一般的には各党の代表に投票する。
いわば与党(あるいは連立与党)にとっては自分たちが首相候補として選んだ者を賛成多数で首相に決定させるための選挙であるが、首相指名の可能性のない野党にとっては与党の首相選出の場に形式的に立ち会い、各野党の首相候補に形式的に投票する選挙に過ぎない。
野党にとって首相指名の可能性がないにも関わらず、首相候補とすること自体が形式そのものであろう。
与党からしたら、例外的に余程の突発的な反乱要因が起きない限り首相指名は既定の事実であって、石破は「首班指名というのは、衆院議員にとってね、一番大事な仕事だ」と言っているが、首相指名選挙以前に誰を首相候補とするか、与党であった自民党で言えば党総裁を首相と目するから(自社さ連立のときは自民党総裁の河野洋平ではなく、社会党党首の村山富一を首相とする例外を演じている)、誰を総裁に選ぶかが基本的には「一番大事な仕事」ということになるはずである。
このことは麻生を総裁に選出し、首相指名選挙で麻生に投票して首相とした事実が結果的に麻生内閣ばかりか、自民党自体の人気を奪って、この言い方が悪いと言うなら、小泉、安倍、福田が積み上げてきた自民党の不人気を麻生が修復することができなかったばかりか、不人気の足をさらに引っ張って結果的に衆議院選挙で民主党に大敗を喫した事実が証明している。
どうしようもない総裁はどうしようもない総理につながるということである。安倍・福田もそのことを証明している。そもそもの総裁選びが首相指名よりも大事なのは誰でも理解できるはずである。
と言うことなら、「憲政の常道に反する行為」といった大袈裟なことではなく、自民党は麻生を総裁に選出したこと自体が既に「職場放棄」同然の怠慢を犯していたということではないだろうか。
こういったことから衆議院選敗北を受けて自民党内で起きた人気だけ、あるいは選挙の顔だけで総裁を選出してきたことの反省が成り立つ。
首相指名選挙は与党にとっては首相選出の選挙であり、野党にとってはそのことに立ち会う場だと言ったが、唯一共通点がある。それは与野党共各党の政策責任者を立てる点である。政策責任者とは言ってみれば各“党の政策の顔”となる者であり、“政策の顔”そのものだということになる。
このことは党のリーダーとして政策上、あるいは人事上のリーダーシップを取る立場に立つことからも言えることであろう。
逆説するなら、首相指名選挙に立候補資格ある者は政策責任者となる者、“党の政策の顔”となり得る者に限られるということであろう。このことを以って常識としなければならないはずだ。「憲政の常道」といった大袈裟なものではなく、政治上の単なる“常識”に過ぎない。
麻生自民党総裁が選挙敗北の責任を取って総裁辞任を表明した時点で、政策責任者であることから降りたことになる。“党の政策の顔”ではなくなったということであろう。自民党は次なる政策責任者、“党の政策の顔”選出を首相指名選挙が行われる9月16日召集予定の特別国会以降の9月18日告示、28日投開票に持っていった。
その間、党の政策責任者、いわば“党の政策の顔”を不在とする。にも関わらず、石破のなぜそうなるのか、具体的理由を述べないまま「白紙で入れるというのは、わたしはどんな理屈をつけても、国会議員としての職場放棄だ」、「憲政の常道に反する行為だ」ともっともらしげな理屈で白紙投票に反対だ、甘利の白紙投票がなぜそうなるのか、「白票というのは権利放棄ではない。われわれがゼロから出直して、自民党に期待する人のありとあらゆる声を聞くという証しだ。白票はこれから立派な人を選ぶということを意味する」(時事ドットコム)だなどとすったもんだした挙句、白紙でもない、麻生でもない、なぜそうなるのか、どういった便宜からなのか意味不明だが、理解できる人間は理解できるのだろう、若林正俊両院議員総会長の名前を書くことに賛成多数で決めた。
多分衆参両院とも、「若林正俊クン、何票」と各議長が読み上げたとき、与党に入れ替わった民主党や国民新党、社民党席からだけではなく野党自民党席からも失笑が起きるに違いない。
野党の立場からしても党の政策責任者ではない、当然“党の政策の顔”足り得ないという点で首相指名とは何の関係もないからだ。
このことは立候補資格を党の政策責任者、“党の政策の顔”を常識とすることに逸脱する決定と言える。
自民党の政策責任者、“党の政策の顔”が不在である以上、白紙投票が立候補資格を政策責任者、“党の政策の顔”を常識とすることに対応する常識ではないだろうか。
自民党は8月30日深夜の選挙敗北・政権放棄の開票結果を受けて麻生総裁辞任は当然の経緯と見て、次なる党の政策責任者、“党の政策の顔”選定に全党挙げてエネルギーを注がなければならなかったはずだが、民主党が小沢代表代行を党幹事長に決定する人事を行うと、やれ院政だ、二重権力だ、権力の二重構造だ、二元体制だと、自分の頭のハエを追うことを忘れて、他人の頭のハエにあれこれケチをつけることに躍起となるお節介に明け暮れ、挙句の果てに首相指名選挙に党の政策責任者でもない、当然“党の政策の顔”足り得ない若林某を立てるすったもんだの失笑ものの苦肉の策で凌ぐことになった。
これで9月18日告示、28日投開票の総裁選でガタガタとなった自民党を纏めきる力を持たない政策責任者、“党の政策の顔”を選んだとなったら、首相指名選挙で若林と書いた意味を一時凌ぎであったことまで含めて全く失うことになる。
2008年9月22日、当時の民主党代表小沢一郎が無投票3選されたとき、自民党は複数立候補による選挙を行わないのは開かれていない証拠だ、独裁的だと散々にケチをつけたが、その小沢一郎の選挙手腕もあって自民党が政権を放棄することになった経緯からすると、その散々のケチは何を意味したのだろうか。何らかの意義を有していたのだろうか。
町村信孝(当時官房長官)「民主党にもう少し知恵があればね。(立候補者が)2、3人出た方が(よかった)」(日刊スポーツ)
同町村「国会対策しかない、選挙しかない、という、そういう発想の代表が無投票で、また、選出される。そういう民主党の、体質というものが、本当に国民の期待に添ったものなのかどうなのか、もう少し自由闊達な、政党で、あるのかなーと、思っていたんですけどもね、どうもそうじゃないのかもしれませんね」(NHK)
中川秀直元幹事長「(対抗馬を立てれば)冷や飯を食わされるとか、とんでもない締め付け政治だ。干されるのが嫌だったら政治家になるな」(時事ドットコム)
京都府連幹事長「民主党のように身内が足を引っ張り、代表選に出たくても出られない雰囲気はおかしい」(毎日jp)
麻生太郎(当時幹事長)「党首選挙をやらないのは開かれた政党とは言えない。・・・(候補者が)1人しかいないというのと、出たいのに出られないというのは意味が違う。党としての政策を堂々と戦わせるいい機会。小沢さんが政権をとったらどんな国にしたいのか、誰もが関心があったはず。(総裁選で)3回負けたが、党内で政治的に殺されることもなく、幹事長としてここにいる。少なくとも自民党は開かれた政党なんだと誇りに思う」(西日本新聞)
自分たちの党は開かれている、民主的な政党だ、民主党とは違うと言っていた自民党が選挙で負けた。何のためのケチだったのか、批判を批判として何ら生かすことができなかった。
自民党の民主党批判が当時の民主党幹事長だった鳩山由紀夫に一撃を喰らっている。
「麻生さんや古賀誠自民党選対委員長は『民主党は開かれていない』と批判するが、公明党だって(9月23日の党大会での)太田昭宏代表の続投を決めている。あの政党はこれまで(複数候補の党首)選挙をやったことがない。ご自身が連立を組んでいる相手に言ったらどうか」(msn産経)
そして公明党は今回の選挙敗北と自身の落選の責任を取って辞任した太田昭宏代表の後任に公明党の歴史・文化・伝統となっている選挙を経ない、自民党から言わせたなら、「開かれた政党とは言えない」、いわば独裁的な、そんな政党と9年5カ月も連立を組んできたのだが、中央幹事会という場での内々の選出方法で山口那津男政調会長の代表起用を内定、8日の全国代表者会議で正式決定し、新執行部を発足させている。
自分の頭のハエを追うことを忘れて他人の頭のハエを追うことにかまけてばかりいる間に自分の頭のハエが始末に終えなくなって、そのしっぺ返しを喰らう。
これは自分たちが真に為すべきことにエネルギーを集中できなくなっているときに陥る弊害だと思うが、それ以前の問題として日常普段から事に当たる誠実さを失っていることからのエネルギーのいたずらな分散ではないだろうか。
麻生が選挙戦で自身の景気政策が効果を上げつつあり、「先行きの指標に明るいものが出てきたのは確かだが、生活の実感として、景気回復を肌で実感しているかと言われたら、まだまだではないか。・・・自民党は、景気最優先で『全治3年だ』と言ってきたが、今およそ10か月が経った。残りは2年だが、引き続き景気が回復したと実感できるよう経済政策を継続することが、われわれに与えられた責務だ」(NHK)といくら声をからして有権者に訴えても、日常不断から多くの問題で誠実な対応ができていないことから有権者に伝わらず、そのことが逆に民主党批判を不当化させて際立たせたことが得点とは反対の多くの失点を招いた原因でのように思えるがどうだろうか。
自民党政治がつくり出した格差社会にしても基本のところで事細かい面に亘って誠実さを欠いていたことから生じた反動局面であろう。
と言うことなら、民主党は自らがマニフェストに掲げた政策の実現に誠実に取り組む姿勢を忘れないことだろう。誠実さは時間が経つにつれて失われていく傾向にある。
衆議院選挙大敗、政権与党からの脱落、野党化によって首相職の失職は決定的となり、それらの責任を取って16日召集特別国会の首相指名選挙直前に党総裁を辞任する意向を表明、自民党執行部は総裁選は時間を取る関係から9月18日告示、28日投開票と日程を決め、首相指名の9月16日召集予定の特別国会は麻生総裁のまま臨むこともあり得るという態勢を示していたが、首相指名選挙で誰の名を書くかで自民党内に騒動が起こった。