《普天間移設:「話あれば関空に」橋下大阪府知事》(毎日jp/2009年11月30日 11時17分)
11月30日の朝、橋下大阪府知事は米軍普天間飛行場の移設先として関西国際空港受入れの検討を記者団に語った。
「あくまで個人的な意見だが、政府から正式に話があれば、基本的に(議論を)受け入れる方向で検討していきたい」
そして沖縄での地上戦を挙げて、
「沖縄には多大なご負担をかけたので、本州の人間は十分配慮しないといけない。・・・・あくまで日米安保が軸の話だが、国から提案があれば、最初から一切拒否するわけにはいかない」
負担は戦前に限ったことではなく、在日米軍専用施設面積の約75%が沖縄にあり、県土面積の約11%を占める(Yahoo!ニュース)負担が現在も続いている。また負担の軽減は時々の政府が率先・主導して動く問題のはずだが、小手先の解決方法で凌いできた。
私自身は「沖縄は日本から独立すべきだ」とブログに書いた。
記事は〈嘉手納基地の騒音軽減対策としての訓練の一部受け入れも視野に関空の軍民共用化〉と同時に〈神戸空港の活用も検討事項に挙げた。〉と書いている。
いくら「個人的な意見」だとしても、この発言は政府から検討の要請を受けた場合、実現の成算ある「個人的な意見」だったのだろうか。ただ言っただけではないと思うが、関西空港はともかく、神戸空港は建設費3140億のうち90%以上を神戸市が拠出した市営空港(「Wikipedia」)だというから、府知事の管轄の及ばない自治体の空港を移転対象に入れる場合、「沖縄には多大なご負担をかけたので、本州の人間は十分配慮しないといけない」と思うから、関空を移転先として検討課題に入れてもいいと考えているが、足りない分、近接している神戸空港が検討の名乗りを上げてくれると、米軍の使勝手が良くなって、アメリカ側も受け入れ可能の案となるのではないだろうかといったふうに前以て話を通して内々にでも同意を取り付けておくことが必要ではなかったろうか。
そうでなければ、甚(はなは)だ不遜な越権行為となる。他処の自治体に勝手に言われたくないよ、とばかりに。
以前ブログに書いたが、沖縄1区の国民新党下地幹郎が11月2日(09年)の衆院予算委員会で岡田外相に質問している。
「関西空港のB滑走路が全くゼロですから、安全保障上は全く音も出ないし、あの地域を航空母艦が通るわけですから、あそこを活用して、外来機の訓練をやるというと、私、嘉手納の統合は半分になる。そういうことを提案する。しかも、沖縄県民のこの思い、基地を造っていいですかということは聞かない。許可認可、沖縄の許可を受けずに基地内基地ですから、新たに基地を造らずにできる。」
例え関空のB滑走路が殆んど使われていなくても、必要だと計画して建設したはずで、国内線の客を伊丹空港に獲られていることや世界的不況等の理由で需要が伸びないことからの(1兆円超の有利子負債を抱えているそうだ。)低利用状態ということだと思うが、海上空港だから拡張余地はあると言っても、軍民共用を目的として建設したわけではない空港に軍用を取り入れるには民間の需要状況に応じて色々と問題が生じない保証はない。上の言うことを無条件に従わせる独裁国家ではない以上、前以て時間をかけた、いわゆる根回しが必要で、そのような根回しがあった上の橋下知事の関空活用発言だったのだろうか。
ところが管轄外の神戸空港に関しては神戸市の空港事業室長から電話で「他の自治体が管理運営する空港について、移設先と例示するのはもってのほかだ」(《在日米軍再編:普天間移設 橋下・大阪府知事「神戸移設検討」で市が抗議》毎日jp/2009年12月4日)と大阪府に電話で抗議があったということは何ら神戸市に話を通さずに独断的に神戸空港の名前を挙げたことになる。
管轄外の行政に関して何らその資格もなく自身の一存の支配下にあるかのように取り扱ったことだけを以てしても、独裁性を帯びた対応と言えないだろうか。
何かの催し事で人手が足りないと聞いて、本人の意向を確かめもせずにいつでも女房を使ってくださいと言っていい顔をする男がいるが、ちょっとしたことに過ぎないように見えるが、そのように言えるのは女房なる存在を支配下に置き、自身を何でも言うことを聞かす独裁者の位置に置いているからだろう。少なくとも気持ちの中では自分をそのように位置づけているはずである。
「msn産経」の別記事――《橋下知事激怒に神戸市室長「抗議するとは言っていない」》(2009.12.4 13:45 )によると、空港事業室長は橋下知事の発言を新聞報道で知り、矢田市長の考えが議論の余地はないということを確認した上で抗議の電話をかけたと取材陣の質問に答えたとなっている。
神戸市空港事業室長の電話抗議に対しての橋下知事の対応を《橋下知事激怒「本当に神戸市はダメだ」 市室長から抗議電話され》(msn産経//2009.12.4 11:24 )から見てみると――
「市長からの抗議なら分かるが公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」(12月1日夕)
「神戸市役所は税金でつくった空港なのに、自分たちの空港と思っている。口を出すなというなら、関西3空港をめぐる問題でも、神戸空港を除いたらいい。神戸市は、もうちょっと関西全体のことを考えないと本当にダメ」――
「YOMIURI ONLINE」記事(《神戸市が橋下知事に抗議、普天間移設問題巡る発言で》2009年12月4日)が「関西空港に限らず、沖縄の基地負担軽減に資する空港は神戸空港だと思う」と橋下知事が発言したことに対する矢田神戸市長の直接の対応を伝えている。
「神戸空港は市民の利便に資する、という考えで造った経緯がある。普天間の機能を引き受けるというのは議論する余地もない」――
橋下知事の「市長からの抗議なら分かるが公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」・・・・
市長を通して抗議すべきだということなら、神戸空港の利用についても神戸市長を通すべきだったろう。だが、空港室長の対応を見ても、神戸市長の対応を見ても、一切通していないことが分かる。自分は通さなくても、相手に対しては通せと言い、それが正しいことだとすることができるのは自身に独裁性を持たせていなければできない言動であろう。
実際に市長を通して抗議しろという意味の発言だとしたら、はっきりとそう言うべきで、「公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」は自身よりも空港室長を下に置いた雰囲気の言葉になっている。自分を何様の上に置いた言い草になっているということである。
「公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」だけを把えて見ると、市民、県民、国民が「政治家に厳重抗議するのはおかしい」ということになりかねない危険な言葉となる。もしそういうことなら、独裁性を貼り付けた言い草となる。
また神戸市長が米軍共用に同意していて、その意志が固く、神戸空港を直接所管業務としている立場で空港室長が反対なら、神戸市にも反対意志があることを橋下知事と世間に知らしめるために橋下知事に対して抗議の声を上げても何ら不都合はないはずである。橋下知事が上の言うことにはすべて従えとした場合、独裁性を自他に背負わせることになるからだ。
また「神戸市役所は税金でつくった空港なのに、自分たちの空港と思っている。口を出すなというなら、関西3空港をめぐる問題でも、神戸空港を除いたらいい。神戸市は、もうちょっと関西全体のことを考えないと本当にダメ」にしても、相手が反対すると何ら話し合いを持たないまま、「口を出すなというなら、関西3空港をめぐる問題でも、神戸空港を除いたらいい」と、やはりそう言う資格もないはずだが、頭から直ちに排除しようとするのは自身を常に正しい場所に置いているからだろう。
常に自分を正しいとするこの排除の思想も独裁性を自己のものとしていることから発している心の動きと言える。
橋下知事がどの程度独裁性を内心の性格としていたとしても、人気とマスコミのセンセーショナリズムに支えられた絶対性の発揮で以て、それなりの成果を挙げるに違いない。
そのことは自身の抗議が橋下知事の機嫌に触れたあとの神戸市空港室長の態度から見て取ることができる。
「『矢田(立郎)市長の考えは議論の余地はないということ』、と府の担当者に伝えただけ。『もってのほか』や『厳重に抗議する』などの言葉を発した覚えはない」(上記msn産経記事――《橋下知事激怒に神戸市室長「抗議するとは言っていない」》)
抗議は当然であるとする思いで抗議したはずだから最後まで信念を貫くべきだが、そのことをたちまち投げ捨てて、反論してきた橋下知事の発言や態度にご尤もとひれ伏し、自分を少なくとも正しくなかった場所に追いやっている。
マスコミにしても橋下知事と空港室長をそれとない善と悪の対照で扱っている。それはマスコミ各社が見出しに使っている「橋下知事激怒」という言葉、もしくはそれに類似した言葉が証明している。マスコミ等の第三者から間違っていると見た方が「激怒」したとのみ扱った場合、いわばそれは間違いだといった指摘がなかった場合、滑稽な言葉の使い方となる。即ち橋下知事を正しい場所に置いた言葉の使い方となっている。
こういったマスコミの扱いが大衆的な人気と共に橋下知事に絶対性を与え、ときとしてそれが独裁性を帯びることになる。 |