ウソはすぐにバレる
次期主席の有力候補と目されている習近平国家副主席の12月14日初訪日に際して中国側から翌15日の副主席と天皇との会見を望んできたが、外国要人との会見は一カ月前までに文書で正式申請するのが決まりとなっている、いわゆる“一カ月ルール”があり、それを満たさない11月26日の外務省からの申し入れだったために宮内庁は“一カ月ルール”を理由に会見は認められないと断ったという。
このルールは「宮内庁が勝手に決めたのではなく外務省と相談して決め、1995年に文書化した」ものだと記者会見での羽毛田宮内庁長官自身の発言として「47NEWS」が伝えている。
これに〈中国側が納得せず、「習副主席訪日の成否がかかっている」として、なおも陛下との会見を要求した。民主党の小沢一郎幹事長が鳩山首相に会見の実現を働きかけ、首相が平野博文官房長官に会見を実現できないかの検討を指示したという。〉と「msn産経」が書いている。
民主党の小沢一郎幹事長が鳩山首相に会見の実現を働きかけたという報道に関しては鳩山首相自身が記者会見で、記者から「小沢さんから頼まれたという話があったということですが、それは本当でしょうか」と問われて、「小沢幹事長から、話しがあったわけではありません。そこだけは明確にして、おきます」(TBS)と否定している。否定したからといって、事実を述べているとは限らない。今のところ事実は闇の中と把えておくべきだろう。
「習副主席訪日の成否」が鳩山首相やそれ以下の内閣閣僚との会談にかかっているのではなく、天皇との会見にかかっているとは何を意味するのだろう。天皇との会見こそが中国にとって意味があるということなら、鳩山首相や主要閣僚、その他の会談はさして意味はない形式でしかなく、実質的な重要性を天皇との会見に置いていることになって、日本の政治家は甘く見られていることになる。
まあ、実際その程度か。
11月26日の外務省の要請を宮内庁が断ってから11日経過した12月7日、その間中国との間で遣り取りがあったのだろう、今度は平野官房長官が電話で「日中関係は非常に重要なのでお願いしたい」と羽毛田長官に打診。この打診が断られたから10日に再度ということになったに違いない、再び平野長官から「首相の指示を受けての要請だ」との話があったと「日経ネット」が伝えている。
対して羽毛田宮内庁長官は「内閣の指示に従わなければならない」(毎日jp)として了承したということだが、内閣官房長官の立場で宮内庁長官に直接電話して行う依頼は首相の指示を受けた対応でなければならないはずだから、平野長官の「首相の指示を受けての要請だ」は最初の電話にもなければならない言葉であろう。
最初の電話にもあった言葉とするなら、羽毛田長官は「内閣の指示でも」、あるいは「首相の指示でも」ルールは曲げることはできませんと断ったことになる。しかし重ねての「首相の指示を受けての要請だ」の強い要求に止むを得ずということになって「内閣の指示に従わなければならない」という経緯を踏んだことになる。
鳩山首相が昨11日夜の記者会見で宮内庁への要請を平野博文官房長官に指示したことを認めているから、実際には最初から「首相の指示を受けての要請」のはずだが、もしも最初の電話で「首相の指示を受けての要請だ」の形式を取らずに二度目の電話で初めて使ったということなら、外務省は中国からの要請という形の取次ぎだったかもしれないが、官房長官自身の要請の形で「日経ネット」記事にあるように「日中関係は非常に重要なのでお願いしたい」との理由で会見許可を求めたことになるが、官房長官として首相の指示を受けた対応の形を取らなかったところに問題が生じる。
これは政治利用に触れる懸念を意識していたことからの「首相の指示」隠しの疑いが生じるが、宮内庁に断られたからといって中国側の要請に対しても斥けることができず、隠してもいられなくなって再度電話するとき、「首相の指示を受けての要請」とせざるを得なかったということなのだろうか。
いずれにしても目出度く中国側の要請に応えることができた。平野はきっとホッとしたことだろう。もしも大役を果たしたぐらいの気持になったとしたら、情けない話だが、天皇との対面という中国の要請を絶対的に位置づけていたことになる。
平野官房長官は昨11日午前中の記者会見で、マスコミの天皇の政治利用の観点から質問を受けて次のように応えている。
「首相官邸として政治的に日中関係は非常に大事な関係だから(宮内庁に)お願いした」(時事ドットコム)
「1カ月ルールとはどんなルールか承知していない。・・・・中国の要人が来るということで、お目見えしてくださいというのは政治利用でも何でもない」(同時事ドットコム)
鳩山内閣発足翌日9月17日の記者会見で官房機密費について記者から問われて、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ赤なウソをついて以来、平野官房長官の「承知していない」はウソ・ゴマカシだと独断することにしている。そしてあの顔は私的(わたくしてき)にはウソつき顔だと決め付けている。
最初に外務省が要請したときも平野官房長官の最初の電話でも羽毛田宮内庁長官から“一カ月ルール”を理由に断られているはずだから、「承知していない」はずはない。ウソだ、ウソつきだと言われても仕方ないはずである。
最低限、「迂闊にも“一カ月ルール”というものを初めて知ったが、日中関係は非常に重要なので、そこを曲げてお願いした」とでも言うべきだったろう。
平野長官に指示を出した鳩山首相の対応。
「1カ月ルールはわかっていたが、陛下の体調に差し障りのない範囲で会ってほしいと官房長官に指示した」(毎日jp)
(羽毛田長官の批判に関して)「諸外国と日本との関係を好転させるためで政治利用という言葉はあたらない」(同毎日jp)
バカなことを言う。「諸外国と日本との関係を好転させる」は極めて政治の役目であって、それを天皇に負わせるのは政治的利用以外の何ものでもない。政治的側面を持たせない親善が役目ということなら理解できる。大体が「諸外国と日本との関係を好転させる」に天皇にお出ましを願うということなら、内閣に於ける外交に関わる分野は半ば必要なくなる。
沖縄の基地移転問題でアメリカとの関係が悪化した場合も天皇にお出ましを願ったなら、アメリカと「日本との関係を好転させるた」ことができることになる。
中国に天皇会見のルールを納得させるのも政治、天皇が会見を断ったからといって悪化する日中関係とはどんな関係なのだろうか。そんな脆い日中関係なのだろうか。
実際は中国の要請は断ることはできるが、小沢幹事長の要請は断ることができなかったことから発した天皇の政治利用といったところではないのか。
今朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ」で“一カ月ルール”について記者に問われて、「一カ月を数日切れば、杓子定規でダメと言うのは、国際親善の意味で正しいことなのかどうか」と述べたと鳩山首相の言葉を間接的に伝えていたが、厳密に言うと、外務省からの申し入は11月26日、習近平国家副主席と天皇の会見は12月14日だから、数日ではなく、10日も切っている。それを「数日切」ったに過ぎないとして「杓子定規」だと言うのはゴマカシ以外の何ものでもあるまい。
平野官房長官と同じ穴のムジナのウソつきにならないで欲しい。
宮内庁は内閣府に所属する機関だから、内閣の長たる鳩山首相から見た場合差配する下に位置する関係となるから「一カ月を数日切れば、杓子定規でダメと言うのは」と撤回を求めることができるが、このことは同時に対天皇に関しては上に位置しているはずの天皇個人にも当てはめる「一カ月を数日切れば、杓子定規でダメと言うのは」となる撤回要求であろう。
いわば鳩山首相は宮内庁長官を通して天皇に対して「一カ月を数日切れば、杓子定規でダメと言うのは、国際親善の意味で正しいことなのかどうか」と要求したことになる。いつの間にか鳩山首相は尊大までに偉くなったようだが、総理大臣が間接的であっても天皇にそのように要求したことは「政治利用」ではないとは決して言えない。
さらに言うと、鳩山首相が発言しているように果して純粋に「国際親善の意味」での会見なのだろうか。何も天皇だけが国際親善の役目を担っているわけではない。大統領や首相自身、あるいは大統領夫人や首相夫人が訪問国の小学校や障害者施設を訪れるのも、国際親善の役目を持たせた行動であろう。そういった訪問を通して相手国及び相手国民への友好をアピールし、相手国から自国及び自国国民への友好を期待する。
しかし中国側はほかの国際親善の方法がいくらでもあるはずだが、第一番の「国際親善」の方法として天皇との会見に拘ったことになる。また鳩山首相にしても天皇会見に代る国際親善の方法を中国側に認めさせることもできず(提示したとしても、結果として認めさせることができなかったことになる)、平野長官共々中国側の要請に引きずられて、宮内庁長官及び天皇に会見を承認させたことになる。
昨日夕方のTBSテレビの報道番組で時事通信の元北京支局員の城山英巳氏が天皇との会見を望む中国側の思惑について解説していた
「中国政権は天皇のことを国家元首と看做して、日本の総理よりも一段高く位置づけているわけなんですね。日本国民が天皇対して考えている“重み”っていうのを凄く認識していて、天皇陛下を日中関係の中でうまく位置づければ、日本のですね、中国に対する感情もよくなるんじゃないかというふうに思っているわけですね」
胡錦涛主席が副主席時代に訪日して天皇に会ったとマスコミが伝えている。そして主席となった。胡錦涛主席の次の有力な後継者と目されている習近平国家副主席が副主席の肩書きで天皇との会見を望んだ。時事通信の元北京支局員の城山英巳氏が言っているように「日本国民が天皇対して考えている“重み”」を利用して副主席から主席への昇進に向けて日本に於ける顔見せとする儀式の一つだとしたなら、日本側がその思惑を見抜けないまま中国側が都合とした儀式に天皇の都合を合わせた政治的利用以外の何ものではないということになる。
もし見抜いていたとしたら、日本側はなおのこと悪質となる政治利用の共犯関係に陥ることになる。
こういったことだけではない。中国のこの手の思惑は日本国民を余程単純な国民に見ている証拠となる。中国側の思惑通りに事が運んだ場合、当たり前のことだが、日本国民の底なしの単純さが証明される瞬間でもある。中国の人権抑圧、マスコミその他に対する報道規制、情報操作、周辺諸国に不必要な脅威を与える軍事力の増強等々は例え会見相手が習近平国家副主席ではなく、国家主席の胡錦涛であっても、天皇とにこやかに握手したからといって、帳消しになる危険要素ではないはずである。儼然として今後とも残る危険な国家的側面であるにも関わらず、にこやかな拍手で日本国民が帳消しにしてしまう。
中国がそういった局面を求めての会見ということになら、それを鳩山首相以下が手伝ったことになり、例え中国側の思惑通りに事が運ばなくても、鳩山首相からしたら、自分たちの政治利用のみでで終わらずに日本国民に向けた天皇の政治利用を意図しないまま図ったことになる。
いや、中国の強硬な要請に応じて天皇との会見を国民の目に映すこと自体が顔見せが成功するしないに関わらず、既に日本国民に向けた天皇の意図せざる政治利用ではないだろうか。
例え小沢幹事長の要請からの天皇の政治利用であったとしても、表に現れないことと片付けられて、結果は同じ経緯を踏む。 |