自民党谷垣の「英霊が日本の発展の礎を築いた」は世迷言

2009-12-17 10:39:18 | Weblog

 客観的認識能力ゼロの男が公党の代表者となっている

 自民党の谷垣総裁が東京都内開催の全国戦没者遺族大会で戦没者に対する特定の宗教によらない新たな国立の追悼施設について次のように発言したと、「NHK」Web記事――《谷垣総裁 国立追悼施設に反対》が書いている。

 「わが国の発展の礎に、戦争でみずからの命を失った英霊の尊い犠牲があったことを忘れてはならない。自民党の再生を考えるにあたってもう一回この思いを胸の底に畳み込む必要がある。・・・・・追悼施設の新設構想は、断固排撃し、実現させないように戦っていく」

 新たな国立の追悼施設の建設については、鳩山首相が就任前の今年8月に「天皇陛下が、靖国神社に長い間行っておられないこともあり、陛下が安らかに参拝していただける施設が必要だ」と述べ、建設に向けて検討を進めたいという考えを示していたとしている。

 さらに日本遺族会会長の自民党古賀元幹事長も、靖国神社に代わる新たな追悼施設は認められないと強調したということだが、遺族会会長の立場からしても、客観的認識能力を欠いているゆえにいつまでも古臭い体質のまま成長できないでいる政治家という立ち位置からしても、反対は当然の意思表示である。
 
 谷垣は戦死者が「わが国の発展の礎」となったと古賀と同じく客観的認識能力を欠いたことを言って持ち上げているが、天皇の兵士である大日本帝国軍隊兵士たちが侵略戦争の「礎」となり、日本国家を敗戦の破滅に導いた「礎」となったするなら、理解できる。

 そうでなければ日本の侵略戦争も日本の敗戦も存在しないことになる。

 そのような「礎」を築き上げたのは時の政府であり、何よりも日本の軍部であった。

 戦争で生き残った日本人は戦死者たちが「尊い犠牲」となったとの思いから日本の再建を誓ったわけではない。戦後の食糧危機を兎に角凌ぐことしか頭になかったろう。食糧難の苦境を額に汗し、歯を食いしばって凌ぐことに精一杯だった。

 何しろ敗戦直後の大半の日本人が国に騙されたと戦争を憎み、国を恨んで自分たちを戦争被害者の境遇に置いていたことからして、戦死者を「尊い犠牲」だなどと思っていたはずはない。現実には戦争を戦った兵士たちが侵略戦争の「礎」となり、日本国家を敗戦の破滅に導いた「礎」となっていたにも関わらず、生き残った自分たちと同じように戦死者も国に騙されたとする境遇に置いたはずである。

 生き残った者だけが国に騙された犠牲者で、戦死者がそうでないとしたら、一般国民も銃後で「お国のため、天皇陛下のため」と戦争遂行に心身ともに協力した手前、自己都合に過ぎて整合性を失う。

 このことは敗戦翌年の1946年5月19日の「飯米獲得人民大会」と名づけられた「食料メーデ-」に掲げられたプラカードの文言からも証明できる。

 参加者は25万人も集めそうだが、そのプラカードには「詔書、国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」(『昭和史』有斐閣)と、戦争中だったなら不敬罪でたちまち逮捕されてしまうから不可能だったことが書いてあったそうだが、ここには国民は今なお国に騙されている犠牲者だとする意識が否応もなしに現れている。

 当時の日本人が食べることに如何に懸命になっていたか、食糧を獲得することに如何に頭が一杯だったかということだけではなく、この深刻な食糧不足が国に騙されて戦争をした結果だとしていたのである。銃を取って戦死した兵士をして「尊い犠牲」だなどと思う意識の回路は持ち合わせていなかったろう。

 麻生太郎は総理大臣に就任するに当たって2008年9月29日に衆院本会議で所信表明演説を行った際、「わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました」と述べたが、「御名御璽」とは天皇の署名・公印を指して現在も公的に用いられている呼称だそうだが、麻生太郎と敗戦翌年の食料メーデ参加者の天皇の扱いは真逆であったことが分かる。麻生太郎の恐縮・畏敬に対して当時の国民は侮蔑・嘲笑の対象としていた。「尊い犠牲」だとする意味づけは不可能だったろう。

 今日戦死者を「尊い犠牲」だとすることができるのは多くの国民に悲惨な犠牲を強いた愚かな侵略戦争だったとしていた戦後当時の国民の意識を忘却の彼方に捨ててしまっているからに違いない。侵略戦争を戦いながら、戦死したことを以って「尊い犠牲」だとすること自体が既に客観的認識能力を失った倒錯した考えとなっている。「犠牲」とは貢献を意味するからだ。侵略戦争に貢献した「尊い犠牲」となってしまう。

 この貢献という意味だけを取り上げたとしても、谷垣の言っている「わが国の発展の礎に、戦争でみずからの命を失った英霊の尊い犠牲があったことを忘れてはならない」が如何に世迷言か理解できようというものである。

 戦争を生き残った多くの日本人は当初は飢えから逃れるため、あるいは飢えに見舞われないために懸命になった。国民の努力もさることながら、アメリカの食糧援助で凌ぎ、敗戦から5年後の朝鮮戦争特需、それから11年後のベトナム戦争特需の恩恵や為替利益などが日本の経済「発展の礎」となって日本はここまで来た。

 谷垣の客観的認識能力ゼロは西松建設違法献金事件で政策秘書が略式起訴された身内の二階俊博選対局長に対する対応にも現れている。党内のこのままでは来年の参院選が戦えないといった理由からの役職辞任要求に鳩山首相自身の献金問題と比較して10日の記者会見で、「鳩山さんはトップリーダー。(疑いの)金額も違う。説明責任も果たしていない」(asahi.com)と処分に反対、執行部の続投方針に地方組織から抗議文が執行部に送付されたと言うことだが、与党と野党の立場の違いや衆参両院の議席数の違い、さらに党支持率の違い等から、その大きな違いを埋めて尚且つ逆転する対応の違いを見せるべきだったが、首相という立場と野党の選対局長の立場の違いと金額の違い、二階にしても果たしているかどうかも分からないのだから違いがあるのかどうかも分からない説明責任を取り上げて、二階の方が小さい問題だとしたのは客観的認識能力を欠いていたからだろう。

 大体が二階問題は自民党が与党の時代から引きずっていたことで、現在の野党の立場からのみ考えるべきではなかったはずである。

 党内の処分要求に抗えず、二階俊博自身が役職辞任の辞表を提出してケリをつけたが、その後手に回った対応によって、鳩山首相に対しても与野党の立場に関しても、何ら違いを見せることにならなかった。

 谷垣総裁は「選挙対策の仕事の真っ最中で、判断が間違っていたとは思わない」(時事ドットコム)と釈明したそうだが、政策秘書の略式起訴から二階本人の辞任まで、そこに民主党との違いを何ら見せることができなかったのだから、「判断が間違っていたとは思わない」はやはり客観的認識能力を欠いた発言としか思えない。

 「党内世論読めず」と批判する(時事ドットコム)記事があったが、「党内世論読めず」とは客観的認識能力の欠如が原因した識見の無さを言うはずである。


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