小沢一郎の極めて危険な天皇忖度

2009-12-16 08:31:34 | Weblog

 昨日エントリーの当ブログ《天皇政治利用批判に対する鳩山首相・小沢幹事長・平野官房長官三者三様態度》で小沢記者会見を14日夕方放送のTBS「総力報道!THE NEWS」から採ったが、アップロード後「Google」でインターネット記事を検索していたところ、TBS「総力報道」では編集カットしてあった記者の質問の言葉と小沢幹事長の発言の一部分が「J-CAST」記事に全文採録の形で採り入れてあった。特に抜けていた小沢幹事長の発言部分は政治利用に当たる肝心な箇所に思えるために、改めて「J-CAST」記事を全文参考引用して、青文字で記したその箇所のみの感想を述べたいと思う。 


 《ワイドショー通信簿・小沢幹事長会見に反発 宮内「陛下に僭越。ムカムカする」》J-CAST/2009/12/15 16:13)

 <テレビウォッチ> 『1か月ルール』を無視した形で、中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を実現させた批判に対し、渦中の小沢民主党幹事長が苛立ちをあらわにして吠えた。

何とも聞き苦しい、荒っぽい発言の数々に驚いたが、12月14日行われたこの記者会見の一部始終を取り上げた番組では、コメンテーターから「はっきり言ってムカムカしてきます」という声も。

  で、その会見での小沢幹事長の発言は……
 
 記者「会見は「30日ルールにのっとらずに行われるが?」

小沢「『30日ルール』って誰がつくったの? 知らないだろう? 君は。法律で決まっているわけでもなんでもない。そんなもの。君は日本国憲法を読んでいるかね? 天皇の行為はなんて書いてあるの?」

記者「国事行為と……」

小沢「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。だから、ナントかという宮内庁の役人がどうだ、こうだと言ったそうだけれども、全く日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない。しかも、内閣の一部局、一役人が内閣の方針、決定したことについてどうだ、こうだというのは日本国憲法の精神、理念を理解していない、内閣にどうしても反対なら辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょう、役人なんだから」

  記者「ルールはなくてもいいと?」

 小沢「なくていいもんじゃない。私はルール無視していいとか何とか言っているんじゃない。宮内庁の役人がつくったから金科玉条で絶対だなんて、そんなバカな話あるかって言うんですよ、ね。天皇陛下ご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思いますよ。分かった?天皇陛下のお体が優れないというならば、それより優先性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか、そうでしょう、分かった?

 『脱官僚、政治主導』は、宮内庁も『聖域』でないというわけだろうが、それにしても『象徴天皇』を掲げた日本国憲法の理念、戦後、天皇陛下の『政治利用のあり方』に慎重な気配りしてきた理由などはどこ吹く風。僻説とも取れる荒っぽい発言は、お話にならない。

スタジオでは、三屋裕子(スポーツプロデュサー)が「優位性の低い行事を誰が決めるの。あちこち矛盾している」。

また宮内正英(スポニチ編集長)も「政治ではないけれども記者会見は何度も出ました。はっきり言ってムカムカしてきます。ご自身に聞いてみたら陛下は『お会いしましょう』というと思う云々は、僭越過ぎると思う」と、悪評紛々。 (文 モ ンブラン)
 【僻説】(へきせつ)「間違った考え。偏った説」(『大辞林』三省堂)

 「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思いますよ。分かった?」は天皇の意志を直接確かめていないのだから、一方的に“疑問を挟む余地なし”とした絶対的思いを前提とした発言であって、そうであるからこそ、小沢自身がそうして欲しいとする、その方向に限定した忖度から発して、当然の結末として結論・解釈が忖度から些かも外れない一致を見せることとなっている。

 このような絶対性を前提とした忖度が一度や二度天皇の意思と一致したとしても、そのことを当たり前とし、既成事実化した場合、小沢の発言から言うと、「必ずおっしゃると思いますよ」に表れている“疑問を挟む余地なし”の絶対性を一般化した場合、すべての忖度自体が絶対となり、忖度の主体である小沢一郎自身を絶対化させることになる。

 民主党及びその内閣に於いて、小沢一郎なる存在は既に絶対的存在と化しつつある。絶対的存在となっていることの自信から発した「天皇陛下ご自身に聞いてみたら・・・」云々でもあるに違いない。

 もし天皇に対する小沢一郎の忖度が絶対となり、天皇をして小沢の忖度どおりに“必ずおっしゃらせる”存在とさせた場合、独裁意志を以って天皇を動かす上下の力関係を小沢一郎は手にしたことになる。小沢、天皇間の独裁関係の確立を意味する。

 「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思いますよ。分かった?」が如何に危険な“疑問を挟む余地なし”の忖度であり、政治利用意志であるかが分かる。

 小沢一郎が「天皇陛下のお体が優れないというならば、それより優先性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか、そうでしょう、分かった?」と言っていることに対して三屋裕子が「優位性の低い行事を誰が決めるの。あちこち矛盾している」と批判しているが、天皇の会見が友好・親善が目的なら、各国対象の友好・親善にまで優先順位をつけることになる。

 これは極めて政治的な取り計らいとならないだろうか。結果的に政治的重要性で優先順位をつけることとなって、小沢一郎が言うように「優先性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」とはならないということである。

 政治的重要性で優先順位をつけるのは容易ではあっても、そのような順位に従った会見の設定は政治的重要性の順位を天皇に担わせる天皇による代償行為ともなって、間違いなく政治利用そのものとなる。

 “一カ月ルール”に触れながら、敢えて習近平国家副主席と天皇との会見を“特例”として実現させたのは経済関係も含めて政治的に中国を最重要の国と位置づけ、そこに優先順位を置いたからだろうから、例え名目は友好・親善が目的であろうとも、また政治利用に当たらないとどう抗弁しようと、政治的重要性で優先順位をつけた政治利用に当たらないはずはない。

 大体が「分かった?」、「分かった?」と自己の意思を絶対として他に押し付け言動自体が既に独裁意志を孕んでいる。

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